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手紙:2017-07-14

聖なる魅力

魅力の焦点

歴史上最も魅力がある人物は誰か?このように尋ねられたら、皆さんはどんな人物を挙げますか?権力、知力、肉体美、性的魅力、各分野の才能の魅力、人類は様々な魅力を表しましたが、その中でも絶大な影響を与えた人物として、釈尊やキリストはその代表と言えるでしょう。その魅力は人物像よりも、彼らの説いた智恵の世界に由来しますが、二千年以上思索の中心であった事は、「聖なる魅力」が最高のものである証です。それは人類の本質が、彼らと同じ聖なる魂だと言う証拠でもあるでしょう。

彼らは個人の欲望や個人的な考えを超えた為、「聖なる人」と呼ばれ、個人の意識を宇宙的な愛に融合させた人々です。その磁力は普遍的愛に源を発している為に、個人の肉体が死んだ後も尚、消える事ない永遠の魅力を発揮し続けているのです。

では皆さんが「どんな魅力でも持てる」と言われたら、何を切望しますか?金力、権力、人気、組織力、世界一の身体能力、科学分野のカリスマ‥、千差万別の魅力を考えるでしょう。私達が切望する魅力とは、殆どの場合個人の力を誇示する為に選ぶのではないでしょうか?「聖なる魅力」は素晴らしいと知りながら、殆どの人にとってそれは「具体的人生の目標」とはなっていないのが事実です。個人的人生のゴールと、人間として素晴らしいと認めるゴールの不一致、これは一体どうして起こるのでしょうか?

可能性と危険性

一つの理由は、現在個人能力の達成が多くの人々の進化目標になっているからです。かつてこれだけ多くの人類が、同時に発達した時代はありませんでした。多くの人々が個人的理想とその実現、能力の獲得を望む時代は、飛躍的進化のチャンスです。しかし同時に、多くの人が望みを叶え、利己的目標だけの追求に終わってしまったら、どうなるでしょうか。これは人類にとって大きな危険をはらんでいます。

そして最大の理由は、人類の知性が未発達な為に、形なき高度な愛を正しく理解できない事にあります。現在、人類の最大のテーマは「愛」です。私達が愛を分離した個人に限定すると、魂の愛は理解できません。しかし、全ての人に与えられている命と、人間特有の知性を考えてみると、人類の背後には、人類を進化させてきた偉大な神秘があるとわかります。

人類は、分離した肉体の個人を頂点に考える「意識の限界」を突破しなければいけません。個人の発達も大変重要な事ですが、同時に同じくらい力を注いで、私達を創造し、導き、進化させている見えない愛を発見しなければなりません。現在の文化は誰もが認める物質文明です。余りにも物質の力が人類を魅了してしまった為に、愛さえも、物質的な観点で捉えてしまい、愛の探求が疎かになりがちです。そこで、私達が陥り易い物質的な勘違いを認識する必要があるでしょう。物質主義とは、物を買いあさったり、お金を崇拝する事だけではありません。肉体を人とし、個人能力を崇拝する文化そのものを意味するのです。

物質の引力

人類は前の太陽系で、活動知性を身に付けました。活動知性は人類を構成する存在そのものに埋め込まれているので、多くの人は思想がなくても、日々活動的な生活を送れます。この段階の進化では、活動を通じて能力を表す自分が最高存在となるので、周囲の人々や物を惹き付ける為に、猛烈に働く事となります。何故ならその人の愛は物質世界に向いているので、私達を取り巻く環境と個人の間だけに、強い引力が働いているからです。

その為、周囲に起こる現象や変化、人々の心の反応や往来する物や金に敏感に反応し、できるだけ自分の考えを具体化し、印象づける活動に飛び回る事となるのです。この活動は個人の能力と権力あるいは人気を証明し続けないといけないので、止める事ができません。外的な引力が切れてしまう事が、個人の消滅となるからです。これこそが「物質的」と言えるのです。

更に人間社会に埋没した活動では、結局対象とする人々の本能と感情に応え、それを維持する事となります。最初は良かれと思い、人の為、仕事の為、精神的、あるいは善意の活動と言いながら、実は個人の欲望に奉仕する事になり、欲望を増長し、維持する物質文明に貢献する結果となってしまいます。

一方、魂と接触するには、愛の引力を一旦外界から引き離し、内的な世界に向けなければなりません。元々人間の魂は神の進化計画を読み取る高度な理知性を与えられています。内的な瞑想で神や光を静かに求める事で、人類の魂に接触する機会が得られます。そこで個人を超えた進化のアイディアや、宇宙の法則が得られます。生涯を貫く思想、哲学、宗教的概念や科学的法則、あるいは進化の方向性など、普遍的概念と接する事ができるのです。

この聖なる世界との接触が始まると、人生の目標と活動は、そのアイディアの実行と表現に移行するようになっていきます。何故なら、魂の愛に一度触れると、その聖なる魅力が意識を捉えるからです。人類の意識は、元々魂からやってきた為、接触すると、命の原点に触れたような強い引力を感じるはずです。

以前人類が犯した失敗は、能力ある人々が活動に集中しすぎた為に、愛の理解が不十分かつ未発達になってしまった事に由来します。最初の動機は愛だったかもしれません。しかし、活動していくうちに、物質の引力が強く上回り、夢中になってしまうのです。理由は何であれ、やめる事ができなくなる状態が物質的になっている証拠であり、問題なのです。

そこで、今の私達には、個人能力を使って活動する外的な活動と、その引力を離して魂との引力を確立する内的な活動のバランスが何より重要です。現代は宗教が廃れたので、個人の意志で魂の愛を求め、良心を呼び覚ます時間を習慣にする必要があります。そうしなければ、再び文化は愛を欠いた利己主義の延長となり、進化は地球の求める方向と違うものとなってしまいます。そこには未来は存在しません。

ここまで考えてみると、我々がいかに物質的に考え生きているかがわかります。この区別が明確にならない限り、悪意が無くても、人は個人の魅力に騙され、必死になり、物質の惰性と破壊力に負けてしまう恐れがあるでしょう。

自分と向き合う

我々は本来全ての人が魅力的になる力を持っています。何故なら地球に生まれた人は、全員地球生命に奉仕する使命があり、その為にはその対象を魅了し惹き付ける必要があるからです。その魅力の源泉は、個人の魅力を生んだ聖なる魂の愛なのです。

本来魂意識である我々が、魂と接触するのを阻んでいる最大の敵は、自分の中の憎悪、恐怖、怒り、分離感や無力感です。これらは肉体を持つ物質的な存在感や生死と関係ある意識です。私達は自分自身の中からこれらを追放しなければなりません。人を排除するのではなく、自分の中にあるこれらのエネルギーに意識を奪われる事と闘う勇気が必要です。

次に集中した意志を聖なる魂に向ける事が大切です。個人的な能力であっても、魅力を持った人々は、必ず持続的な強い意識の集中点を持っています。これはエネルギーを引き出す秘訣なので、その焦点を生涯かけて魂の探求に向けるべきでしょう。一日のうち一瞬だけ意識を向けて、後はすっかり忘れてしまうようでは、不十分です。物質の引力に負けずに、忍耐強く意識の訓練を続けましょう。

自分の中の物質性と愛の限界、利己主義を発見するには勇気がいります。個人の魅力から自分を引き離すには、意志が求められるでしょう。しかしこれらの犠牲を払ってでも、魂の聖なる魅力は、私達の意識を満たし、あり余る至福を与えてくれるでしょう。人類にとって、聖なるものが最高の魅力であることを証明する文化、協力して創造しようではありませんか。

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