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手紙:2022-01-13

光の解放

審美眼の意味

日本やアジアには、古くから全ての存在に神が宿っていると言う教えがあります。実際、全ての存在は、地球にとって存在理由があります。全存在に内在している神性を見出す事は、宗教の真髄と言えるでしょう。

しかし、その教えを本当に理解し実感するのは、大変難しい事です。真の理解には、高い理性と思慮深い愛が必要だからです。残念ながら、私達はまだそこまで愛が発達していません。その為、理解が不十分で偏狭な理由から、しばしば人を批判し、対立して排除する事があります。批判や攻撃の理由は、個人的な立場では成り立つかもしれませんが、全ては地球に包括されて存在しているのですから、神でない限り、排除する権利は誰にも無いと言えるでしょう。

人間を含め、自然界のあらゆる存在には、実際神の生命が内在しています。その生命の特質を見抜く眼を「第三の眼」とか「審美眼」、あるいは「霊的識別力」と呼びます。そして、内在する力を、役立つものにする作業を「奉仕」とか「生命の解放」と言います。このように説明すると、宗教的に思われる生命の解放や奉仕は、現在、科学の分野で多く行われている事がわかるでしょう。

鉱物からエネルギーを生み出す事や、植物から薬を作り出す事は、実は神聖な作業です。また、人や動物の才能を見抜いて育てる教育や、多くの人のニーズに応えて創造的な仕事を担う事も、立派な奉仕です。このように、内在する力を見抜き、役立てる形にする作業は、本来人間の役割で、その為に全ての人に重要なのが審美眼なのです。今回は、審美眼の意味について考えていきたいと思います。

審美眼に必要なもの

審美眼は主に芸術分野で使われてきましたが、美を見極める眼とは、人や物を活かそうとする全ての分野で必要なものです。寧ろ、今までの芸術で言われてきたような個人的な感覚による評価や美の基準とは関係ありません。このような眼を持つ為、私達に必要な事は主に次の三つの要素が挙げられます。①「信仰心」②「観察力」③「考える力」です。

信仰心」は、見えない世界に偉大なものが存在し、全てのものはその創造物の一部であると認める意識です。例えば、地球が目的を持って進化している生命体だと理解する事は、立派な信仰心です。個人的な見地を離れて、壮大なビジョンを持った時、人は直観的に大いなる生命との繋がりを感じます。これによって、物事を肯定的に、ありのままに見て受け止めようとする謙虚な態度が生まれます。この意識は、審美眼の基本的な態度です。また、人に真の直観を与えるのは、どんな形であれ、見えない世界と応答する信仰心です。真の直観の助けがあってこそ、物事の存在理由を正しく理解する事ができます。謙虚な信仰心が無ければ、個人的な見方が頂点になるので、不完全で偏った審美眼となってしまいます。

次に「観察力」は、実際的な情報を集める力です。仕事でも、奉仕でも、この世で効果的な結果を出そうとすれば、良く観察し、それに関連する正しい情報を集める必要があります。しかし、ここでも、偏った考え方や未熟な知性だと、観察が歪み情報が偏り、誤った道筋を作ってしまいます。ここでも、客観的で包括的な観察をする知性が、この世で効果的な結果を生む基本になるでしょう。日頃から、偏ったイメージを持たずに、観察する訓練が重要です。

考える力は愛

最後に「考える力」ですが、これは物事の関連、関係性を理解する力で、愛の土台になります。愛が考える力とはどう言う事でしょうか?人は心が発達しているので、何かに接触する時、感覚を使います。その感覚に従って、個人的な感情が沸き起こってくるのです。通常はここで感情や感覚が増幅され、善悪美醜の個人的判断に結びついて終わってしまい、後から理屈がつくものです。しかし次のステップによって、感覚を愛に変える事ができます。

私は何を感じたのか?」「何故そう思うのか」、これが考える力の扉です。接触したものが何なのか、感じた感覚や感情は、一体何を「意味する」のかに集中し、追及する作業です。私達の感覚は、存在の表面的なものや、ある一部に接します。感覚も感情も、情報の一つです。そこを基点に、全体像や根本的な原因、存在の理由など、より深く高い次元に「接触」する事が、考える力となるのです。

「考える」作業とは、物事の表面や部分から、全体へと関連付け、より奥へと繋ぐ行為です。広がりや高さ、深さの繋がりを辿り続けると、やがては存在の真髄まで行き着く事が可能になります。関連や繋がりを発見すればする程、理解は深く大きくなります。だからこそ、考える事=愛は、感覚とは次元が異なるのです。

さて、このような広大な愛のレベルに至る前に、私達は感覚を単に分析する努力さえ怠ります。感覚や感情は、そこに留まると無意味なものになり、考えるきっかけにすれば、愛を生む鍵となります。愛は進化を推進する力なので、愛が無ければ知性も直観も得る事ができません。当然、審美眼も狭く個人的で不完全なものとなるでしょう。

神の具現化

善意や同情心の高い人は、これら三つの要素の中でも、突出して高い信仰心があります。現在、善良な市民は、人類を同胞と感じ、自然界とも命を分かち合っている事を認識し始めています。そこで、今私達の努力は、「観察力」と「考える力」に向けられるべきでしょう。この二つを強化する事で、より完全な審美眼に近づく事ができるかもしれません。結局、人は信仰に基づいて知性と愛を訓練し、真の審美眼へと近づいていく事でしょう。

またこれらの三つを組み合わせる事で、得たインスピレーションを、最も良い形で具体的に表現する事が可能です。真の信仰は、何らかの具体的な行動で示されないといけません。そうしなければ、信仰は創造性を欠いてしまいます。人間は審美眼で見抜いた特性を、具体的に表現する手伝いをする事が使命です。これが地上に神(内在する才能や特質)を具現する作業です。

地球では、物でも人でも、神性は厚い物質の殻に閉じ込められています。内部の神を解放して具現するには、閉じ込めている殻を破壊する必要があります。この作業にはかなりの努力と忍耐が必要です。科学者がある事を実証する為に、何百回も実験を繰り返し、失敗を重ねた末、ようやく成功する事を考えてみて下さい。同様に、私達が自分の神聖なる特質を表現するには、失敗を覚悟で相当な努力を続ける必要があるのです。

さて、審美眼を高める為には、芸術家が作品に満足する事なく探求し続けるように、考える力を磨き続けなければなりません。月日が経ち、経験を積んだ後には、以前最高だった考えも、その人にとって、過去のものになっている可能性があるからです。考える力が強く深くなればなる程、審美眼も鋭いものへと変化していくでしょう。その訓練は、平凡な日常生活の中で行われます。信仰心と観察力を、考える力によって結び付け、高める努力を、積み重ねましょう。

私達一人一人に埋め込まれた生命、それは人生を懸命に生きる事で、解放されていきます。絶え間ない正しい努力は、額の審美眼となって、光を放つようになるでしょう。その光は、私達自身の生命を解放した証です。そして周囲の生命もその光の助けを受けて、次第に解放されていくでしょう。それこそが、この世における神の具現化と言えるのです。

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