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手 紙
手紙:2022-09-02
見ている世界
見たいものを見る
昔から「人は見たいものを見る」と言われていますが、これは密教的にも真実です。同じ経験、同じものを見ても、人によって捉え方は千差万別です。よくある話では、ストレスがあったり不幸だったりすると、嫌な事、不快な事、腹の立つ事ばかりが目について、更にイライラしたり、落ち込んだりします。反対にハッピーだと、全ての世界がバラ色に見えると言います。しかし、客観的には世界が変わった訳ではなく、その時の意識が違うだけで、自分が違うように捉えているだけなのです。
「そう言われても、別にそう思いたくて見ている訳ではない」と言うかもしれません。では「意識を置いている波長が同調して目に入ってくる」と言ったらわかり易いでしょうか。「認知する意識=マインド」が、どの次元の何に焦点があるかによって、見えるもの、認識するものが違ってくるのです。
同じ経験の説明でも、人の意識によって、見え方や解釈が違うので、細部にわたり完全に同一の説明はありません。だからこそ、「この世は幻影だ」と言うのです。確かに現象は存在し、変化する事は事実ですが、「同じ幻影」はありません。今回は認知力=マインドが何をどう見るかを考え、その性質と進化の可能性を考えてみたいと思います。
意識の周波数
人には一人ずつ「自意識」があり、「自分」と周囲の環境を認識します。自意識は色々な次元の様々な事を認識する装置のようなもので、意識が引き付けられたものを認知します。ネットで検索する事柄に沿って情報が入ってくるようなものです。また、自意識は意識を置いた世界のものを、引き寄せたり拒絶したりする選択能力があり、これによって認識できる、できない、拒絶するものなどが違ってきます。
自意識の認知機能の発達や特質は、パソコンのように、人によって特質や差があります。広範囲の電波を受信し、分析、作業できるものから、ある特定の範囲を専門的に受信するもの、低周波しか受信しないもの、受信した音や画像の正確さや処理の速さなども違います。このような「装置」として意識活動を説明すると、誰が正しいかではなく、何故自分がそのような見方をするか、何をどう見る傾向があるかを理解できるでしょう。
例えば、よく腹の立つ人、批判的な人は、自分の考え方が狭く固まっているので、周波と合わないものは、跳ね返す回路を頻繁に使っています。そしてその回路を使えば使う程、「怒る周波数」が敏感になり、どの人を見ても怒りの焦点を見つけ易く、「ろくな人がいない」と断定するようになります。一方、善意の強い人は、善意に敏感に反応し、善意を持つ人を見つけ易くなり、周囲にそのような人を集めるでしょう。つまり、自意識とは、意識を置いた特定の周波数を「引き出す」ので、それを認識できるのです。理解できる事、すぐわかる事とは、自意識が発達している「周波数」を表します。私達は人を見る眼を通して、自分の自意識の発達具合を知る事ができるのです。
神性を見る力
私達の認知機能は、普通は外的世界を認識するものです。しかし自意識には、もう一つの重要な機能があります。それは、見えない内的世界を認識する働きで、いわゆる「魂=進化の方向を認識する理知性」と繋がる意識です。以前の時代、心が発達した人類は、感性を通じて魂を発見しましたが、現在は、一人一人の発達した知性を内的世界に向ける事で、魂を発見する新たな挑戦をしています。
魂は、人類全体が地球の進化計画に沿って進化する方向を認識しています。外に向かう意識が、個別のバラバラな存在を認識するのに対し、魂は人類全体の方向性を掴むので、魂の一体化や生命の普遍性を認識します。つまり、人類の向かっている神聖な未来や神の存在を認識するのです。そうすると、全ての人には内的な神性があると気づきます。自意識が内的に拡大し、魂意識を認識すると、たとえ今表れていなくても、自意識の背後には魂がある事、時間がたったら必ず神性が表れる事を知るでしょう。
反対を言えば、自分に神性を認識できないと、人にも認識できません。認識できないのは、相手に無いからではなく、自身にその周波数を受信する力が未発達だからなのです。それなら、人を見ても分離的、懐疑的、否定的、悲観的、差別的になるのは当然です。「人は愛である」と教えられたところで、自分自身で認識できなければ、架空の話になり、日常生活は全く別な行動を取ってしまいます。
また、神性とは「優位性」とは違います。優劣は、人格の自意識が分離的に働いて勝手に決めた優劣です。魂の神性は、自意識の背後にある愛の原理で、この世の評価と関係なく、誰にでもあるものです。
自己統一の焦点
自意識とは、魂がこの世で活動し、光を伝達する為に創った「仮の意識焦点」です。自意識が正しく発達すると、知性が発達するので、人はこの世である程度自由に活動できるようになります。仮の意識であっても、自意識が自分を支配できるまで、知性は発達させなければなりません。この統一された自意識こそが、内的世界に向けた時、魂と接触する焦点となるからです。
そうなったら、次に必要なのは魂意識です。何故なら、本当の進化、真の目的は、自意識を通じて、魂エネルギーをこの世に伝達する事だからです。どんなに経験の幅を広げ、忙しく活動しても、経験の意味が向上しなければ自意識はそれ以上発達しません。色々な結果は出るかもしれませんが、意識のエネルギー的な質は変わらないのです。
本当に意識の質を高める為には、魂の助けが必要です。では、どうしたら魂を知的に発見できるでしょうか?これには、優秀な科学者のように、人生を通じて、粘り強く、意識の実験を続ける努力と忍耐が必要です。まずは「魂がある」と仮定して、その方向に意識を向ける時間を一定して取る必要があります。それは「瞑想」とも呼ばれますが、どんな分野でも、人類が進むべき道を探求し、意識を集中させるなら、それは瞑想と呼べるでしょう。そして、魂が何を考えているかを積極的に知ろうとし、得たアイディアは、実験的に目的に応用し、活動に活かしてみましょう。
このように、仮定に基づいた生き方を、一定期間持続して実験する態度が重要です。当然、やっている最中に、疑いや迷い、怠惰な気持ちが生まれてくるでしょう。その時、無理やり信じる事は重要ではありません。立ち止まって考え直し、何を求めているのかを再認識して、ある結論が出るまで続ける実験と考え、長期的に続けてみるべきでしょう。これは人生を通じた壮大な実験です。すぐに結論が出る訳ではありません。途中で気付いた間違いは訂正し、再び取り組む必要はありますが、魂を発見しようとする意志を失わない事が重要でしょう。
さて、私達が神性を発見、実感した時、人は驚くに違いありません。何故なら、既に多くの光が以前からあった事、世界にも多くの証があった事、他の人にも同様に、昔から魂を示すものが無数にあったと気付くからです。見る目や考える視点が無かった為に、わからなかった、見えなかっただけなのだと、真に理解できるでしょう。人類の歴史は、表面的には競争と戦争の歴史かもしれませんが、その背後には光と愛の進化の歴史であったと。私達がそう言える日は、遠くないかもしれません。