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手紙:2017-05-05

魂の性質

自然界の無欲

日本は世界の中でも、四季折々の自然を楽しめる美しい国です。歴史的にも、自然と関係する数々の哲学や宗教観が生まれ、日本人の生活に浸透しています。では何故自然はそんなにも美しいのでしょう?人間はどうして自然の美しさに心を奪われ、時には神を感じる直観を得る事ができるのでしょうか?

自然は地球が到達した智恵を、様々な形で具体的に表しています。その智恵は宇宙の数学的な法則と共通のものがあります。法則に沿って表現された形に、人は「美」を見出し、普遍的な哲学や法=神のアイディアを感じ取るのです。宇宙法則は人間の都合や欲望、期待や夢を超えた壮大なものです。人は自然を前にして、美しさと同時に、時には無力を感じ、神の峻厳さを思い起こすでしょう。

自然は神の法則に統御されています。そしてその表現には、まだ人間が到達していない素晴らしい美徳が表されています。それは「無欲」と言う特質です。自然は時に人をのみ込み、他の命を奪う残酷な一面も持っていますが、無欲だからこそ、全体は調和し、生命を与え合い、淡々と生々流転しているのです。

私達は自然の営みを目の当たりにした時、自らの悩みや欲望が、小さく愚かなものであると感じ、欲望から解放される事があります。人は自然界に働く無欲の力に、無意識に感化され、それが素晴らしいものだと理解する本質があるのです。

無欲は、慈悲と美を生み出す「魂の特質」です。魂は宇宙的な愛から生まれた存在であり、宇宙の法則を無償で伝達し、命を進化させようとしています。人間は魂として無欲を知っている一方、個人としては、欲望の達成を夢見る矛盾した生命体です。そうでありながら、人の本質は魂の愛なので、無償の愛や普遍的な美に感動を覚えるのです。

「自然な愛」は見返りを求めず、ただ与え続けるだけです。しかし人間は、個々の意志と欲望を持っているので、自意識がはっきりすればする程、無抵抗に従う事を拒否します。だからこそ、進化してきた人間にとって、全体と調和する「自然な愛」は、大変難しいものなのです。自意識を勝ち取り、更に全体と調和する無欲を達成する、そのような生き方は、人間にとって「道」そのものと言えるでしょう。今回は、自然界に表現されている無欲を考え、魂の性質を理解する糸口を探りたいと思います。

愛と無欲の関係

私達は普段、自分は愛を知っていると考えています。だからこそ、愛を与え、愛を表現し、美しく生きようとするのです。ところがその結果はしばしば問題となり、落胆と絶望を招きます。良かれと思って与えた愛が、どうしてそのような結果になるのでしょうか?

人が愛を想う時、殆どの場合「無欲」ではありません。ただ与えるのではなく、見返りや期待、自己顕示やプライド、自分が望んだ結果を求めるなど、個人の欲望が無意識に絡んでいます。あるいは愛ゆえに、良かれと思って奉仕したつもりが、相手の欲望を増長させてしまう事もしばしばです。何故なら個人と言う存在は、欲望を表現する特質があり、魂的な善意の愛は、欲望と混ざり合ってしまうからです。

無欲であれば愛は増大します。反対に欲望があれば愛の特質は少なくなる、あるいは無くなってしまいます。私達はこの簡単な原理を良く理解する必要があります。何かを為そうとした時に、その動機が何かを、注意深く調べる必要があります。そうすると、自分も相手も、動機の中に、欲望が見事に形を変えて潜んでいる事を発見するでしょう。個人の欲望と愛は、法則的に同居できないので、その本質の純度を見極めなければなりません。

自分を見る勇気を持つ

人間は長い歴史を通じて、当然のように欲望を追求し、これを夢や理想と称して、野望の達成を称えてきました。私達は愛が素晴らしいものであると知っています。愛を捜し求め、表そうと苦闘し、宗教や哲学、道徳や教育などが、絶えず説かれてきました。しかし愛は、地球や太陽系の法則を理解する理知性で、大変高度な為に、正しく理解する事が難しいのです。法則を愛し、理解する、そしてその通りに行動する愛は、知性の未発達と個人の欲望で変形し、歪んだ解釈となってきたのです。

しかしながら、この時代、ようやく私達は、その本質に近づき始めています。太陽が突入した「水瓶座」の時代は、人間が愛を知的に理解し、表現できるよう無限の可能性を与えているからです。人間は「欲望の時代」を脱出する絶好のチャンスに恵まれています。その鍵は知的な識別力の発達と、無欲の二つであると言えるでしょう。

現在ほど、個人の自由が世界中で重んじられる時代はありません。地球は人間が愛の本質に近づく為に、自由に考え、自由に意志する事を促進しています。何故でしょうか。それは、一人一人が自由に欲望を表現し、更にそれを越える知性と強さを育てようとしているからです。欲望を追求する事は、愛の法則に反する事を、一人一人が自分で理解しなければなりません。そうする事で、人類の愛は、自然界の愛より、次元の高い無欲を達成できるのです。その為には、自分で目的を決め、人と論議し、考えて行動する自由な意志を育てる必要があるのです。

以前、人間の社会では、ある特定の人が説く政治、宗教、文化、習慣、考え方に、盲目的に従う事が通常でした。個人は自由に考える力も無く、そのような能力を育てる教育も受けられませんでした。それどころか権力を持つ者が、自分達の利益の為に、多くの人々の自由意志や考え方の進化を抑圧してきたのです。国家であれ、親であれ、個人の自由な発言や考え方を阻むのは、現在の地球の進化とは一致しないのです。

さて、個人が自由に考え、生き方に責任を持ち、結果を得る事には、もう一つ大きなメリットがあります。それは、「自分を見つめる眼」が発達する事です。自由であれば、人は結果において自分を客観視する事になります。非を認め、原因を追究する能力を得るのです。客観的に自分を見る事は、中々難しい事ですが、自由に選択したからこそ、人のせいにはできません。魂は、光の眼で人格を見つめています。同じように、私達は自分を見る事で、魂の眼に近づいていきます。自分を見つめる勇気、思慮深く原因を考え、率直に認める力こそ、魂に近づく一歩なのです。

単純な真理の実践

では、真の愛に近づく為には、どんな注意が必要でしょうか。まずは失敗を恐れずに、目的を決め、行動し、自分で考える力を身につける事です。成功し、上手く行く事だけが大切ではなく、その過程で考える力と、自分を支配する意志を身につける事が重要なのです。

それには、心や知性を穏やかにし、人には親切である事を心がけましょう。穏やかさは、魂を受信するのに大変重要な特質です。親切さは、人に害を与える生き方を軽減し、無欲に近づく訓練になります。これらの生き方は、余りにも単純で昔から説かれてきた事なので、道を学ぶ人々が鈍感になりがちな真理です。しかし一見利口に見えないこのような生き方が、無欲を促進し、欲望の幻影から身を守る最も有効な方法なのです。実際してみれば、いかに難しいかがわかるでしょう。

ここに大師の残したシンプルな名言があります。「たとえ全世界を手に入れても、魂を売り渡したらそれは無価値である」。どんなにこの世で認められ、絶大な力を振るっても、魂に沿わない生き方は、無価値です。この名言をもう一度噛み締めて、無欲と美を探究する勇気を持ちましょう。人は自然界の無欲さに感動します。しかし人間は、自然界を越えた高いレベルの無欲が達成できるのです。一人一人が自由意志で選択した無欲な生き方は、自然界と同胞を照らす光を放ち、無限に高まっていくでしょう。

 

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