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手紙:2016-03-27

進化する理解

慈悲深さの真意

皆さんは自分を慈悲深い人だと思いますか?「慈悲深さ」とはどう言う意味でしょうか?どんな人柄を慈悲深い人だと思いますか?「慈悲」は一般的には「哀れみ慈しむ事」、「情け深い」と言う意味で、優しさや寛大さなどにも通じる言葉でしょう。仏教では「菩薩が人々から苦しみを取り去り、楽を与える心」と言う意味があります。ところが、密教的には慈悲深さは「法則通り生きる」事です。一般的な理解からは解釈が想像しにくいですが、そこには仏教の「苦しみを取り除く」方法に通じる意味が込められているのです。

私達は「慈悲深さ」に対して、同情深く包容力があり、全てを許してくれると言うような、温かい心理的イメージを持ってる事が一般的です。これは情緒的な捉え方であり、実は知的に理解すると、その意味はもう少し本質に近くなります。人間は過去において知性が未熟だった為、間違いではありませんが、情緒的な理解しかできなかった事柄が沢山あります。

しかし現在、人類は全体的に知性が育ってきました。私達は、この解釈をワンランク上げて、理解し直す事ができる時期に来ています。例えば、過去長い間、私達は「愛情を愛」と考えてきましたが、現在多くの人が「愛は愛情と違う」事に気づいています。同様に、慈悲についても、更に理解を進める事ができます。

今回は「慈悲深さ」を例にして考え直し、物事には更に深い意味がある事、私達はそのように理解力を進め、進化するよう導かれている事について考えたいと思います。

法則に沿った生き方

慈悲=同情し、優しく寛大である事は、紛れもない心の美徳です。私達は浄化され穏やかで鏡のような心を持つ為に、どのような人にも温かく包容力のある情けを持ち、排除するような心情になるべきではありません。過去において慈悲はこのような心理的解釈で、心の浄化を教えてきました。

しかし、「悲しみや苦しみ」を哀れんで取り除くと言う本来の仏教的意味では、何故そのような状態が起こっているか、その原因を理解する必要があります。仏や菩薩は、物事の原因を理解し、どのようにしたらその状態から脱して楽になれるかを、教える知恵者なのです。

これは密教的に言えば、単純な原理で、どんな悲しみや苦しみも、「地球が課している法則に反した為」だと説明できるのです。「病は仏の慈悲」と言うのも、同様の解釈が成り立ちます。病気の苦しみによって、自分の意識や日常生活の法則違反に気づき、法則に従って生きるようになれば、病気は意識を高め、解放する慈悲深いものになると説明できます。慈悲深さとは、あらゆる苦悩から解放されるような生き方、つまり法則通りに生きる生き方を説明する言葉なのです。

しかしそれには、地球に働き、人類や自然界に課せられている見えない法則を理解する高い知性が必要になってきます。結果から原因を推察する事、これは現在人類が、仕事や人間関係、環境問題や国際的な難問を抱えて、下手でも何でも、自分達で考える試練で訓練させられています。

今まで人間にはそのような知性が充分備わっていませんでした。その為、原因に従った結果が表れ、その全責任を負うような事態からは、ある程度保護されていたのです。しかし今や知性を磨く時代に入ったので、地球は、人類に対する指導法をワンランク上げました。人類の活動に対する結果を見せ、原因を追求し、何が間違いであり、どの方向に改善すべきかを、考えさせる方針に変えたのです。

その為、多くの問題や困難が、極端な結果として示され、自ら体験するようになりました。私達は大人へと成長しつつあるので、人類全体で協力し、物事を解決するよう厳しい状況にさらされているのです。原因を発見する事は、地球が課している見えない法則と、進化の方向を発見する事と同じです。それには訓練された知性、考える理性が求められるのです。

