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手紙:2019-06-14

優しさの探求

優しさの条件

皆さんは自分の事を「優しい人」だと思いますか?最近は多くの人が「優しさ」や「癒し」を求めるようになり、優しさの価値は時代と共に高まっています。一部では「人がひ弱になったからそんな事を求めるのだ」との意見もありますが、優しさは時代が求める人格の美徳です。

しかし優しさの定義は、人それぞれの感覚的なものが多く、自分の都合で優しさを求めたり、押し付けたりしがちです。それでも最近では「厳しい言葉の中にも本当の優しさを知った」、反対に「言葉は優しいけど、本当は優しくない」などと、優しさの奥深さを考える事もしばしばあります。多くの人が実感しているように、本当に「優しくある」事は中々難しいものなのです。

私達は優しさは大事な事だと思いながら、その定義を勝手なイメージで捉え、よく考えた事が無いかもしれません。だからこそ、真に優しくある事が難しいのでしょう。そこで、何故優しさが魂の美徳の一つなのかを理解すれば、日常生活で正しく訓練ができるかもしれません。今回は時代が求める優しさの理想を考え、魂的人格形成に役立てたいと思います。

優しさの一般的なイメージは、情緒的なものが強いでしょう。相手に同調する、心配するとか、思いやりを持つなど、主に感覚的に捉えています。加えて、相手の望んでいる事を叶えるとか、助けてあげる行為も含んでいるでしょう。心の同調は相手の状況に気付く為、第一のきっかけとなるので大変重要ですが、それが全てではありません。

本当に優しくある為には、「知的識別力」と「心理的・知的な無害さ」が必要です。「優」は「すぐれる」と読むように、正しい判断をする知性が欠けると、対処を誤って事態を悪化させ、優しさが仇になる場合もあります。つまり「優しさ」には、状況を癒す為に正しい判断と的確な処理をする「知性」が必要なのです。

優しさと識別力

「癒し」とは、物事が進むべき姿に、正しく戻したり改善する事ですから、優れた識別力が無ければ、本当に優しくある事は難しくなります。「識別力」は、状況や問題を分析したり、原因を追究する能力です。私達は問題の本質が良くわからないまま、心だけで同情している事が多いものです。この場合は、その場の感覚的な同調だけで、意識に印象が残りません。その場を去れば、深く考える事や次なる行動に出る事もないまま、流れるように物事は終わってしまいます。これは単なる感情の同調です。このレベルで優しい人は、同調はするけれども、実際的には何も助けられない人となってしまいます。

では、知的な識別力にはどのような要素が重要なのでしょうか。これを理解すると、何が足りない為に、優しさに必要な知性が欠けているかがわかるでしょう。

状況の正しい認識=皆さんは「良かれと思ってやったのに、かえって悪い事をした」と言う経験はありませんか?知的な判断が欠け、感情的、感覚的に動いてしまい、状況を更に悪化させる事は多々あるものです。子育て、友情、仕事、国際関係まで、勘違いによる状況悪化は数知れません。自分の勘や感覚に自信があると、反射的で断定的になり、思い違いや情報不足で、押付けや的外れな対応になってしまいます。感覚による反射的な断定で発言する前に、確かめたり情報を聞きだして、認識が正しいか気をつけないといけないでしょう。

欲望の識別=更に識別力で重要なのは、相手の悩みや問題に、どの程度個人的な欲望が関わっているかを見抜く事です。これは原因追究の重要な要因ですが、難しい識別の一つです。何もかも相手の希望をかなえる事は優しさではありません。甘やかしや過保護などは、多くの親が悩む所でしょう。利己的な欲望を増長させると、将来的に苦しみは益々強くなるばかりです。欲望の識別は相手のみならず、同調する自分の欲望にも騙されないよう注意しなければいけません。結局人は、「欲望」と「正しい理想」を区別する為に、長い年月、失敗を繰り返しながら学ぶ事になるでしょう。

