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手紙:2014-12-21

死の概念

自然界の死

秋は植物界の葉が色づき、実りを結び、豊かな恵みが与えられる季節です。しかし同時に、その後訪れる風に舞う枯葉への移行を思うと、寒さと共に物悲しさや厳しさを感じ始める季節でもあります。自然界、特に植物は、秋から冬への周期には、生き生きとした生気が奪われ、静かな死を迎えます。「生まれたものは必ず死ぬ」それは「形態生命」の宿命です。

人間も生涯を終える時が必ず来ます。死は誰にでも平等に訪れるものでありながら、人間はそれを非常に恐れ、医学や科学は死に抵抗すべく不死を求めて研究し続けてきました。人間の恐怖の源は、死であると言っても過言ではありません。

しかし、これからの時代、「死の概念」が大きく変わると預言されています。その兆しは既に現れ、延命を断る人、安楽死を求める人、葬式を簡素にし、悲しまずに送ってほしいと遺言する人が増えてきました。この時代に今までと違った考え方を持った人が、沢山生まれ変わってきているのです。実は「死の恐怖」とは、過去の誤った知識と教育によって、人間だけに教え込まれた地球人類特有のものなのです。全ての人が経験する死、今回は地球特有の死のメカニズムを学びながら、死の本質を正しく理解する窓口を開きたいと思います。

自然界つまり鉱物、植物、動物界の三界は、個別に魂を持っていない(集団魂)ので、地球のある種の引力によって、死が引き起こされます。それは周期的に物質を回収する地球の磁力です。この力は誤ったイメージで大鎌を持った「死神」として恐れられてきました。地球の物質的命を元に戻す「偉大なる吸気」のような力で、自然界はこの力に抵抗する事はできません。植物も動物も、この磁力的な力によって、命の回収が起こった時、形態から生気が奪われ、地球のある部分に戻っていくのです。自然界はこの周期的な働きに対して、人間のような強い恐怖心を持っていません。これはある種、人間の理解を越えていますが、地球の命が進化する為の慈悲深く美しい働きの一つです。

人間の死は魂の命令

一方人間は、一人一人が「魂意識」と「形態生命」の二つの命を持つ生命体です。自然界からもらった形態=個体の生命に、不死の魂=理知的な愛(人類グループとしての魂)が宿ったものが人類の構造です。そして、人間の生死は、自然界の場合と違って、魂が周期を決めています。災害や戦争、事故などの突発的な死を除き(このような場合は個人の責任では無い為、大抵すぐ生まれ変わってきます)、個々の人生の周期は「魂が決定権」を持っているのです。これは自然界とどのような点が違うのでしょうか。

私達の個体は、動物体からもらっているので、形態生命には地球の周期的な引き合いがあり、自然界と同じように物質生命を回収する力が働きます。しかし、人には魂があるので、魂の計画と目的に従って、その回収する力に抵抗する事ができます。つまり病気を治したり、正しい方法を講じたり、生命力を活性化する事ができるので、形態生命の寿命を、目的に従って延ばす事が可能です。魂意識は、魂の使命さえあれば、自然界の「死神」に抵抗し、個体を維持し、寿命を維持する事ができるのです。

現在、地球人類は、昔の人より遥かに長く生きて活動しています。人類の理知性が医学や科学を発達させた為、その驚くべき知恵を集団で駆使し、個々の肉体も驚異的な抵抗力や免疫力を獲得しました。しかし、これは永遠の命を約束するものではありません。裏を返せば、魂がこの人生の役目は終わったと判断すると、魂生命を引き上げる命令を下すので、肉体はその命令に抵抗する事はできなくなります。

 

この時には、意識の引き上げが起こり、魂は個体生命の回収を地球に任せるので、肉体は自然界と同じように死にます。魂は目的や意味が無い場合、ただ地上に長く生きる事には全く執着しません。ですから、どんなに医学が発達しても、人間の個体は結局死ぬ事になるのです。

人間の意識は魂である為、人はこの命令を意識的あるいは無意識的に知っています。人類は益々魂的に発達してきた為、最近では魂からの命令の死を受け入れて、静かにその時を迎える人が増えてきました。何故なら、魂に意識を置けば、物質生活に執着が薄れ、個体が持つような恐怖は、遥かに少なくなるからです。