平和と愛

人類は、少し前、すさまじい世界大戦を経験し、その後日本も比較的平和な社会を維持しています。多くの人が平和を望み、無闇な競争や強欲を好まなくなったのは、紛れも無い大きな進歩です。しかし、平和を望む動機を考えると、平穏無事がいい、死にたくない、誰も何も失いたくない、傷つきたくない、今の状態を維持したいと言う消極的な理由だけであれば、意識が保身と情緒的なレベルに留まってしまいます。

そこで平和についても、何故平和が重要なのか、その為にはどのように考え、行動すべきなのか、今世界でどのような問題があり、何故解決が難しいのかを考える知的活動と実際行動が求められます。平和についても、ただ平和を祈り、戦争反対と叫ぶだけでは地球が求めているレベルには不十分なのです。

平和は多くの犠牲によって成り立っています。自ら身を切る何らかの具体的行動を考え、実行しなければ、大人の責任を果たしているとは言えません。祈るだけで、情報を知ろうとせず、考えず、犠牲も払いたくない、しかし平和を望むのでは、それは子供の願いになってしまいます。私達はもう一歩進んだ成長を示さなければならないでしょう。

また、愛についてですが、密教的な愛の本質は、個人的な生活より、人類全体の福利に関係しています。「人類の為なら個人のあらゆる犠牲を払ってでも成し遂げようとする態度」が真に成長した愛で、世界には各分野でそのような生き方をしている人々がいます。ここから考えると、私達の愛がなぜ未熟なのか理解できます。人は人類全体の事よりも、個人的な生活の方を遥かに優先します。しかし、人類の愛がもっと成熟すれば、何が人類の為かを考える知性、実際に行動する意志が一つになって表現されるようになるでしょう。

人類は導かれている

人類は長い歴史を通じて、肉体的、心理的、知的に訓練するよう導かれてきました。人類は勝手に進化してきたのではなく、地球の進化に沿って導く存在があり、私達はそれを魂と呼んでいます。その成果によって、知性が育ち、自分で考える力も相当備わってきたのです。

今、魂は、私達の意識が進化の法則に合っていればそのような結果を、間違っていれば危機や問題を体験させています。そうやって、私達の意識を目覚めさせ、考えさせ、理解させようとしているのです。このような危機や問題は、まさしく神の慈悲と言えるのです。人生や世界の問題を通して、人類が自分の力で、地球の霊的な法則に気づき、知的に解釈し、改善し、実際行動を取れるように見守っているのが魂の愛なのです。

この愛に応える為には、自由に知り、自由に考える環境が必要であり、人生と世界情勢を通じて、物事の原因を考える「実験」が求められます。そして、推察した原因や論理に従って、心と体を従わせる訓練を本格的に始めなければなりません。これこそが真の犠牲です。

 

 

そしてどんな人も、人類の為になる真、善、美とは何かを考え、それに対して奉仕する生き方を、人生に取り入れなければなりません。小さな事でも、僅かな時間でもかまいません。時には解釈が不十分だったり、失敗したり、忘れてしまう事もありながら、何回も自分を引き戻し、意識をそこに向かわせる事が大事なのです。このような真、善、美、そして命を救済しようとする尊い意識と行いが、霊的な積み重ねとなって、悪を粉砕し、平和を創造するエネルギーとなるのです。

人間は古代から、魂と地球から愛されて、ここまで進化してきました。子供が親の愛に気づかないように、私達は長い間、神の慈悲や愛について、自力で理解するまでに至らなかったかもしれません。しかし、未来永劫、この普遍的な愛が途切れる事はありません。私達はこの愛に、そろそろ気づき、感謝し、応えるような大人に成長すべき時期を迎えたのです。

どんな宗教でもかまいません。宗教が無くてかまわないのです。私達はこれまで、そしてこれからも導かれている事、教え諭される慈悲の中で生きている事に気づき、それに応えるような生き方を始めたいと思います。この姿勢が人々の意識に、誰も取り去る事ができない真の信仰心を生み出すでしょう。その時、慈悲深さは人類の特質となっているに違いありません。

 

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