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手紙:2017-11-03

伝える愛と支配力

潜在している支配性

皆さんは仕事やグループ活動の中で、物事を説明したり説得した経験はありますか?その時、わかり易く一生懸命説明したのに、間違って捉えられたり、理解してもらえず、愕然とした事があると思います。最近は多くの人が仕事をしているので、自分の考えを相手に伝える場面が多くなり、苦労をしている人も多いでしょう。仕事以外でも、家庭内のコミュニケーション、特に子供との関係では、子供が言う事を聞かず、感情的になる事は多いと思います。

人が言う事を理解してくれない、このような場面に直面した時、皆さんはどう反応しますか?腹を立て、イライラして相手を呼びつけ、何故わからないのかと、問いただしますか?あるいは命令調で従うよう、威圧しますか?言う事を聞かないと大変な事になると、恐怖を煽りますか?自分はダメだと落ち込んで諦めますか?これらはよくあるパターンですが、何回繰り返しても効果は無く、寧ろ悪い結果を経験した人は多いと思います。

相手の言っている事が理解できない、あるいは思い違い、反発や誤解は、多くは感性や考え方の違いが原因です。落ち着いて相手をよく観察すれば、この言い方は通じないとか、その人にはこう接した方が通じ易いとわかり、表現の工夫をするはずです。しかし実際には「何故わからないのか?」「何故言う事を聞かないのか?」と怒り心頭になってしまいます。特に親子では「うちの子は反抗ばかり!一つも言う事を聞かない!」と声を荒げる始末です。この怒りと苛立ちによって、益々人間関係が悪化し、私達は失敗を繰り返します。

ところが、このような失敗を重ねても、案外人は相手にわかり易いように話す努力をしないものです。反対に、受け取り側の頭がおかしいとか、態度が悪い、普通ではないと、批判が先立ちます。本当に理解させたいなら、自分を反省し、相手に合わせて言い方や態度を変えるべきですが、その努力は余りせず、怒りの方が先行します。相手を痛烈に批判するこの態度の中に、実は進化を阻害する大きな要因があるのです。

それは「潜在的な支配性」です。冷静に自分と相手を観察して、接点を探るより、まず自分の言いたい事に夢中になり、「私は正しい、これが絶対にいいはずだ」「自分の言った通りに相手を変えたい、そうすべきだ」と言う「支配」が先立ち、躍起になってしまうのです。

自分の支配性は認識しにくいものですが、すべての人が無意識に持っています。人間は魂の一体性を理解するまで、人格は別々だと考える分離性に生きているからです。人格は自分のパワーを感じて、存在を確認し自信を得ようとします。人が自分の言う事を聞き、その通りに行動するのを見て「自分は正しい」と満足するのは、実は「支配欲」なのです。自分にこのような支配欲があると気付くまで、私達は相手を観察したり、理解する「愛ある努力」は難しいでしょう。

子供の感性の成長

親、あるいは子供に接している人は、無意識な支配性に気をつける必要があります。なぜなら大人の支配性は、子供の自由な感性の成長を阻害する最大の要因だからです。「自分は正しい事を言って、子供を助け教育しようとしている」と思っているのですが、子供が思い通りに動かなかった時、イライラしたり怒りが湧いてくるならば、潜在的な支配欲が働いている事を自覚すべきです。これは子育てのみならず、仕事やあらゆる人間関係の中で体験する事です。自分はどのような場面で、どれくらい支配性があるか、考えてみましょう。これを理解すると、何故問題が起こるか、何故理解されないのか、そこに原因が発見できるかもしれません。

人は自分を満足させる為に、周囲を支配しようとしますが、「支配力」の本当の価値は、「魂と繋がるよう自分の人格を支配する」力です。支配するべきは、自分自身であり、他人ではありません。教育し教えるべき対象は、子供でも人でもなく、自分自身なのです。そして支配力は、理屈を理解した後、実生活の実践で訓練し、初めて身につくものです。