死は魂にとって、一時期肉体を離すだけで、意識が無になる訳では無い為、恐怖ではありません。目的を果たしたならば、寧ろ物質的な個体の重荷や苦痛から解放されるので、祝福すべき解放の瞬間と言われています。ところが、個体にとって死は無になる、あるいはあらゆる地上の絆から断たれる恐怖の瞬間です。過去において、人間は個々の肉体だと教えられ、死の恐怖を植えつけられた為、刹那的な欲望を追求し、またそれを失う恐怖感が膨らむ悪循環に陥ってしまいました。「人は魂である」、それに対して「人は肉体である」、どちらに重きを置くかによって、私達の人生は全く違うものになっていくのです。

恐怖のルーツ

私達が個別の物質的生活に意識を集中しすぎると、過去に教えられた誤った死の概念が動き出します。死が恐怖なのは、自分が無くなり、慣れ親しんだ人や環境、物との繋がりが全て絶たれ、獲得した何もかも失われる、これからどうなるかわからない、宗教で言う地獄に落ちるかもしれない、などの考えに基づいているからです。親しい人が死ぬ場合も、もう二度と会えない、一緒だった生活が途切れる喪失感が、言い知れぬ苦痛や寂しさを生み出します。自分が肉体であり、個人の感覚に意識が集中し、その記憶の積み上げが人生であるなら、それは耐え難い苦痛を生むでしょう。

私達は、ここで過去に誤って教えられた死に対する概念を捨て、人類を苦しめてきた苦痛と恐怖から解放される必要があります。それには、二つの事が重要です。一つは魂と言う不死の存在があると仮定し、その方向に意識を向ける事。これは真の信仰心の鍵となります。もう一つは個別の自分と物質的な環境に、余りにも意識を置き過ぎない事です。これは自分の欲望、感覚、特有の考えを強調しすぎない事、自分や特定の人やもの、考えに執着し過ぎないと言う意味があります。

この二つは、物質的生活と物質的自分から徐々に意識を引き上げ、恐怖を和らげる方法です。人間は元々魂ですから、物質界に生きながら魂としての意識を持ち、生活する事が可能です。魂の本質は光であり、恐怖は闇の中に存在します。意識によって光が自分と環境に当れば、恐怖は消滅するでしょう。これには理屈はいりません。恐怖が消える瞬間には、テクニックや論理は無いのです。

しかし、人が魂に意識を向け始める時、訓練したり模索する為に、論理や考え方が必要です。習慣を変える為にも、繰り返し意識の方向を修正し、引き戻し、知識を元に毎日の生活で実験してみる必要があるのです。

愛の浄化作用

人類や自然界の形態は、数え切れないほど死を繰り返し、悲惨で苦痛な歴史を積み重ねてきました。それにも拘わらず、自然界の美は進化し、人類の愛と知性は、驚く程成長してきました。これは地球の偉大なる配慮と、魂の驚異的な愛の力による浄化作用が働いているからです。その働きを助けているのが、実は死の現象です。もし人類に魂が無かったら、もし地球に慈悲深い進化計画が無かったら、人はとっくに絶望して消滅しているでしょう。勿論、私達の意識は直ちに変わらないかもしれませんが、少しずつ訓練し、粘り強く着実に変えて行く努力が大事です。

人間の本質は全ての人が魂です。驚くべき浄化作用と、愛に満ちた生命力、そして高い知性を持った存在が、本当の姿なのです。だからこそどんな悲惨な経験も乗り越え、希望や光を見出し、向上しようと意志強く歩み続ける事ができるのです。

魂は人類全体で、愛により繋がり合っています。意識が失われたり、何かを喪失したり、悲哀や苦痛で絶望する事はありません。人が将来もっと進化すれば、霊媒のようなあやふやな方法ではなく、魂との正しい通信が可能になり、人は不死である事を悟るでしょう。個体の人間が苦しみの中にいても、魂生命は常に美であり、善である事を思い出して下さい。人生で死に直面し、悲しみや苦痛に打ちひしがれても、何か素晴らしいものが前進しているはずです。その何かを探そうとする意識こそ、魂への繋がりを発見する道です。互いに励まし合い、体験を共有しながら、死に打ち勝つ光を手にいれようではありませんか。

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