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手紙:2019-03-08

目的意識の構造

目的の動機

私達は人生を通じて、様々な目的を持ち、その達成に向かって活動します。ある人は常に目的を達成し、ある人は中々考えた通りの目的に至りません。目的の達成の道のりや早さは、人様々であり、明らかに差があります。これはその人の運命や宿命であり、決して変えられないものなのでしょうか?一体何が影響して結果に違いが出てくるのでしょうか?

目的達成の過程には、幾つかの重要な意識活動が関わっています。この手順を一つずつ正確に点検すると、目的達成だけでなく、自分を知り、改善すべき点もわかってきます。その道筋は、主に知的構造を表すプロセスなのです。今回は新年度に際し、新たな目的を持つ人の為にも、そして世界の動向を考える為にも、目的達成の意識構造を考えてみたいと思います。

物事の成功を収める最大の要因は「動機が純粋なものであるかどうか」です。ここで言う「純粋」とは、愛他的か利己的かと言う意味ではありません。焦点化、絞り込み、濃度のようなものであり、目的を目指す意識が、迷いなく一点に集中しているかと言う事です。皆さんが過去あるいは現在、何らかの目的を持った時を考えてみて下さい。その目的の動機は何か?と問われ、答がたった一つ明確だったか、複数あったかの違いです。

まず、動機があやふやであると、焦点が不明確になり、達成するだけの完全な核になりません。加えて、動機が複数頭に浮かんできた場合、これも核が分散する為、エネルギーの焦点が決まらず、十分な力を得る事ができません。多くの場合、人の動機は複数あります。結果がうまくいかなかった場合、この点がどうだったか、思い返してみると良いでしょう。

動機は核となる

例えば政治家になる目的は、純粋に国民の為だけである人は少ないでしょう。国民の為、党の為、自分のプライドの為、人に勝つ為、お金を得る為‥。私達は人の目的を聞いた時、理由や動機を尋ね、本当にそれが理由か、それだけが動機なのかを無意識に探ります。

その時、動機を複数感じたり、言っている事と違うと感じた場合は「動機が不純だ」「他に野心がある」「あわよくば‥と考えている」と察知します。そのような人は、後々色々な問題を起こし、能力も余り出ないまま、公約を達成できずに終わる事が多いものです。反対に動機が「純粋」だと、単純明快で分かり易く、迷いが無いと感じます。そのような人は、着々と目的を達成し、望みを叶えていく人が多いものです。

動機は目的の背後にある意識焦点で、具現化する為のエネルギーを受ける焦点になります。いわば、物事の「霊的核」を作るものです。目的を持った時、素直に心の声を聞いてみて、動機が複数あった場合は、欲望が多く関わっている可能性があります。当然、一つずつの核は不完全になり、関係する事情も複雑になる為、エネルギーが拡散します。具現化するだけの力がない為、途中で消滅する事となるでしょう。

目的を達成しようとするなら、動機は利己的であっても愛他的であっても、絞り込む必要があります。その為には、最も重要な動機を選び、他の欲望や事情を諦め、単純にする覚悟が必要なのです。この根本的な原理を理解しないと、同時に多くのものを望み、一つも実現しないと言う事態を繰り返すでしょう。多くの人が目的を達成できない根本的な理由は、第一ステップの動機にあるのです。

忍耐力

目的が決まったら、実行可能な具体的手順やイメージを描き、論理を考え、様々な要素を計算するのは当然です。これは実際的な知性の役割です。「幸せになりたい」と思っているだけで、具体的な目的も、明確なイメージもなく、その為の計画もなければ、何もこの世に顕現する事はできません。

さて、計画に従って実際に行動し始めると、私達は大きな問題にぶつかります。「障害と困難」です。全ての人が肉体的条件、金銭問題、能力と時間、個人的カルマに加え、家族や民族、国や地域のカルマに囲まれています。周囲には様々な考え方の人がいて、欲望や事情は千差万別です。何かを成そうとした途端、行く手を阻む問題や障害が立ちはだかってくるのは当然です。私達は困難と遭遇した時、どうするでしょうか?

多くの偉業を成した天才や聖者が、必ず言う事があります。「私ほど努力したら、誰でも偉業を成せる」「決して諦めない事」「1%の才能と99%の努力」。つまり揺るがない決心と、努力を成し遂げる「忍耐力」が大事なのです。ある偉業を成した学者が、自分を振り返って「私が変わった事と言えば、並外れた忍耐力を身につけた事です」と語りました。

どのような人も、問題を抱えない人はいません。また目的に対して、障害が起こらない人もいないでしょう。問題が起こる度に、精神的にぐらつき、心を取り乱す事を繰り返すと、例えて言えば、核を囲む空間にひびが入り、核を傷つけ攻撃するような現象が起こります。外的な問題が物事を台無しにしているのではなく、自らの揺らいだ意識が、核を攻撃しているのです。ですから、目的達成には、揺るがない安定した精神で、核を守りぬく必要があります。忍耐力と、長く集中し続ける誠実な熱誠が、目的達成には必須条件です。

質的純度

さて、最後に、動機の質的な純度について、考えてみましょう。動機が一つで単純であれば、質はともあれ、目的は達成し易いと説明しました。しかし、利己的な動機には、必ず「自分の欲得」が関わっているので、達成した後、カルマが自分を取り囲むようになります。その人は自分を中心に、求心的に集めた物質や重たい思いによって取り囲まれ、やがて非常に不自由な立場となるでしょう。

自らが収集したものに囲まれ、意識の供給源である魂と接触が悪くなり、やがて創造的能力を失ってしまいます。個人の勝手な目的は、どんなに達成したところで、その後の人生に新たな問題をつくり、得たものを自分から引き離す運命となるのです。また、愛が未成熟なので、目的を達成する知性を持ちながら、精神は子供のままに留まります。知性の発達は偏ったものになり、成熟した大人にはなれないでしょう。

一方、魂の目的とは、愛の法則に従ったものです。魂はグループ(群団)霊であり、人類、動物、植物、地球生命など、多くの生命を助ける性質があります。援助する為には、得たものを自分に向けるのではなく、分配する事になります。物事は求心的ではなく、遠心的に働く為、その人は不必要なもので囲まれる事はありません。

神の器

更に法則的には、個人を縛るカルマの法則ではなく、愛の法則が働きます。困難があっても意志強く取り組めば、魂からのエネルギーによって学習し、自分のカルマや周囲の困難を越えられるよう鍛えられます。魂が魔法のようにカルマを解いてくれるのではありません。魂は、その人物が強く、賢くなるようヒントを与え、考える力や突破する意志を訓練するのです。結果として人は強くなり、目的を達成する度に、個人的カルマから解放されるでしょう。

今、多くの人の意識には、大変善い想いが芽生え、善を成そうとする人が増えています。利己的で残忍な事件も多い一方、反対極の善意識がこれほど高まっている時代はないのです。これは魂と人格が、急接近している証です。私達はこのチャンスを大いに生かすべきでしょう。それには、善を成す時、その動機から、複雑な要因を振り払い、個人的欲望を捨て去って純度の高い単純なものにする事が大事です。この動機の整理、そして善の実行ほど、人々に力を与え、自分と周囲を癒す方法はないでしょう。

マザー・テレサは自分を神の器と成らしめるよう祈りました。魂の目的を果たす為に、人格は器となり、どのようにでも変える勇気と意志がある。これ程単純で、力強い動機と目的があるでしょうか。程度の差こそあれ、誰の人生でも、このような祈りを持つ可能性はあります。春の素晴らしい祈りの時期、全ての人の目的が純化され、魂と共にあるよう祈ろうではありませんか。

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