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手紙:2016-07-15

勇気ある選択

表現の時代

皆さんは「自分の一生涯を通じて、何を表現したいですか?毎日何を伝えようと行動していますか?」もしこのように尋ねられたら、明確に答えられるでしょうか?自分は何の為に生きているのか?どうしたら私らしく生きられるか?全ての人が、一度はこのような疑問を持った事がありながら、深く追及しないまま、毎日を過ごしていることが多いでしょう。

表現の時代」、今私達が生きている時代はこのように呼んでも良いでしょう。全ての人に個性と才能が求められ、自分が何を考え、どのような意見を持っているかが問われる時代です。たとえ表面的なものであっても自分を表現したい、この衝動が子供から大人まで、そして全ての民族や国に至るまで、世界を貫いています。この自己主張が新しい文化と、人類の可能性を生み出していますが、同時に多くの亀裂や争いも作り出しています。一体これは何を意味するのでしょうか?

この意識の背景には「地球の時代精神」が隠されています。今、全存在の核を貫くエネルギーが、地球の最高知性体(神)から、たった一つの原子のような最低様相まで、全存在を繫ぎ、全体を統一しようとしているのです。地球はあらゆる存在を通して、自分の意思を表現する惑星です。これが神の顕現方法です。全体を繋ぎとめる力が愛、そして全体で表現する力が意思。人類を含む地球の存在は全て、全体で神の意志を表現する共同体なのです。

この時代精神の結果、意識そのものが驚くべき速さで具現するようになりました。天に在るが如く、地に現れる、全ての「意識状態」が形や結果となって、素早く具体的に表現される事となったのです。今まで歴史に隠されていた秘密や情報、心の奥底に潜在していた悪、魂の中で表現されるのを待っていた善意、善きものも悪しきものも、全てが人類の前で明確に姿を表し始めました。その為、時間がまるで生き物のように早く加速したように感じられます。

人間は、地球の頭脳と言われるだけに、神と同様、意識の具現力=表現力を持っています。時代精神によって、意識の力も、物質の振動も速められ、善と悪、白と黒が明確に現れる中で、地球の神は私達に何を語りかけているのでしょうか?地球は全人類の一人一人に「明確に見る事」「知的に考える事」を強いているのです。

人間の能力

全ての人が余すところなく、この訓練に巻き込まれている為、日常生活の中でも、今や平穏無事な生活を、同じ状態で続ける事は難しくなってきました。意識を明確にして表現する事で、修正すべき問題も表出してくるからです。そして、「あなたはこの問題の原因がわかりますか?」「人類はこの問題を解決できますか?」と、問い掛けられているのです。

全ての出来事は、個人的な事も、世界の現象も、人類の意識が創り出した映像のようなものです。問題は、起こっている出来事そのものではなく、その映像の作者である人間の意識なのです。非常に自己中心的な残忍さが、世界の悲惨な出来事として社会に表れ、人々は自分達の意識の一部を自ら経験します。反対に魂と言う崇高な意識は、神の存在すら感じさせるような感動的ドラマや行為となって表れます。自分達が考えたり思ったりした事を、人類全体として見せられ、体験させられているのです。

では、私達はその体験から何を得るのでしょうか?「人は自分で自分を修正する力がある」。物事を具現する力がある人間は、そこから原因を考え、意識を改善し、問題を克服する修正能力がある事に気づきます。これこそ、魂が人間に表現して欲しい神聖な特性です。

神は物や幸せを与えるわけではありません。神が表れたら、魔法のようにパッと問題を解決してくれるわけではないのです。私達には自分と同胞を救う力、偉大な理知性である魂が内在し、その意識を表現できると教え導いているのです。しかし、人間は人を利用したり、奪い取って楽をする習慣を中々やめる事ができません。相手が間違っていると批判し、敵対する事に時間を費やし過ぎています。