よくある事ですが、親は子供の失敗を恐れ、先回りして正しい答えを教え、最短距離で成功するよう、色々なアドバイスをします。多くの場合、善意でありながら、その言葉の背後に支配性が働いている事に気付きません。このような場合、たとえ結果が上手く行ったとしても、成長の原理から考えると、余り意味がありません。正しい答えと理屈では、自分を支配する力は育たないからです。

人間の感性は主に17歳まで発達し、土台ができます。特に7歳から14歳まではどんなに知性が発達している子供でも、この間は感性の発達が重要です。ところがこの時期に、大人が先回りして意見を言う、自分が正しいと思う事を押し付けると、感性の芽の上に鋳型と言う重石を置く事になります。

もし親の言う通りに行動する子供がいたら、親は子供の感性の成長を阻害する上に、自分の意志が無い人をつくってしまいます。自立した感性と知性が未熟な為、人間関係も自分で結べず、失敗を恐れ、学習する事ができない大人になってしまうでしょう。常に指示を出す親がついていたら、一体子供の感性や知性はいつ育つ事ができるでしょうか?土台がこれでは、自分を支配する高度な意志が育つはずはありません。私達は「育てる」と言う意味を、自分も子供も含めて、もっと大きな視点で理解する必要があるでしょう。

親、指導者、教育者、管理者とは、支配者ではありません。寧ろ相手に対する奉仕者なので、相手の感性を知る忍耐力、観察力そして感性の柔軟性が必要です。そして相手に接する自分の人格が、どんな感性の特性を持っているか、一般的か特殊か、相手にわかり易いかどうかなど、自分自身を理解すべきです。

子供や相手の感性を理解しない指導者は、何を教えても成功しません。それは指導ではなく、自分がやりたい勝手な理想を押し付けているにすぎません。また、親は子供と共に、親として成長するものなので、指導者ではありません。寧ろ、「子は親の鏡」と言われるように、子供を見て、初めて自分を知る機会を得るものです。

親子の関係で支配性が出ると、自分も子供も成長する事が難しくなります。親子でも、仕事でも、どんな関係の中でも、支配ではなく、理解しようとする愛があれば、そこには互いの成長が望めます。自分の言った事が相手に伝わらない時は、一度立ち止まり、自分の支配性、自分と相手を理解する愛について、考えてみると良いでしょう。

愛があれば、真の闘いが始まる

人間の美徳に「謙虚」が挙げられますが、本当に謙虚になれるのは、自分の人格を支配し、魂に捧げる為、日々自分と闘い続けている場合だけです。表面的に、態度だけ謙虚にしても、何の意味もありません。

自分を知り、支配する事に成功すると、肉体と感性と知性が整列し、人格が魂と繋がり易い状態になります。魂は人格に比べると、はるかに強い力を持っているので、この整列は周囲に強烈な影響を放つようになるでしょう。もし人が人を変える事ができるなら、このように、自分を支配した人が放つ魂の影響のみでしょう。歴史上聖者と言われた人々は、絶え間なく自分と闘い続けた人ばかりです。しかも彼らは支配者として君臨した人々ではありません。彼らの闘いの中から生み出された思想や哲学、勇気や真摯な態度が、自然と周囲に影響を与えたに過ぎないのです。

道とは、自分との闘いです。道は闘うべき相手が自分であると発見した時に始まるものなので、全ての人が道を求め、歩んでいる訳ではありません。しかし、責任を持って伝えるべき事があり、良い結果を望むなら、人は誰でも道の扉を開ける可能性があります。ましてや、人に対する愛があるなら、自分を変える必要性に気付くはずです。

誰にでも、愛する人がいるでしょう。誰にでも大事な仲間がいるはずです。私達の支配力が、破壊的なものとなるか、創造的なものになるか、その鍵は愛の純度にかかっています。真の愛は、内的な闘いを開始し、その人を賢くし、そして道を歩むよう強くするでしょう。人に何かを伝える、それはとても大切な事です。そのチャンスに支配力を正しく使えば、私達は誰でも道の扉を開け、歩む力を得るでしょう。

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