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手 紙
手紙:2014-10-21
予防医学と意識
生活習慣が改められない理由
最近のテレビ番組は、医学の知識を紹介するものが大変多くなっています。これは私達が健康に並々ならぬ興味を寄せている事と、一般人の知性が、専門的な医学知識を理解するまで発達してきた事が関係しています。その中でも、どうしたら病気を避けられるかと言う内容が大変多くなっていて、予防医学の知識が、現代そして未来の主流になる兆しが見えてきました。
しかし、予防として生活習慣の指導を行っても、中々指導通りにはいかない、実行してくれないと言う医療現場の声があります。原因は、その人の心や考え方に問題があると言うのです。つまり、どんなに正しい知識があっても(与えても)、意識が変わらない限り生活習慣は改められません。健康が生きる目的ではありませんが、病気や予防にどう対処するかを見ると、その人の意識のあり方が良くわかります。健康の問題は、客観的な結果が出るのでわかり易く、また密教の観点からも「人間は考えた通りのものになる」と言う意識の投影なので、肉体状態は見やすい存在です。健康問題の背後には、意識活動の進化、知性と意志の発達があります。今回は、最も身近な健康の予防医学の観点から、改めて私達の意識活動を確認したいと思います。
生活習慣の改善が上手く行かない原因は、主に二つあります。一つは意志が弱い為に、変える事ができない事、これは私達が一番良く知っている要因です。毎日少しずつ運動しようとしても、体の惰性に負け、まだ病気にはなっていないしと、ついつい後回しにしてしまいます。飲食の改善も、欲望や習慣が勝ってしまい、制御に失敗します。
薬を飲みながら、習慣は今まで通り大量に食べ、お酒を飲み続けるケースは珍しくありません。原因はわかっていても、意志によって変える事はせずに、都合の悪い結果だけ変えたいと願い、安易な方法や薬を求めてしまいます。しかしこれは無理な願いであり、たとえその場は何とかなっても、悪い習慣や欲望の暴走は、結局何かの形で問題を起こすでしょう。人としては、病気より、意志が発動しない事の方が真の問題だと言えます。
二つ目は知性が正しく働かない為に、認識できない事です。検査結果から、改めるべき点を伝えると、「私は運動しているから大丈夫」とか、「うちは糖尿病の家系でないから」、あるいは「私は霊的に発達しているので、魂が守ってくれるから病気にはならない」と思い込んでいる人がいます。これは誤った信念や幻想を抱いている場合で、客観的にデータや自分を見る知性が曇らされている状態です。あるいは、健康を阻害する過度なストレスが慢性的にかかっている場合、それ程ストレスを受けているとは認識できない場合があります。その時、一度立ち止まって自分の心や体の状態を観察し、一般的な知識と照合して考える必要があるのですが、「そんな事ない」「まだ大丈夫」と軽くあしらって、認識を怠ってしまいがちです。人間の体や心はある程度共通の構造があり、同じ知識が適用できるからこそ医学や心理学、科学が成り立っています。自分を特別なものと見ずに、一人の人間として、客観的に眺めてみる、正しく認識しようとする態度が知性の基本となります。
感覚と感情が勝つ
健康を考える点で、知的に認識できないもう一つの原因は、物事を感覚的に受け止め過ぎる事が挙げられます。誰でも医者から悪い結果は聞きたくない、恐ろしいと言う感情が伴います。健康診断は受けるけど、郵送された結果の封筒を開けない人、病気があったら恐ろしいから検査しない人がいる程です。そんなに深刻でない場合でも、話を聞いた途端にうろたえてしまい、正しく受け止める冷静さを失うケースは良くあります。
どうしてそうなったか?と言う原因を考えるより、「困った!どうしたらいいですか?どうしたら治りますか?」と言う方法論だけ早く聞き、早く安心したいと言う感覚だけが働いてしまうのです。病気が見つかったら怖いから、検査には行かないと言う人も少なくありません。更に指示を聞いた時も、それはやりたくない、嫌いだと言う感覚的好みが先に立ち、正しい選択や検討ができなくなってしまいます。このような意識活動は、ただ感覚と感情が働いているだけで、知識を扱う知性がどこにも働いていません。
