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手紙:2023-03-10

進化を支える感性

気づきにくい感性の未発達

皆さんは、自分自身の何を向上させたいかと聞かれたら、どう答えますか?色々な要望はあるでしょうが、「頭が良くなりたい」と希望する人は多いでしょう。現在、知性の発達は人類全体の一つのテーマになっているからです。現状では、多くの人の知性はこれから発達するところで、「頭が悪い」と言われても、「まあ、そうですね」と認めざるを得ないでしょう。

では「感性が悪い」と言われたら、どうでしょう?「感覚が鈍い」「感性が未発達」「勘が悪い」と指摘されると、「頭が悪い」と言われるよりプライドが傷つきませんか?私達はほぼ毎日感覚を使って生活しているので、当然自分の感性はまあまあ発達していると思っているからです。特に日本人なら、世界の中でも、芸術、技術、心の同調、思いやりなどは、優秀だと認められているので、そう思うのは当然かもしれません。

しかし、自分の過去を振り返り、人間関係や病気などの問題を反省してみると、そんなに感性が良かったと、断言できるでしょうか。寧ろ「どうしてもっと早く気づかなかったのか?」「何故あの時、ちょっと待てよ、と思わなかったのか?」と、感覚の鈍さ、狭さ、思い込みによる間違いから、未熟さを発見する事は多いはずです。

今、魂に接触するのは、高級メンタル界の意識なので、知性の発達は全ての人のテーマです。しかしその知性には、土台として優れた感性が必要です。感性を欠いた知性の発達は、将来魂との接触に失敗します。何故なら、感性が愛の光に向かうセンサーになるからです。では私達には魂意識の土台となる優れた感性が備わっているでしょうか?今回は改めて、感性の発達を探り、その方向性を確認したいと思います。

独自の狭い感性

感覚が非常に発達している人と言えば、色々な部門がありますが、芸術家、そして特殊な部門で、見えない世界と交信する霊媒が挙げられます。芸術家は、優れたセンスで美の探究、創作活動をしますが、魂的な芸術家は、そんなに多くはありません。そして霊と交信する霊媒は、寧ろ進化の為に、その能力を一旦捨てるべきだと言われています。どちらも感覚が発達していながら、魂の土台になりにくいのは何故でしょうか。

魂の土台になる感性は、愛の引力(第4チャクラ=アナハタ)に関係しています。愛は、人類が同じ生命を分かち合う同胞である事を教えます。人類は全体で成り立っていて、個人は部分を構成する一員だと言う事実を感じ取らせるのです。その感覚がもとになり、私達は様々な人の違いに興味を持ち、知り、どんな関係があるか考え始めます。また私達の命や能力は、魂から贈られたものであると言う自然な信仰心も与えます。このように、魂との愛の繋がりを、最初に感じ取るのが「純度の高い感性」です。

今、愛の広がりを受けて、どの世界でも、違う分野と組むコラボレーションやプロジェクトが広がっています。しかし一般的には、芸術でも、大半が自分の感覚を追求するのが主流でしょう。特殊で新しい表現を求め、自分独自の感覚を発達させ、高みに到達しようと探求します。

しかし、個人が独自の世界を極める考え方は、他と隔絶し、分離する傾向が強く、全体の中の一人だという感覚は、寧ろ薄れていきます。追求すればする程、先細りで独自性が強くなり、こうでなければならない、それ以外は芸術ではない、他の人は私の考えがわからないと、人に無関心で排他的になりかねません。

個人にまつわる出来事と感覚

また、死んだ人の霊と交信できるなど、人の過去世や人生にまつわる運命を当てる霊媒的能力は、特殊な感性として尊敬されるかもしれません。まさに神秘的な魂とコンタクトしているように思われますが、これは全て個人の感情と欲望に関する情報に過ぎず、それらを繋ぎ合せた物語です。人類の普遍性や全体的な愛とは次元が違うので、魂の光を反映しているわけではありません。