正しい知識=正しい知識に従って、物事を冷静に処理する人は、一見冷たいように見えて、本当に優しい人と言えます。それには、問題に関わっている人や物、現象などを含めて、広範囲な知識や技術が必要になってきます。直感だけでは、具体的に人を助ける事はできません。これが科学的学習であり、教育で得られる知識の重要性です。物事にはそれぞれ性質や特質があります。いくら愛情があっても、取り扱い方を守らずに我流で接すると、思わぬ害を成す事になります。

例えば、愛するペットでも、動物には各々特有の生態があり、食事や習慣を理解しなければ、優しくする事はできません。好きなように可愛がる事で、病気を招いたり、苦しめたりする場合さえあります。何をするにしても、正しい知識は必要なので、教育や勉強は全ての土台となるのです。

冷静さが知性の土台

さて、これらの識別力を養うにはどうしたら良いでしょうか?その最良の方法は、密教の本によると、「心を退ける事によって、知性の光が流れ込む」と、単純に説かれています。知性は魂からの光によって、頭頂部に到達します。この光の流れを妨げる最大の敵は、自分自身の心と欲望です。心は本来薄氷のように透明で平らか、鏡のようにあるべきです。心を鎮めて考えれば、人間には知性の光が差し込む仕組みになっています。

ところが長年の習慣により、心には自己防衛本能や自己中心的な欲望が溶け込んでいて、濁ったり膨張し、波打って安定しません。いくら知性の光が差していても、心が濁流のように荒れていたら、正しく伝達されず、判断が歪んでしまいます。単純な事ですが、知性を向上させる為には、心を制御する事が何より重要です。心を退かせ、欲望を黙らせる冷静な意識が知性の土台となるのです。

無害の実践

最後のテーマは「無害」です。人はしばしば、優しさから、敵を特定して排除や攻撃をします。批判、敵対、攻撃している時、心と知性は一つになるので、人格は活気づき、迷いが消えます。善意に基いて抗議しているので、一見その人は頼りがいがあって、善意に燃えているように見えますが、魂から見ると、それは善ではなく、寧ろ害を生んでいます。どんなに正しく善意であっても、誰かや何かを傷つける意識や言動は、魂との絆を切断してしまいます。残忍性や攻撃性は、強力な毒素を生み出し、周囲と自分を害するのです。このような意識は、健康にどんなに気をつけていても、内側から毒素を出し、蓄積するので、病気を招く原因にもなる程です。

知性が発達すると、人はプライドが高くなり、自分の正しさに酔って批判的になる為、必ずこの落とし穴にはまります。意識の無害さは、識別する事が大変難しく、達成するとそれだけで一つのイニシエーションが受けられると言われます。人は何故批判的で攻撃的になるのか、その理由を真に理解した人は、自分自身の意識に注意深くなるでしょう。更にその実践には相当の忍耐力と自己支配力、純度が必要になってきます。だからこそ、難関な最終テーマなのです。

これらの条件を考えると、優しさの理想がいかに難しいかがわかります。「優しくあるべきだ」と直観を受けても、実際にそうである為には、長い自己変革、自己鍛錬の道のりが待っています。

人類はまだ魂が望む程、優しくないかもしれません。だからこそ、残りの人生をこの実践にかけてみる価値はあるのです。もし私達が、あらゆる場面で優しさを実践しようとするだけで、その人は直ちに重要な道の一歩を歩み出す事になるでしょう。

今世界はあらゆる場所で、人の優しさを求めています。魂が人格に求めているからこそ、人はそうありたいと望み、また求めるのです。私達は、家族にも、友人にも、隣国の人々にも、あらゆる生き物に対して、優しく接しているでしょうか。もし、そうでないとすれば、直ちに魂が求めるテーマに取り組む事ができます。どうしたら、優しさを正しく表す事ができるか。人生を通じて、探求してみて下さい。

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