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手 紙
手紙:2015-02-21
全ての人に内在する魂
生物の驚くべき能力
私達は長年魂と人格との関係を考えてきましたが、時々「自分には魂が働いているのだろうか?」と疑いたくなる時があります。上手く行かない現実や感情的な葛藤、幼く何の才能も無い自分、あるいは冷淡で利己的な時、「私は魂に見放されているのかもしれない」と言う不安に駆られる事もあるでしょう。一体自分はどうなっているんだろう?ひどく間違っているのではないか?そんな疑いから不安になるのです。このような問いに対する答えには、地球生命の特質を理解する事が役立ちます。今回は、どんな人にも魂が内在している事実を提唱し、今後の生き方に勇気を持って臨んで頂きたいと思います。
ところで、皆さんは線虫(せんちゅう)と言う土の中に棲む1ミリ程の細長い虫を知っていますか?どこにでもいる名前の通り、線のような虫ですが、九州大学の研究で、驚くべき能力を持っている事がわかってきました。癌の判定です。人の尿を一滴垂らし、線虫が集まってきたら、どこかに癌があると考えられるのです。将来これが試薬として実用化されると、非常に安価な値段で色々な癌が判定できる可能性があり、現在研究が進められています。
線虫は何故そんな事ができるのでしょうか?彼らは土の中に棲んでいる為、食べ物を探し出す器官として、嗅覚が特別に発達しています。その嗅覚が、癌の何らかの物質に反応するのです。人間の肉眼では良く見えない小さなありふれた虫、しかし彼らには優れた嗅覚があり、その特質で土の中でも生き延びているのです。そして人間がその能力を見出すと、様々な事に応用できます。最近の医学や科学技術の進歩は目覚しく、あらゆるものが研究されています。このような研究が進むにつれて、私達はどんな小さな存在にも、驚くべき能力が備わっている事を知ります。
地球生命の特質
「形態に備わった特質」これは地球生命の特徴です。形があり、生きて動いているものには、調べてみると何らかの特殊能力が備わっています。極小の細胞にも「神が創ったとしか思えない能力がある」と、京都大学の山中教授も発言しています。自然界のあらゆる存在には、研究すればする程、素晴らしい能力が発見できるのです。そしてその能力を与えたのが、魂=意識の存在なのです。
自然界の動植物は集団魂なので、各々の種族で一つの魂を共有しています。その為、同じ形態の生き物同士では、個々の違いは余りありません。ましてや虫は、種族全体でも魂との繋がりは非常に薄く、個性的な意識活動はありません。全てが長年同じ行動を取るからこそ使えるのです。
それに対して人間は、一人に一つの魂が直結していて、魂全体が更に大きな共同体を作っています。その為、個々の人格は明確な自意識を持ち、個性的な意識活動を行います。自然界以下の世界は、魂と直接関係できないので、主に人間の意識活動の影響を受けて進化します。人間の活動は文化や研究、経済や物流などを通じて、自然界に知的エネルギーを分け与える役目を果たしているのです。もしかすると、線虫の優れた嗅覚も、過去の人類の影響から得られた能力かもしれません。
線虫のような小さな命でさえ、いわば遠く離れた魂からの才能が表れています。それなら、魂が直結している人間の形態=人格には、自立した思考力と並外れた才能や特質がある事は明白です。自信があるかないか、不安かどうかは関係なく、全ての人には魂が内在していて、当然特別な才能がある事は事実です。魂は誰にでもあるのです。
しかし、人の特質(才能)や神聖さの出方には、現時点で区切れば明らかに差があります。これも事実です。では、この差は一体どうしてできたのでしょうか?
特質の出し方
昔、宗教では限られた人が、一般の人とは違った神聖さや特別な能力を持ち、神と交信できると崇められました。一般人はその人に何事も伺いをたて、教えに従うべきだと支配したので、教祖が強大な力を揮いました(あるいは現在でもそうかもしれません)。しかし、これは明らかな誤りで、宗教は全ての人に魂があり、神聖さと才能があると言う真実を教えるべきです。
私達の優れた才能は、全て魂から与えられたものです。魂は全ての人に「内在している」と言うべきでしょう。内在しているものが人格の表現となって表面化するには、ただ一つ「忍耐強い科学的訓練」が条件になります。人格の差とは、この訓練をやったかどうかの結果なのです。では、私達は自分をどのように訓練すべきでしょうか?