問題が山積している今、批判や分離、敵対や攻撃ばかりしている時間は、もう余りありません。論理で相手に勝ち、一時期プライドが満足しても、事態はまた分裂して新たな問題を創り出します。このような意識は、問題を解決するエネルギーを持っていません。それは時代が求めている魂の意識ではないからです。

一方、人類は益々世界全体の情報を知り、世界は急速に一つのビジョンとなりつつあります。全ての人が世界で起こる出来事に影響を受ける時代です。分離も愛も両方含めて多くの情報が流され、遠い世界に住む人々の生活を知る事ができる毎日、その世界で自分は何を表そうとしているのか?世界に生きる全ての人が、自分の魂に問いかけるべき時が来たのです。

真の意志と勇気

この世界をより良い方向に導く為に、私達が真に戦わなければならないものとは何でしょうか?それは分離感と憎しみ、怒りや悲しみ、そしてプライドと言う意識です。人類は長い歴史を通して、命の多様性を認めず、自分に従わないものに憎しみを覚え、安易に戦ってしまう習慣を繰り返してきたのです。

しかし、良く考えてみましょう。私達は闘うにしても、歩み寄るにしても、相当の時間とエネルギーを費やす事になります。そして戦って誰かが勝っても、憎しみは終わる事がなく、惨事は繰り返される事になるでしょう。奪ったものは、最後には決して自分のものにはなりません。永遠に終わる事がない分裂と破壊の連鎖に、人類の貴重な力をつぎ込む必要があるでしょうか?同じ努力をするのなら、同じ地球に生きる者同志、人類と言う観点から、未来がある選択をすべきではないでしょうか。

真の勇気と意志とは、憎しみやプライドに従う習慣を止める事です。闘うべきものは、自分達のうちに棲む分離や恐怖の意識なのです。そして、真の敵に気づいた人達には、新しい智恵と勇気が必要です。このエネルギーを与えるのが全ての人に内在している神、即ち魂なのです。人間は人生を通じて、世界の舞台で、何かを表現します。プライドを選択して破滅に向かうか、人類全体の愛を選択して命の繁栄に向かうか、私達は地球から与えられた時間とエネルギーを、何に注ごうとしているのでしょうか。

人類の財産

人間はどのような優れた人も、皆平等に死ぬ時がやってきます。どのような権力や能力、金や物を得て偉業を成したとしても、やがて人は地上を去る時がやってきます。人間は毎日眠るように、何回も何回も数え切れない程死んできました。

その中で、人が脈々とつないできたのが「意識」です。意識こそが時代と命、人々の進化を繫ぎ、永遠に生き続けてきた実体です。人類の真の遺産とは、良くも悪くも、地表奥深くから成層圏まで広がるような、蓄積された意識なのです。

私達が地球の未来、子供達の未来を善きものにしようとするならば、善き想い、美しい愛、憎しみや悲しみに打ち勝つ智恵と勇気を蓄積すべきではないでしょうか?人の悲しみを深い理解に変える愛を、人類の財産として残すべきではないでしょうか?肉体が死んでも、私達の残した意識を受け継いで、子供達は世界に生き続けなければなりません。山々も、植物も動物も、人間の意識に巻き込まれていくのです。人間の責任はこの一生で終わる事はなく、また自分自身も再びその世界に蘇ってくる事を知れば、人が本当に成すべき事とは何か?自ずとわかってくるはずです。

古代から積み重ね、繰り返されてきた憎しみと恐怖に比べると、愛の意識は今まさに急ピッチで創造されなければなりません。もし、愛と言う言葉、人類の未来と言う言葉に惹かれるなら、勇気を持って人生の表現を、愛に捧げて下さい。その意識と行動が、愛の蓄積になり、人類の真の遺産となるのです。人生に費やされる努力を、愛の方向に転換して下さい。私達は、あらゆる機会を通して、繰り返し、挑まなければなりません。魂はそのような人間に、理知性を贈る事で、必ず応援するでしょう。愛の創造は、分離の破壊を上回る事ができるでしょうか?必ずできると信じています。

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