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手紙:2024-03-22

愛への移行

自分に騙される

皆さんは、職場や地域、家族の中で、もめ事が起こり、話し合って解決した事はありますか?お互いの立場から意見の違いを知った後、余り納得はしていないけれども、適当なところで妥協して終わりにした事はあるでしょう。その後はもめ事が起きないように大人の対応を心掛け、問題は解決したように思えます。

ところが、この問題を意識の進化から考えたら、解決とは言えない場合が多いものです。それは、魂がその人の意識に愛の開花が起こったかどうかを見る為です。具体的に言えば、その問題を介して、意識の観点が、個人的なものから、もっと大きなグループの関係性を重要視する愛に変換されたかと言う「意識の移行」が問題だからです。私達は、意識と言う観点がよくわからない為、自分は言葉も気をつけ、態度にも出さないので、問題も起こさないし、感情的な人間でもない、よくやったと片付けがちです。これは物質的で表面的な見方です。

意識の観点から言うと、社会生活を積んで苦労しても、根本的な意識の移行は完成しませんが、大して問題が起きなければ、「私は成長した」と思い込んで年月が経ちます。そして、ある時重大な病気や問題が起こり、何故こんな事態になったのか、愕然とする事があります。その時、周囲から「長年、頑張り過ぎたんじゃないか」、「我慢し過ぎた」、「素直じゃなかった」などと多くの人に指摘されても、自分では苦労し意識が変わったと思っている場合、中々納得できません。実は抑圧されていた意識や、成長していなかった意識があったのに、そのような部分に自分で気付く事は、とても難しいものなのです。今回は、自分を真に見つめる観点が、どのようにして得られるかを学んでみたいと思います。

全体と個の視点

私達は殆どがまだ感覚的、感情人間です。もし自分は感情人間でないと考えている人がいたら、それは自分より感情的な人と比べてそうでない、表面には出さない、あるいは以前と比べて感情的ではなくなったと言うだけです。現代人のストレスの80%は人間関係から起こっています。それは突き詰めると、全ての人が、個別の私に意識焦点があると言う事です。

一方、現在、魂が目指しているのは愛です。愛とは、価値観が、自分より大きな集団に移行している事が大前提です。それには、グループでの全体像に加え、更に内部での関係性を感じ取り、知的に理解する能力が必要です。その為、私達は仕事や趣味など、目的があるグループに入り、その中で関係性を学ぶ訓練を強いられています。

自分に意識が集中している場合、関係性は、常に自分と他との関係となり、あらゆる関係の中心に私がいます。それに対し、愛とは、意識の焦点が、自分よりグループ全体に移行しています。全体は個々の繋がりで成り立ち、自分を含め個は全体の部分だと、「感覚的にも知的にも」納得する意識です。私達は、理屈ではわかるが、感情ではそうは思えないと言う意識になりがちですが、魂は、理屈と感覚が一致したグループ意識への変化を目指しています。

考えと感情が一致しない状態は、特に家族関係に多く、分かり易いでしょう。事を納める為に、演技や我慢はするものの、自分の立場に意識がある限り、自分を中心とした感情が無くならず、心の底では「被害に遭っている」、「私だけ我慢している」、「相手が間違っている」などの想いが消えません。家族問題は長く続くので、気付かずに年月が過ぎると、病気の源になり易く、ここから真の意識を知る事は多いでしょう。

感情を美しいものに変換する

感情を爆発させても、抑圧しても、意識が「私」にあれば、魂から見るとそれは同じ事で、私中心の感情的な意識と見なされます。ではどうしたら感情的な意識を、愛に移行できるでしょうか。

人はどんなに進化しても、体を持っている限り、感情は無くならず、反射的に反応が起こります。感情は人や現象への接触器官なので、接触する幅を広げる為に、必要です。大事な事は、感情は、知性が物事を分析して認識する為の道具、きっかけに過ぎないと理解する事です。つまり、感情自身が重要なのではなく、その感覚や感情が、何を意味するかを「思考に変える訓練」が大切なのです。そこから自分で考える訓練をしなければ、意識の焦点は感覚、感情に留まったままになります。感情に蓋をして、何故そう感じたかを考えないと、意識は成長できないでしょう。

もう一つの方法は、感情を「魂的美徳に変える努力」をする事です。それは、優しさ、同情、思いやり、穏やかさ、ユーモア、快活さと言う特質です。もし自分の感情に、このような性質が少ないなら、それは何故か考えてみるべきでしょう。原因を大まかに言えば、信仰心が薄い、我流な考えが強く、心が魂の光に向いていない為です。目の前にある物質的な事、自分の思いや考え、結果だけに重きを置いていると、魂の影響を受けた心の特質は育ちません。

感情は知性の進化を邪魔するものですが、一概に悪いものだと考え、表に出さず、抑圧し、何も感じなくするような方法は、根本的な進化に結びつきません。丁寧に、正直に観察し、そこから考え、感情が美しいものに変性していくよう行き先を与える事が大切です。

自分を見る視点

意識の方向付けをするのは、知性です。感情の行き先を感情が決める事はできません。また、自分を改造したり、直したりするのも、知性です。その為には、機械の故障を直すように、正確に見て、どこがどうなっているか、何故そうなったか、原因を特定する思考練習が大切です。

しかし、自分を見るには、大変な勇気が必要です。そこには、自分に対する慈悲が求められるでしょう。プライドの高い人は、同情されるのを嫌いますが、魂の理知的な観点には、無限の慈悲心が含まれています。何故でしょうか。

私達が「自分」だと思い込んでいる「私」は、真の私ではないからです。それは、魂の乗り物であり、元は全人類同様、地球の不完全な物質で作った仮の自分です。本当の自分である魂意識は、その不完全な乗り物を改造し、魂意識を伝達し、美徳を引き出し救済する使命があります。その時、乱暴で無慈悲、あるいは批判的で強制的な直し方をすると、乗り物である私は潰れてしまいます。

慈悲には、正しい見方で正しい扱い方をし、未来このようになると言う視点があります。自分を上手に、丁寧に、正しく扱う事ができる人は、短期間に進化する事ができます。「私」と言う相手が逃げ出さないように、わかり易く説明し、喜んで従うように扱えれば、正しい方向を与え、良い特質も最大限に引き出す事ができるでしょう。

魂の慈悲

魂には、それが可能な深い慈悲と知恵があります。自分に対してその視点を確立した人は、人に対しても同様に接する事ができます。人も自分も、人間は皆同じ構造で、同じ資質でできていると、理解しているからです。

私達は、何故苦しみ、間違え、わからないのでしょうか。それは、自分を見る視点が、感情と同じレベルの感覚的意識だからです。もっと大いなる視点があるのではないかと仮定し、心を光に向けると、自分を慈悲深く正しく見る別の視点がある事に気づくでしょう。進化に必要だと言われる自己犠牲とは、我慢する事ではなく、感情的自分の視点から、意識を引き上げ、上手に扱ってあげる事です。

人類は、何度となく転生してきました。その度に、あらゆる人種、国、立場を経験してきたはずです。様々な感情と、様々な自分があったでしょう。それは転生ごとに夢のように消え、忘れ去られてきました。存在しているのは、ただ「感情的で利己的な自分」と、「永遠で全てを網羅する慈悲深い自分」です。真の自分とは、一体どちらでしょうか。静かに考えれば、答えは一つしかありません。そこに愛を求める私達の答えがあるのです。

 

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