例えば私達が盲導犬を育てる過程を考えてみましょう。まず犬に盲導犬となる能力がある事を発見したのは人間です。次に、愛情を持って絆を築き、同じ事を何回も粘り強く訓練し、テストに合格させ、立派な盲導犬が誕生します。
これと同じように、私達は自分の人格に必ず神性と才能があると言う事実を認めるべきです。そして、自分に対し良い時も悪い時も「愛を持って接し」、魂と人格をゆるぎなく結びつける必要があります。そして、完全に印象づくまで何回も訓練し、思い込みにならないよう客観的な結果や実証と言うテストに合格する必要があります。物質は、変化するのに一定時間がかかるので、この世では努力が必須条件です。またそのやり方は、科学や医学、心理学など、正しい情報とデータに基づいて、実験的に試し、検討しながら、努力を続ける事が大切です。
このような人格に対する扱い方を、どこかの前世で経験し獲得した人は、自分の扱い方に慣れていて、才能の出し方を良く知っています。何らかの能力を持っている人や天才と呼ばれる人は、このような努力を実証した結果なのです。人格を統率し訓練する意志の進化こそが、魂の成熟度となって表れ、差を生み出しているのです。つまり人の差は、時間と努力による変化の差であって、本質的な差ではないのです。
魂界とは違って、物質界は変化が遅いので、人格に対しては全ての人に等しく、時間を耐え抜く努力が重要です。転生の歴史が浅い人や経験の少ない人は、努力の意味がわからず、物事はすぐに実現するものだと考えたり、我流なやり方で勝手に行動しようとするでしょう。魂界と物質界の法則の違いは、いつか必ず理解して、適応しなければいけない重要なポイントです。反対を言えば、何らかの理由でこのような努力を始めていない人は、内在している魂の特質を、充分に表現できていない、人の差とは、たったこれだけのものなのです。
変わろうと言う意志
今、私達に最も求められている事は、魂に従って変わろうとする意志です。自分の都合や弱さ、欲望を乗り越えて、多くの人や世の中の為に、役立つよう自分を少しでも変えようとする熱誠が求められています。それは魂自身が今、愛と意志を強化している為、同じ方向を目指す人格を何より求めているからです。
自然界を見ると、その圧倒的な美しさに心を奪われます。人は動植物の知恵を発見する度に驚嘆し、命の神秘を感じます。しかしそれは、何万年もの長い時間をかけた人類の魂の軌跡なのかもしれません。自分と関係ない崇高な神が成した御技ではなく、私達人類が何万回も転生して築いた影響が、人類を取り巻く環境となって、目前に広がっているのではないでしょうか。私達は神を自分と切り離した遠い存在と考えるべきではありません。自分の中に内在し、光と共に現れるのを待っている最も身近な存在が、神であり魂なのです。
人は時に自分が魂と繋がっている事が確信できず、不安や孤独にさいなまれるかもしれません。しかし人間は、存在自身が内的には魂、外的には自然界と繋がっていて、刻一刻と影響を与え合っており、事実上孤独と言うものはないのです。
私の使命とは何か?それは人類共通の使命と言うべきでしょう。魂の愛と意志を、人格で表現できるようあらゆる分野で努力する。これが全ての人の使命です。その結果が自然界に影響し、美しく賢い命の進化が実現されます。自分が生き、存在する事が、地球の環境を創っていくならば、こんな大きな使命と責任はないでしょう。その実感は、無上の喜びを与え、人生を充実させてくれるに違いありません。
年齢や職業の違い、才能の有無は関係ありません。今すぐ、人の為に変わろうとする努力、この意志は肉体の死によって失われる事はないのです。新たな決意を持って、クリスマス、そして新年を迎えましょう。