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手紙:2023-02-10

変化と限界

本当に自分は変わったか

人は色々と体験を重ね、悩んだり苦労すると、「私は変わった」と言います。性格が丸くなったとか、賢くなったとか、その事は卒業したとか…。しかし、私達が自己申告、自己評価する時、本当にそうなのか、注意深く観察してみる必要があります。そう思っていたのに、ある時全然変わっていない自分の反応を知り、愕然とする事は多いものです。また、年を取って元に戻ってしまったと言う意見も聞きます。誰も元に戻りたくないはずなのに、何故そんな事が起こるのでしょうか。

人生の色々な問題を乗り越えて、真に変わった人を見ると、私達は生きる事の豊かさや意義を感じます。反対に、本人は変わったと言っているものの、他人から見たらそうでもないケースは多々あります。人は誰でも変化して、より良い自分になりたいものですが、その差は何故起こるのでしょうか。今回は、真に変わる為に必要な認識を考え、自分への再チェックを提案したいと思います。

「あの人は本当に変わった」と他人が評価する場合と、自分が申告する自己評価の場合、何が違うのでしょうか。大抵の場合、自己申告が余り当てにならない理由は、「以前の自分に比べて」が前提である事と、感覚を元に判断しているからです。例えば、努力して感覚的に20から50になったら、随分変わったように感じますが、差が縮まっただけで、その傾向が完全に消えた訳ではありません。またそうなった原因の考え方を理解し、根本的に変える必要もあります。これから考えると、「自分ではやってるつもり」と言うのは、我慢や注意、できる範囲で方法を講じているだけで、根本的に問題を克服していない場合が多いのです。

メンタル的な検証

人は誰でも思いたいように思うものです。ましてや、変わりたいと願い、そこそこの努力や注意をしていると、変わったと感じたい感覚は膨らんでくるでしょう。その思いで「変わった」と信じ込んでいると、年を取って体力が衰えたり、病気やショックな事で心理的に弱った時、また元の状態に戻ってしまう事があります。それは、根本的に意識が変わり、自分や事態を支配する手前で、手を緩めてしまうからなのです。

そのようになる要因は幾つかあります。一つは、周囲の意見や客観性を求めず、自分独自の考えで努力する事です。このやり方だと、保身やプライドと言う殻の中で、「自分ができる範囲で、変わりたい」と考え、不適当な方法を選んでしまいます。その場合、周囲が意見を言うと、猛反発や長い言い訳が返ってきて、客観的な意見を聞き入れる余地がありません。

人は、自分を守り育てる間は、自己保存とプライドの殻の中に生きるものです。しかし、社会性や人間関係が広がり、苦しみや問題、責任感や善意が生まれてくると、本当に自分を変える必要を知的に理解し始めます。それには殻の外から見た客観的な分析が必要です。真に変わろうとすると、殻に閉じこもっている意識を突破する必要がある為、自分の感覚や狭い考えだけでは、変わる事が難しいのです。自ずと人の意見やアドバイスを、自分から聞くようになるでしょう。これには、感覚から分離された知性が必要になります。どんなに有能なスポーツ選手でも、客観的な判断と、目的を共にする監督やコーチが必要なのはその為です。

このような観点から、今までの自分の変え方を考えてみると、成功も失敗も含めて、その要因が何かを理解できるでしょう。

自分より大切なもの

魂が目覚めてくると、人には責任感が生まれてきます。その人にとって責任は、自分のプライドや変わりたいと言う欲望より、重要なものです。身近な例では、家族ができると責任感が生まれ、自分の事より家族を大切に考え、犠牲的な努力をするようになります。

しかし、真の責任感には、家族を超えた社会性が必要です。社会での仕事や目的で責任を持つようになると、他人から欠点や改めるべき点を指摘され、どうしても自分を変える場面に出合います。嫌でも辛くても、聞きたくない事を認め、見たくない事を見て、認識すべき事が出てくるはずです。その中で、人は自分の感覚と周囲の認識に「ずれ」がある事に気づき始めます。このずれは、物事の正しい理解を妨げるものです。何故認識の隔たりが起こるかを考えると、意識に真の原因があり、それが今の自分や壁を作っていると発見できるでしょう。

自分の思いと客観的な事実には、ずれがある。ここに気づくと、ずれを修正する為に、人は自分の殻の外から見た情報を集め出し、自分や関係する人を、正しく認識する理性を学ぶようになります。この訓練から、感覚と分離した知性が芽生え、自分を扱う知的な意識や、自分を支配する意志が育ってくるでしょう。

自分を変えるには、「自分が変わりたい」と言う欲望や思いだけでは、難しい点があります。自分の想いが一番大事な間は、その殻から出る事はできず、他の人との摩擦や競争によって、殻の中で成長するだけに留まります。殻の中でも、それなりの成長はできるでしょう。しかし、自分の思いより大事な思想、責任、目的が生まれた時、その為に自分を変えなければならない使命感に目覚めた時、戻る事がない扉を通り抜け、真に変化するチャンスを掴むでしょう。

限界の意義

若いうちは、自分の考えが正しいと思いこみ、我流で人の言う事を聞かなくても、ある程度成長します。負けず嫌いで実力があれば、どこに行ってもそれなりの成功を収める事もできるでしょう。しかし、それを長く続けて年を取ると、自分の殻が厚くなり、理解力が低下した真性の頑固になってしまいます。自分の殻を破っていない人は、年を取る前から知性に限界があり、魂から見ると、実は問題を抱えたままなのです。

若ければ、活動範囲が広く、欲望が強い為、他の要素が混じって、限界点は目立たないかもしれません。ところが年を取ると、活動範囲が狭まり、体力も衰えてくるにつれ、意識も急激に固まってきます。年をとって元に戻ったように見えますが、限界を突破していなかった為、以前からあった問題に引き戻されただけなのです。

一方、年を取っても生き生きと年齢を感じさせない人がいます。真に殻を破った経験があるからです。その人は、精神力により、自分を支配して変化を起こすコツを掴んでいるので、体の老化を上回る生命力を持っています。観る目を持てば、その生命力は、真の苦しみを突破した愛から放たれている事がわかるはずです。

人間が経験する深い苦しみとは、ある限界にぶつかった現象です。反対を言えば、苦しみが無いのは、限界に出会っていない為、変わる事ができないとも言えます。実は、変わる事は結果であり、真に重要なのは、どんな意識が限界を作っているかを発見する事です。つまり、形だけ自分を変える事より、意識の限界を発見し、突破する事に意義があると言えるでしょう。「自分を変えたい」と言う願いは、尊いものです。しかし、もう一歩進んで、どんな意識が壁を作っているのかを発見する事、そして突破した時、どれだけ周囲を助けられるか考えてみて下さい。「自分の変え方」を変えられた時、私達は自分の中に少しの愛が目覚めた事に気付くでしょう。

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