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手紙:2020-12-11

感受性の再訓練

感覚の低下

最近「目が悪くなった」「耳が良く聞こえない」と、老化による五感覚の低下に悩んでいる人は多いでしょう。「これではもう何もできない」と悲観して、消極的になってしまう人もいるかもしれません。年を取ると、誰でも感覚が鈍ってきます。しかし、肉体的な聴覚や視覚が衰えても、人は訓練によって、五感覚の機能低下を補う別の意識を発達させる事ができます。

人生でこの訓練をしてきた人は、耳や目が悪くなっても、人の話を聞いていないとか、何も見ていないと言われる事は少ないものです。寧ろ、当人よりも、その人の意識を総合的に掴む事ができるので、知恵があると言われるようになる可能性があります。人は長年の訓練によって、目に見え耳に聞こえる以上の「何か」を掴めるものです。

この力は、肉体的五感覚の情報を、総合的に使い、相手の意識の源を掴む「洞察力」に結びつきます。私達は、視力も聴力も正常な若い頃から、何度となく「しっかり聞いて」「ちゃんと見て」と注意を受けるものです。そこから気づいて、五感覚を高め、洞察力に繋げる訓練をしていないと、人は老化と共に見えない、聞こえない状態となり、情報を掴んだり、理解する能力も低下してしまいます。

五感覚の中でも、聴覚と視覚は、現代人のテーマである知性の発達と直結する感覚です。今回は、肉体的には衰えても、なお訓練できる感受性の発達と知的訓練について考えてみたいと思います。

聴く力

人の話が良く聴けない主な理由は、感覚や感情の勝手な動きを抑えられない事が原因です。感覚は外からの様々な刺激に、反射的に反応します。反射は、自動的に「好き、嫌い」「快・不快」、「優劣」「善悪」などの個人的判断に結び付く癖がついています。この一連の反応が起こると、自分の中で繋がった固有の意識に気を取られ、それ以上観察したり、情報を探ったり、確かめたりする作業がストップしてしまうのです。

自分は考えて判断しているつもりでも、実は今までと同じ回路を巡っただけで、意識は十分な情報を掴んではいません。意識が習慣的に自分の中を辿っただけなのです。また、聞いた事に関連して、自分の情報やイメージが浮かんでくると、言いたい事が膨らみ、相手を遮って話し出してしまいます。話を充分聞いてないので、その主張は的外れな事や、同じ事の繰り返しが多いのですが、感覚に乗せられているので、その状態にも気づかないでしょう。

話を聞いていないと言う事は、耳が悪いと言う意味ではなく、反射的な感覚と感情をコントロールできない結果なのです。反対を言えば、話を正しく聞き、理解するだけで、感覚の支配、構築力、意味を理解する知的訓練になります。子供は知性が育っていないと、我慢して話を聞く事ができず、意味も理解できません。大人になると、訓練すれば、多少話を聞き、理解するようになるものです。その差は、肉体的な聴力の差ではなく、知性の発達に関係すると言えるでしょう。

感覚と思考

では、視力に関してはどうでしょうか。視力は、聴力より能動的なので、人は大抵好きな所だけを部分的に選んで見ています。それでも視力は一度に広い情報を得られるので、視力による判断は、もっと早く下されます。狭い範囲の情報で判断がついてしまうと、目は開いていますが、見たい所だけを見て、全体像や変化を見過ごしてしまいます。また見ていると、今度は聞く事がおろそかになります。

「聞きながら見る」、実はこの複合的な感覚の使い方は、結構難しいもので、すぐにできる事ではありません。ですから、ただこれだけを正確にこなす訓練によって、知力は相当進化します。何故なら、感覚を分離したり、複合したり、複数働かせる意識は、知性が行うものだからです。

更にその情報が「何を意味するか」を考えながら、見て聞く事ができるようになれば、感覚と思考を同時に行う事ができるようになります。これは知性の特徴である二重意識の確立に結びつきます。

