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手紙:2016-11-11

自分の関門

家庭問題の本質

皆さんは今、精神的に不平、不満、苛立ち、不安を抱えていますか?勿論、多くの人が抱えているでしょう。長年精神的な成長を求め学び、周囲にも善き事を表そうと努めてきたので、年をとったら心は穏やかになり、透明で無欲、浄化されていくものと思っていた人は少なくないのではないでしょうか?ところが、終わったはずの家庭問題がまた浮上し、悩んでいる。そんな思いを持っている人は意外に多いのです。

家庭問題は、感情、欲望、本能が無防備に出る場所です。最後まで問題が残り易いので、何故悩んでいるかを理解すると、自分に残されている心のテーマを発見する事ができます。また、時代に沿って、家族関係も問題も変わってきています。このような悩みの意味するものを考えてみると、真の精神的変化と、時代精神に沿った新たなテーマを理解できるでしょう。

まず正直に自分の関心事(意識にひっかかっている事)が一体何か、一番の不平、不満、苛立ち、怒りを覚える事柄は何かを考えてみて下さい。それが家庭に関する事であれば、自分の意識の焦点が「家庭問題に象徴されて」表れていると理解できます。「昔悩んだけど、もう解決して卒業したはず!今悩んでいるのは、新しい問題」と思うかもしれません。しかし、本当に新しい問題なのでしょうか。意識の本質は同じかもしれません。

「解決した」と思っていたけれど、仕事や趣味など別の事に意識を移したり、このような学びに没頭し逃げていただけで、意識は変わっていなかったのかもしれません。確かに意識を別の点に離すと、問題は力を失って下火になります。しかも精神的な勉強や奉仕活動に献身しているので、理屈では理解できたので越えたはず、しかも徳が積まれているから、問題が打ち消しになって起こらない、と言った思い込みがあるかもしれません。

しかし、それでは問題に蓋をしていただけで、明確な理解と納得に至っていなければ、真に解決したとは言い難いのです。再び時期が巡ってくると、問題は形を変えて表面化してきます。違った形の問題となって、また意識にひっかかり、思い通りにならない不平、不満、苦しみ、怒りが心を占有するのです。

何が悩みか書き出してみると、その人の問題の根本は同じであり、ある意識が共通して引っかかっている事がわかります。これは自分の事では分かりにくいのですが、他人の問題を一定期間眺めていると、そのパターンが客観的に見え、意識の根本が何か推測できると思います。それを自分にも適応できたら、もっと本質が見えてくるはずです。

自己統一の時代

悩みの原因をもう一つ別の角度から考えてみましょう。現代の時代精神は科学と知性の発達をテーマとしています。その為、どんなに思いが強く献身的であっても、物事の扱い方や法則の読み方が間違っていると、対処を誤り、問題は解決されません。結果は思わぬ方向に走り、想定外の結果だけでなく、別の問題をも引き起こします。

知性とは、関っている法則を知り、原因を洞察する力です。これが正しくないと、人間関係、子育て、家庭、仕事、あらゆるものの結果が狂ってきます。心がどんなに透明で強くても、知的に考えないと予期せぬ結果となる、これは時代精神の力が関係しているからです。

以前の時代では、感性の発達がテーマだったので、私達は理想に情熱を注ぎ、献身する能力を獲得してきました。結果や現象より、想いを尽くす方が大切だったのです。ところが現代は、知性を使って物質面まで従わせ、一致したものにするテーマが加わっています。心だけでなく、知性の発達が加わったのです。この新たな能力の発達によって、私達は強い心力と、結果を検討する知性、それを実行する強い体の三つを統合させ、個性の完成へと向かっています。これらのどれかが欠けたり、一致していなかったら、問題が生じるようになっているのです。

 

家庭は、私達の自己保存本能や自己愛が最も出易い場所なので、自己統一が乱れ、欲望が暴走し易いのです。家族は本能で繋がっている場なので、自己の延長であり、本能的な執着が問題となって表れる場所なのです。ですから家庭問題が解決し、(あるいは解決しなくても)意識が囚われなくなると言う事は、実は大きな浄化の証です。

仕事は逃げられても、家族からは逃げる事が難しいものです。どんなに逃げて忘れようとしても、家庭問題は自分自身の延長なので、支配されていない本能を正しく理解し、執着点や誤り、低級我の計算などを把握しない限り、心が自由になり責任から解放される事はありません。家庭に現れている問題は、相手ではなく、自分の中にある問題の投影なのです。

問題が象徴するもの

家族では、過保護がしばしば問題になります。過保護は止めにくい行為の一つで、精神的な教えや原理を学んだのに、いざとなると、ついやってしまう行為です。他人ならしないのに、何故家族には特別になるのでしょうか?それは、自分と家族の分離ができていない為、そして問題の本質が自己愛であると理解できないからです。

人間の進化は、単に現象面が上手く行く事ではありません。やってあげて良い結果が出ても、一時しのぎの自己満足や安心が得られるだけで、相手は何も変わっていません。家族であっても、個人の進化はその人の担当なので、当人の意識が変化するまで待たなければならないのです。代わりにやってあげたい、面倒な事が起こらないように、さっさと結果を出して終わらせたいと思うのは、精神の成長を無視した物質的な自分の思いです。ここには魂の信仰心が薄れてしまっています。もし、家族であっても、相手に魂があると信じていたら、過保護になる程面倒を見るでしょうか。

良く考えてみましょう。人や物事が一時期思い通りになったからと言って、それが魂的な進化とどの位関係があるでしょうか?自分の考えや思いが、そんなに正しく、価値のあるものでしょうか?たとえ一時期現象面がそうなったからと言って、意識が変わらない限り、心配や不安、怒りは別の形で湧いてくるものです。過保護は行為を止める事で解決するのではなく、越えなければならない自己保存と恐怖を認識する問題なのです。

家族には過保護になる一方、反対に他人との問題では、人のせいにして、何の疑問も持たずに平気で怒っている事があります。問題は自分の意識だと学んだものの、いざ現実問題になると、「この事に関しては、絶対あの人がおかしい」と考えます。しかし、自己保存が強ければ、他に向かって攻撃的になるのは、ある意味当然です。過保護も攻撃も、自己保存の裏表の表現です。この点を理解しないと「浄化」すべきものが何かわかりません。「問題は自分自身の中にある」、この単純な原則を、家族と社会生活での両面で、もう一度思い出す必要があります。

もし、あなたが家族問題に悩んでいたら、あなたの中の何が解決していない為に起こっているのか、何を象徴しているのか、よく考えてみて下さい。家庭問題以外で悩んでいる人も、現象の何が悩みなのか、以前悩んだ時はどういう場面だったか、どんな時に起こったかを考えてみましょう。問題が象徴するものとは一体何でしょうか?まずこの事を考えた上で、それから物事の対処と人間関係に当たりましょう。自分の意識と向き合う事は勇気が必要です。しかし、正しく知的に責任を果たす為には、結局これが一番の近道です。

何歳になっても、悩みがあれば、真摯に自分と向き合う姿勢が大切です。自分の意識を修正するのに、物質的な年齢は関係ありません。間違いに気づいたら、魂に向かって素直に「はい」と答えられる事が、寧ろ年をとったからこそ、身についた美徳の一つとなるのではないでしょうか。年をとって悩んだからこそ、真に越えられる関門もあるのです。

 

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