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手紙:2020-05-08

時間を考察する

何故時間は大切か

皆さんは時間を守るほうですか?それともルーズなほうですか?世界の中で日本は時間に正確な国として知られています。同時に日本のビジネスマンは、時間に追われてあくせく働く「働き蜂」のようなイメージを持たれています。時間を守る事は日本では美徳とされていますが、この感覚は何か意味があるのでしょうか?それとも、ただ几帳面な性質、あるいは人を縛るだけのものなのでしょうか?
時間は密教的に言うと意外にも「霊的視力の発達」と関係しています。つまり進化の過程では、時間を意識する事は重要な意味があるのです。視力と時間の関係は理解しにくいかもしれませんが、簡単に言えば、バレーボールをする時、上手な人は、ボールと人の動きに、自分を正確に合わせられます。動きを判断するのに一番使われるのが視力ですが、この「動き」こそが時間を表しているのです。時間とは「物質の変化に対する知覚」なのです。
人間は一人の中に複雑な時間を抱えた生命体です。体、心、知性の時間は、速度が異なり、それぞれ違っているからです。集中して取り組みたくても、中々自分が思うようにならなくてイライラするのは『自分の中の時間』がばらばら状態で統一されないからなのです。
さて、現代ほど「タイムイズマネー(時は金なり)」の諺が真実である時代はなく、時間を制する事は、一つのテーマになっています。何故私達は時間を意識し、支配しなければならないのでしょうか?時間を守る事にどんな意味があるのでしょうか?今回は時間と意識について考察したいと思います。

時間と意志

今程多様な時間が交錯する時代はありません。私生活が個別化し、家族の中でも各々が「違う時間」の中で暮らしている上に、社会では仕事によって全く違った速さの時間が流れています。これを計算し、相手と自分を合わせて動く事が「時間厳守」ですから、自分の速さ、相手の速さ、その間や周囲にある環境の速度を、複雑に計算しなければなりません。
計算するのは知性の役目です。ところが私達の知性は発達し始めたばかりなので、様々な物質、人、現象の動き方を読み取り、複雑な要素を理解して、接点を計算するのは大変面倒だと感じます。「頭の回転が速い」と言う表現は、まさに物質の回転=運動の速さ、変化の様態を読み取る知性が高いと言う意味です。つまり、時間は「知性発達」の訓練に使われているのです。
さて、私達が時間に遅れるのは、どう言う時でしょうか?「ぐずぐずしていたら、時間に間に合わない」と言いますが、ぐずぐずしているのは自分の体、主に心が動かずに留まっているので、速度に乗り遅れると言う意味でしょう。時間を合わせる為には、計算し、それに合わせて行動できる「自己統一」=「強い意志」が必要で、モラルの問題以外に、意志の発達が関係しています。
また、時間は自分より大きな存在の「公的な意識」を育てます。会社やグループなど、多くの人が秩序立って動くには、時間ルールが必要です。自分の時間より公的な時間を優先する事で「公的な責任感」が生まれ、今の時代に重要な「グループ意識」が育まれます。常に時間に遅れる人は、多くの人の都合より、自分の都合を優先する習慣が強いか、相手の時間が理解できないからでしょう。 動きを計算する知性、自己統一の意志、自己犠牲の公的な意識、これらを総合して、その人の時間意識が出来上がります。ですから、時間は進化にとって重要な意味があるのです。

宇宙の公的時間

時間意識の中で、公的な時間に自分を合わせる訓練は、とても重要です。何故でしょうか?地球は、太陽系の時間の中で生きているからです。一年と言う時間、日の出日の入りと言う一日の時間、春分点や四季の移り変わり、私達はこの大きな時間変化を無視して生きる事はできません。大いなるものの中で生かされている事実を認め、その動きに自分を合わせる事は、個と全体の関係を認め、大きな生命を理解する事と繋がります。その雄大な時間の中で、人は永遠を感じる事でしょう。
この知覚は、魂意識に繋がるものです。魂はどんな優秀な人格よりも、遥かに強い力を持っています。魂は、物質的な次元に属さない為、時間の法則に縛られる事が無いからです。一方、人格自身は、物質的な時間に縛られています。それが時間に追われる現象を引き起こすのです。
人格が有能になり、様々な存在の速度がわかるようになった後、私達の意識はどこに向いて発達するのでしょうか?自分の為にその能力を利己的に使うと、物質界を自由に操作し、自分の時間を人に押し付ける事ができますが、やがて最後は自分も時間の中に埋没する事となるでしょう。何故なら、その人には、物質を真に進化させる魂の光が無いからです。自分の勝手な考えで、形を変える事はできても、根本的に進化させる事ができないので、やがて自分も同じ物質時間の渦に引き込まれてしまうでしょう。

時間を超える魂

人間には物質的な時間から自由な魂があります。時間を超える何かがあると気づいたならば、人は微かに魂の方向を向き始めます。何故物質は変化するのか。変化してどこに行き、どうなるのか。それは人が抱く大きな疑問でもありますが、その答えは魂の中で見出せます。魂の中には、人を含め全ての存在は、進化してやがてこうなると言う完成図があるので、存在の目的や才能など、完全な理解ができるのです。
知性は物質の速度や動きを計る事はできますが、霊的な目的を理解するには、魂エネルギーを受信しなければ、このような正しい知識が得られません。自分も周囲の人達も、そして全ての存在も、正しい関係で正しく付き合おうとするなら、知性は謙虚になって、魂の声を聴かなければなりません。
この世で生きる人格は、外的には物質の激しい変化にさらされます。それぞれ速さと方向の違うものが無秩序にぶつかり合って、物質界は無数の音でひしめき合っているのです。しかし、内的に魂の方向に意識を向けると、その騒音から逃れ、光を受信する別空間に入る事ができます。光こそが物質を真に進化させるエネルギーであり、人格の内部にはそのエネルギーを受信する機能があります。その機能を正しく開花させる行為が「祈り」であり「瞑想」です。人間は物質界で生きながら、内的には時間に縛られない「永遠」の命を生きる事ができるのです。

春の宇宙エネルギー

春は北半球にとって、最重要な公的時間があります。それは三月末の春分点から始まり、雄羊座、牡牛座、双子座の満月付近に現れます。この宇宙的な運行は、地球の最高レベルの知性が従っているものなので、人類全体、地球生命全体が従うべき最重要な公的時間と言えます。この期間の事は、昔から様々な宗教で伝えられてきましたが、今は宗教の枠を超え、霊的な意識を持つ人類として、従うべきものでしょう。
人間は何故永遠を求めるのでしょうか?それは私達自身が永遠という時間の無い世界から生まれた命であるからです。私達はこの時期、意識の中で時間を止める必要があります。非常に速い時間の流れ中で、生きる事ができるようになった人類。今度は、時間を超え、内的な静寂へと戻る時期です。今、時間を超え、永遠を知るチャンスがやってきます。北半球の春、人類の一員として、永遠の生命に向けて、祈りましょう。

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