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手紙:2024-02-23

意志と喜びの関係

老後と喜び

多くの人が長生きする国では、認知症が大きな問題となっています。認知症は認識が無くなるので、本人はそう苦しんでいないように見えるかもしれませんが、霊的には相当の苦しみに匹敵する病気です。だからこそ、周囲の人も同様に大きな苦しみを感じ、大変な問題となるのです。様々な予防法や原因、治療が研究され、提唱されていますが、最近「喜びが失われるとなり易い」と考える研究者が増えてきました。

実際、家庭的な不幸やショックが重なり、それがきっかけで、生きる喜びも気力も失った後、発症したケースは少なくありません。年を取ると、自分自身の病気をはじめ、子供の社会的な結果や、親しい人の病気や介護など、様々な問題を見る事が増えるので、幸せな老後とは、寧ろ幻想なのかもしれません。年齢を重ねても喜びを保つには、積極的に活動を探し、自立して人と付き合う事が必要となるでしょう。自分が努力して意志しなければ、喜びを得られる状況にはならないでしょう。喜びの質を考えると、人間である限り、本当の喜びは向上心を持って努力をする事や、人の役にたつ要素が求められるでしょう。つまり、喜びを感じる人生には、少なからず自立した積極的意志が必要なのです。

喜びとは、人間の進化にとって、とても重要な要素です。密教の本では、「喜んでした事しか意味がなく、進化の効果は期待できない」と書かれています。それは何故でしょうか。人が進化する為に最も重要なのは意志ですが、一見すると意志と喜びは、反対、あるいは無関係のように思われます。喜びと進化の関係、今回はその意味を考えていきたいと思います。

自己支配と喜びの関係

私達の進化は、自分に対する支配を訓練する道です。人格の中は、肉体、心、知性と言うバラバラな要素があります。これを一つに統一するのが意志ですが、中でも心はストレスの源になっているように、とても扱いにくいものです。私達は考えた通りに行動しようとする時、自分を支配して統一する事は難しく、実際はかなりの葛藤が起こります。心は安楽と欲望を求める性質があり、行動や考えに反発したり、賛同しなかったりするからです。

その為、人は大抵、相当な我慢をし、心の声を無視しながら、生活しています。この時、心は「喜んでおらず」、我慢しているだけで、意識の方向は統一されていません。これを習慣的に長年続けていると、心が抑圧されている事がわからなくなり、やがてそれが病気や問題を引き起こすのです。

私達が何かに挑戦し、努力を始める時、大抵心は抵抗します。人が進化する為には、我慢や抑圧はつきものです。しかし、そのストレスを長年放置し、無視しながら進む事は良い方法ではありません。それは「本当は喜んでいない」状態で、実は意識に納得していない部分が残っている、つまり自分を支配していないまま生きている事になるからです。

仕事を猛烈にする人、無理して我慢する人などは、時々止まって自分と向き合い、本当は自分が何を感じ、どうしたいのか、何故楽しくない部分があるのか、その動機や考え方について、正直に自分の意識を知る必要があります。そうしなければ、自分の中に喜んでいない、本当は納得していない自分を発見する事はできないでしょう。

自分を統一する

このように理解すると、「喜んでする」と言う単純な行為は、実はとても難しい事だとわかります。もし本当に喜んでいるなら、体、心、知性は全て一つの方向を目指し、統一されます。考えた通りに行動するのは、行為もさる事ながら、自分自身の全意識が、同じ方向に向いているという意味を含んでいます。意志とは、考えた通りに行動し、尚且つ心も自然に従っている状態なのです。これは心の楽しみだけを追究する欲望の喜びや、こうでなければならないと無理やり説得したり、歯を食いしばる必死な状態とは違います。

自分の中のバラバラな意識が、全て同じ方向を向き行動している時、人は喜びを感じるものです。何故でしょう。それは自分が支配できている証拠であり、それこそが人間の使命の一つだからです。元々心は自分中心の感情と本能が強く働く器官です。感情を犠牲にしなければならない場面では、反発するのは当然です。しかし、仕事や人との関係の中で、自分より大事な目的を理解して行動し、結果を得た時、人は一人では味わえない別の喜びを得るものです。その経験こそが、心を支配する要因となるでしょう。

このような新しい立場の経験を積み重ねているうちに、心は自然と学習し、方向を変えていくものです。自分の心がどこを向いているか、正直に知っている人は、この変化や調整ができるようになります。自分の心と向き合わず、無視したり抑圧し続けると、本当は自分を支配していない事に気づけません。その気づきの為に、病気や問題が出てきて、人はやっと自分の真相を知るチャンスを与えられるのです。その時は、正直に自分と向き合い、何故意識が統一できなかったかを考えるチャンスとしましょう。

魂に対する謙虚さ

人が最も喜びを覚えるのは、魂が求める生き方に集中できた時です。全ての人が、その人生で取り組むべき問題を抱えています。進化途上の私達にとって、自分の心が言う事を聞かず、利己的で勝手な想いを持つのは当然です。だからこそ、自分に批判的にならず、正直に言い分を聞き、何を求めていたのかを知るべきでしょう。また、その事が自分の克服すべきテーマと、どう関係があるか、知る勇気が必要です。

人生で大きな変化があっても、何も影響されず、今までのペースも崩さず、同じように生きる人がいます。そのような人は、強く一貫した意志があるように見えるかもしれませんが、必ずしもそうとは言えません。影響される事をプライドが許さない場合や、頑固でどんな事があっても、生き方を変えられない場合もあります。これは本当の強さではありません。

何かを経験した時、人は物質的な方法論での反省はある程度できるものです。しかし、これらは性格や考え方を本質的に直す精神性まで踏み込んではいません。何故その選択をしたか、原因となる意識まで深く辿る事は難しいものです。その為には、プライドや自分の無知、怠惰性を認めなければならないでしょう。

そして、人が真実を知ろうとするその時こそ、魂の助けが必要です。それが魂の愛であり、今私達の訓練すべき知性の方向です。人は自分で考えて何でもわかると思いがちですが、真に必要な事は、魂から教えられるものです。私達は、自分に対して真実を知る努力と謙虚さを持つべきでしょう。

真の強さ

心底集中して考える為には、一時期倒れたり、ショックを受けたり、弱さを見せる事の方が必要な時もあります。その方が、今までの自分の生き方を止めるきっかけになるからです。本当の強さとは、心を抑圧したり、ショックを受けない事ではなく、真実を理解する真摯なメンタル的態度、そして理解した事を生かして変化する力です。

多くの人が長く生きる今、人間の価値とは何か、自分の生きた意味とは何か、考える時間が必要です。苦しみや辛さの中から、深く考えて自分と向き合い、初めて謙虚に自分を理解した時、私達はその意識の中に、魂の導きを発見できるでしょう。そして、理解した分、魂が喜ぶ方向に向かって生きた時、本当の喜びを得るでしょう。その喜びこそが、まさに人間の証なのだと思います。失敗しても、できる限りの努力と自分に対する誠実な態度で生きた時、喜びが無くなる事はないでしょう。それは何歳になっても変わらぬ真理であり、寧ろ年を取ったからこそ、精神の強さを身に付け、発見できる喜びと言えるのではないでしょうか。

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