日常で、この訓練を重ねていると、多量の情報を処理する頭の回転の速さと、総合的判断の洞察力が得られ、知性はかなり高度に発達するでしょう。習熟すれば、瞬時に多量の情報を処理し結論を導くスーパーコンピュータのような能力が得られます。コンピュータは時間がかかりますが、人間の知力はもっと素早く正しい判断が下せます。これが魂の力の投影です。

このように、私達は同じ日常生活の中で、まだまだ働いていない感覚を目覚めさせる事ができます。いつもの空間や人の中に、掴んでいない多次元の情報が存在しているのです。

まずは、子供に「お母さんは私の事を見てない、話を聞いてくれない」上司に「君は目的を理解していない、意味がわかっていない」と言われたら、掴んでいる情報が欠けている、あるいは反射的で回路が限定的になっている、わかっているつもりで、本当の意味が理解できないのではないか?と疑ってみましょう。そこから、注意深く聞き、見落とさないよう広く見る、掴んだ情報を確かめてみるなど、五感覚の働かせ方を訓練し直してみると良いでしょう。聞く事と見る事、更に同時に考える事を見直すと、環境や目的を変えなくても、同じ日常の中で、まだまだ知的に訓練できる事があるのです。

光を映す能力

さて、人間の五感覚と知性は、魂を映し出す重要な器官です。浄化し、洗練させて、最終的には聖なる光を映し出す道具とするのが目的です。進化の重要な条件に、「聖なるものを識別する能力、光に惹きつけられる感受性」があります。それは具体的にどうしたら実現できるでしょうか?

私達の五感覚や知性は、引力の働きがあるので、意識に従った価値観の情報を映し出し、惹きつける性質があります。ですから人の評価を聞いていると、対象となっている人物より、評価している人の価値観や視点がわかります。日常のさりげない会話や、常に話題になる事は、その人が今何に価値を置いているかを知る手掛かりになるのです。

人生は、変化の激しい現象に意識を奪われがちですが、私達はやがて、魂に惹きつけられる人になる事が目標です。ただ、光だと思ったものが、そうでなかったとわかるように、最初からすぐに光の方向を発見するのは至難の業です。これには、年月と経験と失敗が必要なので、今から光を探し、識別する訓練を開始する必要があります。

実は、人間の狭い評価と関係なく、全ての存在は神の計画の一部なので、魂の光はどんなものにも内在しています。どんな人でも、どんなものでも、存在する理由と、完成した時の素晴らしい未来像があるのです。しかし、成長の度合いや時間差がある為に、今その光が出ているとは限りません。

一方、魂は時空を越えて、未来の完成図を知る特性があり、いつでも光を放ってその完成図を人に伝える事ができます。私達が知性を魂に向ければ、光が差し込んで五感覚に光が映ります。この光は、全存在の内在する光を呼び起こす事ができるので、五感覚は、内在している光を発見するでしょう。五感覚で最も重要な能力は、正確に今を映し出す事と、未来の光を感知する事です。そして発達した知性は、優れた感覚に映し出された光から、未来の完成された姿を理解するでしょう。

聖なるものを識別し、感受する為に、私達は光を見ようとする態度を養わなければなりません。嫌な事ばかりに目を向けると、五感覚はその価値観に従った情報ばかりを集め、意識を閉じ込めてしまいます。

私達の五感覚の進化は、まだ終わっていません。まだ感じ取れていない広大な世界がある事を知るべきです。五感覚にも知性にも、光を映し出し、発見する能力が残されているのです。このような進化の方向を理解し、その価値を知れば、私達は同じ空間で、光に対する感受性をリセットし、新たな旅に出発する事ができるでしょう。

世の中が、暗黒に閉じ込められたように感じられても、実際に魂の光が無くなる事はありません。また、全ての存在から光が奪い取られる事もありません。人類は、苦しみの底で、光を発見すると言われています。魂の誕生とは、私達の知性、そして感覚の世界で、光を見る能力が誕生する瞬間です。クリスマスと新年に、人類の大きなチャレンジが始まるよう祈っています。

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