個人的な人生の情報は、どんなに追求しても、魂に戻る時脱ぎ捨てるものです。幻影のような物語が読み取れても、一つの次元を堂々巡りするだけで、魂に至る広がりにはなりません。広がりと高みが必要な進化には、個人の世界で働く霊媒的能力を一旦捨てなければならないのです。

このように、感覚的な探求は、方向を間違えると、物質的な低い次元に固執し、排他的で狭く、独りよがりになりがちです。霊媒でなくても、芸術家でなくても、私達は自分の感覚を信じ生活をし、あらゆる事を選択をしています。その感覚は、本当に発達したものなのか、改めて疑問を持ってみる必要があるでしょう。特に、多くの人と繋がる包括的な愛ある感覚なのか、純度が高い魂の光に惹かれる感覚なのか、未来に向かって生きる為、感覚の質について、注意深く点検する必要があるのです。

心は愛を映し出しているか

さて、知性の時代と言われますが、頭脳が優秀でも、人は物事を成し遂げ、成功するとは限りません。既に多くの人が気付いているように、人間関係が大きな鍵を握っています。具体的な数の多さと言う意味ではありませんが、人に対する包括性が、意識の世界でネットのように繋がっている事が大事なのです。この意識のネットが、魂からエネルギーを引き出す土台となり、物事を成功させる鍵となります。ですから、自分と家族だけでなく、多くの人を知り、繋がろうとする社会的な積極的感性が大切です。

昔から宗教では、神の愛が全ての存在を繋ぎ、生かしていると教えてきました。しかしこれは知識であり、事実として本当にそう感じているかは、別問題です。私達は自然界や多様な人の中で、神の愛や命の普遍性を、本当に感じているでしょうか。知ってはいるものの、実際の人生では、無関心だったり、自己中心的で排他的、保身的になっていないでしょうか。それはつまり、感性が分離的な人格に閉じ込められ、感性の発達が止まっている事に気付いていないのではないでしょうか。

私達はしばしば、魂からの直観と自分の感覚的思い込みを混同します。魂からやってくる直観は、現在の人類にとっては未知なものなので、微かで微妙な見えない線を掴むようなものだと知っておきましょう。絶対的で衝撃的、間違いないと断定できるような手応えのある感覚は、個人的で物質的なものの特徴です。また、魂の愛は、人類や生命全体に繋がるもので、個人的な事柄には関係しない事も覚えておきましょう。

方向の土台となる感性

では、知性を支える優れた感性の役割とは、どのようなものでしょうか。最高の感性は「聖なるものに敏感である」能力です。一般的に心が捉える感情や感覚は、何かを決断したり、救済するきっかけになるので、敏感である事は大事です。しかし、そこに意識を置き過ぎると、個人的な世界に入り込み、振り回されて正しい方向がわからなくなります。光に向かう心とは、もっと包括的で拡大に向かい、普遍的な感覚を伴うものです。このような感性を持つ人は、知性も限定的、利己的にはならず、時には分離的な知性に対しても、方向を諫めて修正する力を持つでしょう。また、欲望を浄化し純度を高める事で、言葉や行動に騙されずに、愛に反する異常さを察知する事もできるでしょう。

欲望や個人的な感覚に縛られない純度の高い感性は、元々魂の光に惹きつけられるように方向づけられています。ですから、安定した意識の土台を作り、知性の発達を支え、更に多くの人の命を包括します。そのような感性を磨くには、植物のように、ひたすら光を求め、欲望を浄化するよう努める事が大事です。生涯続ければ、やがて光を正確に映し出す鏡のような心を手に入れる事ができるでしょう。

体は年を取り、老化するのが物質界の法則ですが、意識は進化し続ける事ができます。特に、心の純度が高く、愛に敏感な人は、いつまでも若々しく、愛らしい魅力を持ち続けるでしょう。進化を学ぶ私達は、少なくともそのような感性を持つべきではないでしょうか。年齢や達成したものにこだわらず、愛に忠実な感性を探求して下さい。

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