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手紙:2016-05-17

進化を見つめる眼

自分を省みるチャンス

私達は少なからず善意を持ち、光と未来を信じて、道を歩み出そうとしています。その為に本を読み、世界を知り、瞑想や奉仕活動、仕事などを通して自己訓練に励んでいます。これ程多くの人が善き行いをしよう、命の為に尽くそうと、日々の生活に励んでいる時代はないでしょう。

しかし仕事や志を共にする人々と、信念を持って始めた活動の中でも、様々な意見が食い違い、実際行動してみると、考え方ややり方の違いなどから、揉め事や問題が起こってくる事が多いでしょう。そのような問題に実際直面した時、皆さんはどのように対処するでしょうか?

問題が非常にこじれる一つの特徴は、信念を持った人々が「自分の考え方は絶対に正しい」と思い込んでいる所です。誰でも自分の考え方が当然で正しいと思うので「こんなに説明したのに、どうしてわからないんだろう」「こうしなければ大変な事になるのに」「これが最もいいやり方なんだから」など、人にアドバイスする時や問題を調整する話し合いでも、自分の考え方や見方は正しいと思い込み、必死で説明し、説得するものです。しかし善意が動機でも、その結果は多くの場合うまくいくどころか、不必要な批判と対立を生み出してしまいます。

このような問題はあらゆる仕事や組織、グループ活動につきものです。他人の事ではよく見えるテーマですが、道を歩み始めた人々は、必ずこの間違いにつまずきます。自分自身の意識も気がつかない間にそのようになり、簡単にひっかかってしまうこのテーマについて、私達はもう一度考えてみる必要があるでしょう。

私達の学びの原点は、問題にぶつかった時、自分の考え方に限界を感じ、意識を変革する事です。どんなに結果を変えようとしても、意識を変えない限り、同じ問題にぶつかる事、原因は外にあるのではなく、意識のあり方、考え方にある、問題の原因は少なからず自分にあるのです。

ところが自分の間違いを理解し、改めて、そのように生きた経験のある人ほど、それが正しいと言う明確な考えが固まります。それが最も良いもの、当然のものとなって、やがて信念となりやすいのです。するとその信念を、あらゆるケースに当てはめて考え、主張する傾向が出てきます。

しかしよく考えてみると、人によって立場や環境、考え方が違うので、その経験が必ずしも全てのケースに適応するわけではありません。しかも、1人の人が改善に成功した経験は、そんなに数多い訳でもありません。それにもかかわらず、アドバイスや提案をした時に、「他にも違う考え方があるのでは?」「ケースによって、必ずしも当てはまらないかもしれない」と立ち止まる事が難しくなってしまいます。本当はこの時こそ意識の囚われや、より広い理解に移行できるチャンスなのですが、注意深く考えて冷静になれず、どちらが正しいかと言う方法や結論にこだわってしまうのです。

道を求める人

人間は完全に魂意識になるまでは、自己中心的に意識が働くので、生きている限り自分に油断する事はできません。最も警戒すべきは自分であり、私達を騙す者は自分以外にないのです。また意識は常に進化し続けなければならないので、数回改めただけで間違いがわかり、私は悟ったと断言できる事は有り得ません。寧ろ「わかった」と言った途端にその人の意識の進化は止まってしまうのだと、繰り返し警告されています。意識は常に変化し、進化する必要があるので、以前正しかった事でも、信念になったり、固まったりしたら、それは進化から言えば、正しくなくなります。

ところが、私達は信念を持ち易く、良い結果を残そうと夢中になると、学ぶ事は自分の意識改革であると言う大前提を忘れてしまいます。以前と同様、より良い事ができた、正しく判断し適切に処理できた、あれが正しい、これは間違いだと、目の前に起こる結果やプライドばかりを考えるようになります。何故違う意見があるのか、その考え方はどんなものか。対立や問題にぶつかった時とは、違いや意味、背後の意識を広く理解するチャンスです。それなのに、自分の正しさと相手の間違いを主張する対立が生まれ、意識の広がりや包括的な目、考え方の重要性について忘れてしまうのです。

正しいか間違いかにこだわり出すと、多くの場合、「意識の結晶化や停滞」が起こります。これが衝突や揉め事の原因になり、批判や不平不満に発展するのです。意識の進化を学んでいながら、皮肉な事に、経験し学んだ事自体が、考え方を見つめ直す機会を遠ざけてしまうのです。これは道を歩む者のグループで、必ず起こる問題であり、何を成すべきなのか、何が進化なのかを深く正しく理解するまで続く問題であると言えるでしょう。

目的意識とは?

「私はたくさん学びますが、一生を捧げるような素晴らしい理想や目的が見つかりません」、または反対に「私は一生を捧げて生きようと言う目的がわかりました。今はそれに向かって必死に歩んでいます」こんな意見を耳にします。しかし魂の目的とは「人格が光を伝達する意識体になる」事しかありません。不屈の意志による絶え間ない意識の変革、視野の拡大、思考訓練の連続を自分に課した者だけが、その目的が何を示すのかを知る喜びを得るでしょう。つまり魂の真の目的を知る事自体が「道」そのものなので、そう簡単に見つかるはずがないのです。またその表現方法や道は千差万別です。要は形ではなく、光が分配されているかどうかが焦点なのです。

結果が良ければいいに越した事はありません。しかし、何を成したか、どの方法で到ったかではなく、何を成そうとして進み続けたかが重要です。何故なら、その人が成せない事を目標にする時、活動の中で見えない意識エネルギーが進化するからです。その人の意識が届いていなかった未知の領域にエネルギーが立ち昇り、光の織物が創造されていく、これが見えない世界で起こっている真実です。その度に人は新たな知覚、新たな理解を深める事でしょう。光の体の建設が私達に新しい領域の喜びを分けてくれるのです。

どんな偉業を成しても、新たなエネルギーの建設が無ければ、意識の進化が起こったとは言えません。このエネルギー論的な考え方や洞察力が徹底的に訓練されないと、私達は「世界に真に存在しているもの」を、永遠に発見する事ができないでしょう。

例え達成した目的が壊れても、その人の中に築かれた光の体は残ります。反対に達成した目的を維持しようとしても、形は必ず壊れる時がやってきます。それは結果であり、原因や動機ではないからです。結果を目的にすると、私達は必ず対立が生まれ、終焉を経験し、求めていた事が間違いであると気付くよう運命づけられているのです。

人は活動する時、自分の中にそして仲間のグループの中に、この躍動する光のエネルギーを見ようとしているでしょうか?何が進化で何が退化しているのかを見極めようと考え抜き、努力を積み重ねているでしょうか?この点を知ろう、洞察しようとしない限り、私達は本当の進化を理解する事は難しく、結果だけを安易に批判し、終わりになってしまうでしょう。

自分を厳しく訓練し進化の道を歩んだ者だけが、他の命を理解し慈悲深く助ける事が出来るでしょう。物事の背後をより深くより広く見詰め、命の進化と多様性を発見する目、何が苦しみ生まれ出ようとしているかを見極める目、この目の中に本当の価値ある発見があるのです。

全世界は意識によって躍動するエネルギーの表れです。これこそが世界の原因であり、人が人生をかけて突き止めなければならない真実の姿です。無数の力が出会い、混ざり合っている人間の存在、他ならぬ自分自身がその尊い存在である事に気が付いて下さい。今この瞬間でも自分に何が起こっているか、その目があなた自身を救い、他の生命を救う鍵を握っているのです。

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