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手 紙
手紙:2019-02-08
奉仕の視点
奉仕は苦しみから解放する
新時代の水瓶座は「奉仕、分配、人道主義」がテーマになっています。たとえ日頃、利己的で良くない事をしていても、あるいは人がやっているからと言う動機であっても、水瓶座の中に生きる私達には、人を助け、良い事をしたいと言う願望が潜在的にあります。
奉仕とは間違いなく魂的な美徳でありますが、まだその歴史は浅く、実験が始まったばかりです。奉仕しようとする時、これで助けられるのだろうか?果たして本当に良い事なのだろうか?など、色々な疑問を持ち、考える事も多いでしょう。そこで今回は「奉仕」とはどんな意味があるかを考え、今後の皆さんの活動に役立てて頂きたいと思います。
奉仕とは働いて尽くす事であり、「はたらく」は「はた(そば)を楽にする」と言う意味があります。自分のそば=周囲を楽にする事で、自分が対象ではありません。また、楽にする為には、苦しみを与えているものを取り除き、救わなければいけません。つまり、苦しみからの解放が奉仕と言う事になります。現在、明らかに劣悪な環境に苦しんでいる人を救う為、世界中の人が物資や資金を提供し、医療や住まい、食料や教育など、様々な援助が集まっています。そのような活動は、誰の目からみても明らかに奉仕であり、物質的な分配はもっと活発にされなければならず、足りない状態です。
しかし、物質的援助だけでは苦しみから解放されない場合も多々あります。実際長年そのような活動をした結果、貧困や問題が解決しない事がわかり、援助の方法を検討し直しているケースも出てきました。それは「苦しみの原因」を考えなければ、根本的な「解放」にならないからです。そして「解放」とは、最終的に「意識」に関係しているのです。
奉仕と意識の解放
真の奉仕とは、意識を束縛しているものを発見し、そこから自由になるよう手助けする事です。何故なら、それが魂の進化だからです。地球は魂の自由な意識が、物質に閉じ込められる不自由な場所です。この不自由な環境の中で、魂意識が経験を積み、成長し、本来の愛智と強さを発揮できるようになる事が魂の目的です。そして、最終的には物質から解放され、私達の意識は、真の自由を手に入れます。奉仕とは、このプロセスを助ける事なのです。
奉仕する為には、苦しみや困っている事の原因は何であるか、何に束縛され不自由を感じているのかを、よく理解する必要があります。どのような事から解放されると、その意識が自由になるかを突き止めないと、根本的な解放にはなりません。しかし、一度に解放される事は難しいので、人類は分担して、様々なレベルで、奉仕に協力する事となるのです。物質的な援助はその最初の段階と言えるでしょう。心が苦しんでいる場合、気持ちを癒したり安らかにする奉仕もあるでしょう。知的な訓練をし、能力を開発する事で、理想に近づく手伝いもできるでしょう。考え方を説明したり、思想を説明して、大きな意識への解放に協力する事もできるでしょう。
また、「解放」と言う観点から捉えると、奉仕は幅広い分野に及ぶ事がわかります。この時代、科学者は大きな奉仕活動をしています。物質を研究する事で、その中に閉じ込められている特質や能力、エネルギーを取り出す事に成功しています。これは物質の隠れた才能を解放すると言う意味で、素晴らしい「奉仕活動」と言えるのです。原子力を始め、植物の薬としての能力、動物の性質を利用した訓練など、自然界の特質やエネルギーを発見し、役立てる事は、潜在しているものを解放する奉仕です。一見、奉仕と言う言葉とは関係ないような事も、地球の大きな観点からは、偉大な奉仕の場合があります。奉仕活動を選ぶ時、どんな状況からの解放を手伝うか、よく考えてみる必要があるでしょう。
物質の性質
私達が良かれと思って人を助ける時、反対に状況を悪くしてしまう事があります。親子の間の過保護などは典型例ですが、「欲望」に協力すると、意識を余計に閉じ込めてしまう場合があります。相手の欲望が肥大して、その状況に甘んじて棲み着き、更に多くの物質を取り込んでしまうからです。最後は物質とその欲望に囲まれ過ぎて、身動き取れない事態が起きてしまいます。その為、奉仕や援助には、物質の特徴を理解しておく必要があります。
奉仕する時、私達には常に二重の意識活動が必要です。それは相手や状況に共感する意識と、離れて観察する「観照する意識」です。共感する意識が無ければ冷たくなり、奉仕するチャンスをつかめません。そして「観照する意識」、つまり、状況や人から離れて観る意識は、自分自身が物質に埋没しない為、絶対に維持しなければならない視点です。一生懸命になるあまり、人は状況に呑み込まれ、視野狭窄に陥りがちです。「ミイラ取りがミイラ」になり、やがて自分自身が困窮状態に陥りかねません。必死で良い事をしているはずなのに、何故そんな事になるのでしょうか?
私達の個別の人格は、肉体も心も知性も、魂から見ると「物質」です。人格自体は魂意識が最初に入る物質の器なので、周囲の物質を引きつけ、共振する力があります。ですから、無意識で油断していると、同質の物質が持つ欲望に共振し、それが自分の意識だと勘違いしてしまうのです。物質は、自分の欲望が満たされると、喜び、更に多くの欲望を望んで膨張していきます。共感する意識は、物質に埋没する可能性がある為、常に離れて観る冷静な意識が無ければ、意識が物質に取り込まれ、溺れたり埋没する可能性があるのです。
最初の動機は意識の進化や解放であっても、働いている間に状況が変化し、人々が監禁状態になるケースは多々あります。余りにも熱心に強く結果を見たいと望んだり、正義感に燃えると、反対に囚われが起こってしまう事を覚えておかなければならないでしょう。
意識の進化
この状態を同時にじっと見守るのが「観照者の意識」であり、それこそが魂に通じる視点です。常に経過を観察し、自分も状況も突き放して見る、結果がうまくいってもいかなくても、冷静に見続ける視点です。この眼は一体何を見ているのでしょう。奉仕によって成長するのは「意識」であり、物質的な結果ではありません。この眼は意識が変化し、解放される部分があるかどうかだけを、じっと見ているのです。裏返せば、結果は思い通りになったとしても、意識の成長が無いものは、魂の観点からすると「奉仕」にはならず、物質の満足に終わってしまいます。この観点がわかると、真の奉仕とは何かの片鱗が見えるでしょう。
人間の意識は、物質に囲まれて、最後は解放される為に様々なものを捨て、破壊して自由になります。今まで築いてきたものを全て手放したり、心が留まろうとする所から、旅立つ事を繰り返し、成長していくものです。真の成長には「放棄と破壊」の要素があり、奉仕も人や命を助ける為に、様々な状況を打破する手伝いをする事になります。
人間の素晴らしさは「意志の強さ」です。そして「苦しみ」とは、解放されたいと言う意志が活動し始めたサインです。人は苦しみによって、状況を打破し飛び立っていきます。私達の魂はそのような苦しみを敏感に感じ取り、正しく導き、解放させる援助をしたいと願っています。現在、世の中は苦しみに満ちているように見えますが、それは多くの人が解放を望み、またその苦しみを、多くの人が敏感に捉えるようになったからなのです。それならば、世界は素晴らしい進化に向かっていると考えられないでしょうか?
私達は奉仕を通じて、人の苦しみを軽減し、その過程を経験しながら、自分の意識が解放される事を知ります。「助けようとして、自分が助けられた」と言う言葉を良く聞きますが、結局、真の奉仕をすると、人の間には意識の区別が無い事を発見するでしょう。奉仕は、世界で意識の進化が起こっている事を実感する窓口なのです。