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手紙:2021-06-11

進化する理解

慈悲深さの真意

皆さんは自分を慈悲深い人だと思いますか?どんな人柄を慈悲深いと思いますか?「慈悲深さ」とはどう言う意味でしょうか?「慈悲」は一般的には「哀れみ慈しむ事」、「情け深い」と言う意味で、優しさや寛大さなどにも通じる言葉でしょう。仏教では「菩薩が人々から苦しみを取り去り、楽を与える心」と言う意味があります。一方、密教的な解釈では「法則を理解し、その通りに扱う」事です。一般的な理解からは解釈が想像しにくいですが、そこには仏教の「苦しみを取り除く」方法に通じる意味が込められています。

私達は「慈悲深さ」に対して、同情深く包容力があり、全てを許してくれるような、温かい心理的イメージを持っているでしょう。しかしこれを更に知的に理解すると、その意味はもう少し本質に近くなります。人間は過去において知性が未熟だった為、情緒的な理解しかできなかった事柄が沢山あるのです。

現在、人類は全体的に知性が育ってきました。その為、様々な言葉の解釈をワンランク上げて、知的に理解し直す事ができるようになったのです。例えば、過去長い間、「愛情を愛」と考えてきましたが、現在多くの人が「愛は愛情と違う」事に気づいています。同様に、慈悲についても、更に理解を進める事ができます。

慈悲とは、魂の特質の一つです。今回は「慈悲深さ」を例に、物事には更に深い意味がある事、そして人は段階的に理解力を深め、進化するよう導かれてきた事について考えたいと思います。

法則に沿った生き方

慈悲=同情し、優しく寛大である事は、紛れもない「心の美徳」です。私達は浄化され穏やかで鏡のような心を持つ為に、どのような人にも温かく包容力のある情けを持ち、排除するような心情になるべきではありません。過去において、慈悲はこのような心理的解釈で、心の浄化を教えてきました。

しかし、「悲しみや苦しみ」を哀れんで取り除くと言う本来の意味では、何故その事態が起こったか、原因を理解する必要があります。仏や菩薩は、物事の原因を理解し、どのようにしたらその状態から脱して楽になれるかを、教える知恵者なのです。

これは単純な原理で、どんな悲しみや苦しみも、「地球が課している法則に反した為」だと説明できます。「病は仏の慈悲」と言うのも、同様の解釈が成り立ちます。病気の苦しみによって、自分の意識や日常生活の法則違反に気づき、法則に従うよう改めれば、病気は意識を高める慈悲深いものになると説明できます。慈悲深さとは、あらゆる苦悩から解放されるような生き方、つまり法則通りに生きる生き方を説明する言葉なのです。

それには、地球自身、そして人類や自然界に課せられている見えない法則を理解する高い知性が必要になってきます。その準備として、人類は、仕事や人間関係、環境問題や国際的な難問を突き付けられ、考える訓練を始めたのです。今まで人間にはそのような知性が充分備わっていませんでした。その為、原因に従った結果が表れ、全責任を負うような事態からは、ある程度保護されていたのです。

地球の決断

時代と共に、一握りの人達だけでなく、人類全体が急速に変化し出したので、地球は、人類に対する指導法をワンランク引き上げました。保護を解除し、人類の活動に対する結果を見せる事で、原因を追求し、自ら間違いや進化の方向を見いだせるよう方針を変えたのです。

その為、多くの問題や困難が、極端な結果として示されるようになりました。私達は互いに協力し、物事を解決するよう厳しい状況にさらされているのです。原因を発見する事は、見えない法則と、進化の方向を発見する事と同じです。それには訓練された知性、未知の領域にまで意識を馳せる理性的な直観力が求められます。

人類は、すさまじい世界大戦を経験した後、日本を含め多くの国が、比較的平和な社会を維持しています。人々は平和を望み、無闇な競争や強欲を好まなくなったのは、紛れも無い大きな進歩です。しかし、平和を望む動機を考えると、平穏無事がいい、死にたくない、誰も何も失いたくない、傷つきたくないなど、消極的な理由だけであれば、意識が保身と情緒的なレベルに留まってしまいます。

そこで平和についても、何故平和が重要なのか、その為にはどのように考え、行動すべきなのか、今世界でどのような問題があり、何故解決が難しいのかを考える知性と実際行動が求められます。平和についても、ただ平和を祈り、戦争反対と叫ぶだけでは不十分になってきたのです。

また、平和は多くの犠牲によって成り立っているので、自ら身を切る実際行動を取らなければ、責任を果たしたとは言えません。私達は祈るだけではなく、自ら考え、平和を発展させる為に、参画する事が求められているのです。

慈悲は人類の特質となる

密教的な愛の本質は、個人的な生活より、人類全体の福利に関係しています。「人類の為なら個人のあらゆる犠牲を払ってでも成し遂げようとする態度」が、愛の成長に繋がります。一般的には、人は社会や人類に関する事より、個人的な生活の方に重きがあり、優先します。ここから考えると、私達の愛は未熟だと言えるでしょう。しかし、世界の動きと共に、人の意識は急速に成長し、地球、世界、人類と言う考え方は、日に日に成長しつつあります。多くの一般人が、人類の為に善き方向を模索し、意見を述べ、盛んに議論するようになってきました。

このように、世界の変化を捉えると、物事の背後には、進化の道筋やそれを指導している存在がある事に気づきます。私達は偶然進化してきたのではなく、地球の進化に沿うよう導かれてきたのです。昔からその指導者は、魂と呼ばれています。人間は、その影響と指導の下に知性が育ち、とうとう自分で考える力を持つ程、成長したのです。

ここまで成長したからこそ、魂は人類に対し、私達自身の考えと行動の結果を、そのまま体験させるようにしたのです。そうやって、意識を目覚めさせ、理解させようとしているのです。つまり、今の人類にとって、危機や問題は、まさしく神の慈悲と言えるでしょう。

人間は古代から、魂と地球から愛されて、ここまで進化してきました。子供が親の愛に気づかないように、私達は長い間、神の慈悲や愛について気づかず、考えもしなかったかもしれません。しかし、過去も未来も、この普遍的な愛が途切れる事はありません。私達はこの愛に、そろそろ気づき、感謝し、応えるべき時期を迎えたのではないでしょうか。この気づきは、やがて人類共通の信仰心に繋がるでしょう。その時、慈悲深さは、人類の特質となっているに違いありません。慈悲とは、魂自身の特質です。このようにして、私達は、魂こそが真の自分であると悟るでしょう。

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