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手紙:2017-04-14

信仰心を問う

信じるとは何か?

人間である定義の一つに、宗教と言うものを知っている事(信心の有無は別)が挙げられます。古代から人々の生活は、常に宗教のそばにありました。ですから「信じる」行為は、人生の様々な場面に現れてきます。誰しも今まで「信じた」もの、あるいは現在信じているものがあるでしょう。特定の宗教、あるいは神の存在、家族、愛する人、政治や国、力や科学、自分を信じるなど、その対象は具体的なものから抽象的なもの、見えない霊的なものまで千差万別です。

信じるものがあるからこそ、勇気が湧き、生きる気力や力が数倍になる事もありますが、反対に信じたからこそ、期待が裏切られた時、落胆や絶望は深くなります。「長年良かれと思って信じてきたのに、こんな結果になるなんて、私の人生は一体何だったの‥?」「家族を信じて尽くしてきたのに、その結果がこれなの?」多かれ少なかれ、このような経験は誰にでもあります。極端な場合は、相手や世界まで恨む事になる信仰の問題、何故このような事が起こるのでしょうか?

「信じる」の密教的な意味は、「法則を理解し会得する」と言う事です。つまり宇宙、霊界、魂、自分、人間、世の中、現象界…、それぞれに働いている法則を認識し、法則に沿って行う事です。法則通り行えば、結果は信じた通りになります。裏切られるのは、信じた法則が間違っていたと言えるでしょう。

私達の「信ずる」は、殆どの場合自分の欲望と勝手なイメージを信じているので、現象や対象に働いている法則や性質を、理解していない、配慮していない場合が多いでしょう。誤った情報や法則を信じて事を進めていけば、期待したものと違った結果になり、落胆するのは当然の事です。ところが私達は信じた対象を恨み、自分の読み違えに気づきません。

殻を破り、成長する

魂の特質の一つは「識別力」や「洞察力」として表れます。魂と呼ばれる私達の純粋理性は、本来宇宙の愛と同調しているので、愛の法則と一致して働いています。一方私達個人が生活している地球の物質界は、分離とカルマの法則が働いています。私達の意識は、物質界と魂界の二つの法則を理解する力があり、魂の法則を現実世界に伝達し、適応させて、世界を高める事が使命です。

まず、この世の識別力ですが、人格が成長し、知性が発達する事で身につきます。年齢と関係なく、人格が未成熟なうちは、人は自分の殻の中で、勝手な想像力を働かせて、色々な事を夢見ます。夢や理想を描くのは人間の特質ですが、子供の夢と同様、未熟な間は独りよがりの夢を見る傾向があります。その人の眼は、厚いガラスのような殻を通して世の中を見ており、ガラスには自分の希望や夢の絵が描いてあります。よく見えないどころか、自分の想像や思い込みを見ているので、外界すら余りよく見ていないのです。この状態は、まだ世の中と明確な関係が持てないので、この世の識別力すら発達しません。

しかし、人は自立しようとすると、家庭から飛び立って独立した生活を始めます。自分の足で歩み、自分の眼で世の中を見て、経験を積む為に社会に参加するのです。家庭はある程度同じ殻の人々が生活し、甘えて許し合っている場所ですから、殻の違いや夢の差があっても、それ程大きな違いはありません。ところが世の中に出て、自分の力で歩み始めた瞬間から、人は社会と接点を持ち、自分の識別力や考え方が通用しない事がわかって当惑します。つまり、自分勝手な法則の限界に出会うのです。

ここから人は初めて自分の殻を破って、様々な人、あらゆる現象を、正確に、客観的に把握する努力が始まります。これが知性の土台となります。自分の勝手な想像の誤りを認め、あるがままを見る眼から、この世の識別力や洞察力が発達します。正しい情報と分析があって、初めて背後に働いている法則が洞察できるのです。

相手を否定したり、自分の好き嫌いや考えの押し付けをしている間は、どんなに多くの経験をしても、知性はそれ以上発達しません。誤った情報や、勝手な思い込みで何かを信じれば、必ず期待は裏切られます。「もう人を信じられない」と言う前に、自分が信じたものが、幻影だったのではないかを点検する必要があります。そして、思い通りにならなかった経験、落胆こそ、自分の殻を破り、意識が成長するチャンスなのです。

古い時代には信ずる事は、盲目的で情緒的な事柄でした。しかし人類の知性が進化した現代では、愛も情緒的な愛から、知的な愛へと、次の段階へ進もうとしています。情緒的な愛では、人も自然も真に癒されないとわかってきたからです。

同じように、信じる質も一段高い状態へ移行します。それには、「あるがままをそのまま見る」努力が必要です。しかし、このシンプルな行いには、実は相当な勇気と意志が必要です。何故なら相手をあるがままに見る為には、自分を守っている殻を次々と打ち破る犠牲が必要だからです。自分以外の生命を真に愛するならば、私達は自分の殻を破って、世界をそのまま見る勇気が持てます。真理を愛し、世界を知る探究心があれば、自分の小さな殻を捨て、世界の法則を受け入れる事ができます。そして、正しく見た情報、状況の背後に、初めて法則が実感でき、何を信じたらいいのかがわかってくるでしょう。

魂の法則

もう一つの識別力は、魂界に働いている法則を理解する事です。魂は愛(引力)の法則に従っています。物質界は、無限に変異し、分離して、それぞれが存在しようと自己主張します。それに対して、魂界では、全ての存在は神の創造物であり、目的があり、命を共有している真理を理解しています。全てのものは、神の創造において関係があり、神の大いなる目的に向かって進化する法則を理解しているのです。

魂は、あらゆるものを正しく理解し、進化の法則に向かうもの全てを結び付けます。命が向かっているその方向は、神の大計画です。この事実に関係する事と、分離した個別の主張に限られた事を識別する力が真の識別力です。物事に接した時、分離した個人の欲望に関する利己的なものか、それとも人類や生命全体を高める非利己的なものかを区別する事が、進化の鍵となります。これは、価値観の大転換を起こす識別であり、弟子の条件に挙げられる重要な一点です。

しかし、この識別はそう簡単にはできません。私達は自分個人、あるいは限られた特定の殻に入っていると、既に意識が分離しているので、全体が見えません。限られた殻の中では、自分の勝手な取り決めに従った夢を、良い事だと信じてしまいます。魂の識別力は、何重もの殻を延々と破り続けた後にようやく養われます。大変な道ですが、魂の法則を理解しようとする事自体が、人間の大いなる進化を促進するのです。そして、完全な理解に近づく程、信じるべきものが何かが明確になり、苦しみや落胆から解放されていくでしょう。

愛は私達が想像するようなロマンチックで情緒的なものではありません。寧ろ、人間を取り巻いている妄想の殻を打ち砕き、真理の光を差し入れる破壊力を伴います。しかし、愛の真実が見えた時、人は信じるべきものは、その法則であると次第に理解するでしょう。

人生も終盤に近づくと、人はしばしば「自分の信じていたものが何だったか」を目の当たりにし、絶望と茫然自失に至る事があります。それは個人的な野心や小さな殻の中で描いていた夢からすると、大失態なのかもしれません。しかし魂の信仰から言えば、長年自分を覆い続けた殻が破れ去り、真の信仰に至る出口が見えた瞬間です。

私達はまた自分の殻の中に戻ろうとするのでしょうか?それとも喜びを持って、意気揚々と新たな世界に一歩を踏み出していくでしょうか?その時々に、「信じる事の真価」が問われるようになるでしょう。自分が何を信じているか、探し求めている人は、全て道の旅人です。永遠に続くその道を、多くの方と一緒に歩みたいと願っています。

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