ここまで書くと、「そんな馬鹿な事、私はしない」と思うかもしれませんが、人の知性が発達しない理由は、日常生活で感覚や感情を使いすぎている事が一つの原因です。殆どの人が習慣(惰性)と感覚を主体に、24時間の大半を過ごしているので、これは人事ではありません。理屈や論理が色々あるので、一見知的に見えますが、何を説明したいのかを辿ると、根底は大別して「好き」か「嫌い」か、「良い」か「悪い」かの個人的感覚を正当化する為に、長々と説明している事が多いのです。
欲望、感覚、感情を表すアストラル界は、+極と-極がある楕円形をしています。これを動機とすると、自分の立場が最初からプラスかマイナスかのどちらかに決まっている(偏っている)特長があります。知性は、アストラル体の強い引力に引っ張られ、その立場を説明する為に使われるので、離れて働く事が困難です。この意識活動は、強める必要がないアストラル体(欲望、感覚、感情)を強化するだけで、残念ながら知性の進化には貢献しません。いくら色々理屈を考えても、正しい知的認識にはならないでしょう。
では、どうしたら知性が発達するのでしょうか?当然、私達は人間ですから、何らかの感情を持ちますが、それと同時に感覚を切り離した知性(理解)を心がける事が大事です。自分の感覚や立場から離れた客観的知性が必要なのです。良い事も醜い事も、都合の悪い事も正義も悪も、多くの判断は個人的な狭い意識に基づいています。それが既に感覚的極性に立っている事なのです。ですから、まずは物事の状態をそのまま理解するよう努力し、様々な原因や可能性、方法などの情報を検討する論理的態度を養いましょう。知的に理解する練習の為に、医学では医者や保健師などの指導者がいるので、指導の元、自分の状態を正しく理解する事が基本です。
この訓練は魂に通ずる意識の二重性、冷静な視点を確立する事に役立ちます。魂意識には、少なくとも自分や環境に左右されない「じっと眺めている視点」が必要です。実は、健康を考え、実践する事は、健康だけが目的ではなく、意識の訓練になるのです。健康は年齢を重ねれば、全ての人に関わる身近な話題です。自分を正しく変える努力をしなければ、魂が働く余地がありません。訓練し、結果を出して検討する事で、意志と知性を鍛えるのに相応しいテーマと言えるでしょう。
健康は永遠の目標
人間は完全な健康に憧れます。「完全な健康は、魂が完全に人格を支配した時」与えられるので、私達はそれが一つの進化ゴールであると知っているからです。つまり、健康とは肉体だけの問題ではなく、心や知性を含む人格全体に、魂の光が行き届いた状態を言うのです。その為、永い転生の中で、全ての人が病気になります。それは創造と破壊のプロセスです。
密教的に真の健康とは、超人の域に達した「大師」になって初めて実現可能なものです。人間は、進化した遠い未来、やがて多くの人が健康になるでしょう。しかし、このような真の意味での健康に向かう前に、今わかっている医学的知識を活用し、生活習慣を改める経験を積むべきです。何故ならその実践が、全ての人にとって、知力と意志の基礎となるからです。
年齢を重ねると、肉体力が弱まり、長年の意識の結晶化や癖が、様々な不具合を引き起こします。それは当然の事でしょう。だからこそ、今まで人生で培ってきた知性と意志を揮わなければ、改善する事ができません。ここが素晴らしい所であり、自分の意識と向き合って、真剣に考えるチャンスとなります。
今、完全な健康に至らなくても、全ての人が大きな意味で同じ方向を目指して道を歩んでいます。人格の地道で小さな努力が、魂への道を開きます。失敗から学ぶ強さ、正確に学ぶ知的努力、自分を変えようとする意志を、永遠に持ち続ける事で、肉体の死を越える魂の道が切り開けます。
良き目的を持ち、社会に貢献する為に、健康は大事な要素です。決意するのに遅すぎる事はありません。何があっても、地球は毎日朝を迎え、春が必ず巡ってくるように、私達が諦めずに、正しく理解しようと務め、自分を変えようとするならば、春は素晴らしい知性と意志が巡ってくる季節となるでしょう。魂は、私達に繰り返しチャンスを与えている事を忘れないで下さい。