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手紙:2017-06-09

霊的生活の鍵

関係の円を測る

皆さんは最近何らかの問題、苦労、重圧などを経験され、真剣に考えたり悩んだ事はありますか?それはどのような、誰に関する、どのくらいの範囲に及ぶ事だったでしょうか? 私達は誰でも自分の身に起こった事については必死で考え解決しようと悩みます。

しかしその範囲は、自分を中心とした小さな円内に限られており、世界で起こっている事、それどころか周囲にいる友人や同僚、時には家族についても、何が起こっているか殆ど知らない場合があります。興味を持っても、自分と直接「関係の無い事」については、興味本位の噂話、あるいは批判に終わり、真摯に考える事ができません。今の自分はどれほど世界の事、生命の事、人類の問題を知っているでしょうか?世界で起こっているあらゆる事は、本当に「自分と関係の無い事」なのでしょうか?

水瓶座の新時代には霊的に生きる為に「関係の理解」「愛ある人間関係」が条件となっています。私達は魂を求め、霊的な生き方をしたいと望みながら、日常生活では寧ろ関係を断絶し、面倒な問題の責任を背負い込まない為の自己防衛に走り、自分なりの解釈によって、愛ある関係の理解を切り捨てています。あるいは特に問題を抱えていないと言うのは、世界に山積みになっている問題に、何も関わっていないと言う自己中心的な生き方の表れなのかもしれません。

マザーテレサが私達の最大の罪は「隣人に対する無関心だ」と言いました。それは道徳的理由ではなく、実に本当の罪であり、釈尊の説いた「無知、無明」から発生する問題です。二千年も前に、イエスは端的に隣人を愛する重要性を説きました。多くの聖賢覚者が、古代から一貫して説き続けている問いかけを、人類は未だに実現する事ができません。一体どうしてでしょうか?

自己中心性は知性を阻害する

この問題は人類の理知性の進化と相関しています。「無関心」「関係が無い」と思えるのは、実はその関係を理解できる程、私達の意識が発達していないからなのです。つまり生命のつながりや一体性を理解する知性と感性が未発達な為、魂の印象が希薄、あるいは欠如していると言う重大な問題を提示しています。「霊的」と言うと何か見えないものを見たり聞いたりする事のように思います。しかし魂意識とは、生命が法則通り繋がっている事実を、把握する能力であり、真理を理解する高次な知力です。

私達は、霊的なテーマである「正しい人間関係」や「魂意識」を求めながら、実際には広い世界の問題に目を向けず、人生の殆どを自分の生活の小さな円内に留めています。何も悪い事をしていなくても、より大きな世界に目を向け、人類や生命のつながりを積極的に理解しようとしなければ、自動的に視野狭窄になって、自己中心的になってしまうのです。

自己中心的な意識は、魂意識と感応しません。意識を進化させてきたのは、まさに魂の力なので、魂と感応しない意識は、自ずと進化が滞ってしまいます。知性を発達させようとすれば、眼を世界に向け、意識の殻を突破していく必要があります。魂の愛が、どのように世界を繋いでいるか、積極的に考える訓練が大事なのです。

人はよく「自分の身に何かが起こって、初めて人の気持ちが分かった」あるいは「こんな事が起きている事を初めて知った」と言います。自分が経験して、初めてその事に興味を持ち、よく知ってみれば、世界中で起こっていたと気付きます。経験する事で、苦労を認識し、同じ経験をした人に繋がりを感じたり、痛みを理解する事は、とても大事な意識の拡大です。

しかし人間は全てを経験しなければ、その事がわからないのでしょうか?体験しなければ興味がわかず、問題を理解する事ができないのでしょうか?それなら、人は何回転生しても、世界を認識し、関係を理解する事には、永遠に追いつきません。問題は経験の狭さや少なさより、周囲に対する無関心や自分勝手な解釈と言う意識のあり方なのです。「知らなかった」「気付かなかった」「興味が向かなかった」のは、一体どうしてなのかを、自分に問い掛けてみる必要があるでしょう。視野狭窄や興味の狭さは、自己中心的な意識から発生している事、同時にその意識が、知性の発達を阻害しているとわかるでしょう。

積極性を培う

現在私達に求められる重要課題は「積極的理解の姿勢」です。理解は狭い世界に留まって、自己防衛したり消極的に待っていても、得られるものではありません。自分から人や世界を知り、何が起こっているかを「正確にありのまま」を知ろうとする能動的で知的な意識訓練が必要です。私達は自分の意志で問題を選択し、考え、質問し、喜んで行動して世界を広げているでしょうか?余りに受動的、消極的になっていないでしょうか?

同時に正確に関係を理解する為には、自分の狭い独自の価値観を捨てなければなりません。関係の認識で失敗するのは、自分の尺度で全てを測り、自分を周囲に認識させようと突出する意識活動です。自分だけが頑張っている、自分は特別であり、自分の理想と考え方が一番良い。このような考え方は、自然に繋がっている関係を、自ら破ったり、支配や抑圧、否定する事になりかねません。これではいくら活動範囲を広げ人間関係を結んでも、愛ある知性は育たないでしょう。

更に全ての存在には「意味」があります。全人類は、神の愛の中で生まれ、魂の意志によって生まれてきた同志です。その根本的な関係の認識があれば、相互に交流し、助け合い、与え合う事は、自然な行為です。反対を言えば、無関心と否定がいかに不自然な事かがわかります。

理想は関係の中から生まれる

人は成長すると、必ず理想を追い求めるようになります。これは自分の責任や役割を果たし、存在理由を理解する能力に繋がります。しかし使命を果たすような理想を持つ為には、まず自分の環境を良く知り、そこで役立つ人になる必要があります。

実際に困っている人々の問題、あるいは仕事や世の中で、人が求めている事を知り、その問題を解決する為に、自分の能力を高め、実際に汗を流して働く事が土台となります。このような実際的な解決能力や、行動が取れなければ、より高次な世界の理解が深まる事は難しいでしょう。人はまず、この世の活動を通して、客観的に問題を理解し、貢献できる知的能力を証明しなければなりません。そうしないと、描く理想が非現実的、あるいは個人的な一人よがりなものになりかねません。

神の啓示が突然降ってくるように、神がかり的な役割が与えられたと感じたら、自分を疑ってかかる必要があります。多くの人に対する理解、生きとし生けるものに対する援助と責任感、実際に助ける力が育ってこそ、世界の関係を理解する安定した意識が広がります。この広がりが土台となって健全な思想が生まれ、理想が与えられるのです。

人類は全て、宇宙的な法則の中で生まれた魂です。神の愛が命を繋いでいるからこそ、存在しているのです。愛を受けて生まれた私達は、誰もが何らかの形で、愛を表す使命があります。人類が幼少期を卒業し大人になる試しは、一人一人が積極的に周囲を理解し、苦労を引き受け、悲しみや問題を解決する努力にかかっています。その苦しい道のりの中で、感覚的な愛が、理知的な愛に変わっていく事でしょう。「積極的な関係の理解と改善」、この中に霊的な鍵が隠されています。皆さんの勇気ある一歩によって、鍵は発見されるでしょう。一人一人が小さな鍵を回す事で、愛の繋がりは強化され、決して分断される事が無い絆に生まれ変わっていくのです。

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