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手 紙
手紙:2020-09-11
思考と呼吸
呼吸と幕間
皆さんの呼吸は早い方ですか?深い呼吸を心掛けていますか?最近では、浅くて早い呼吸は、自律神経や血圧を乱し易いと言う理由で、深く長い呼吸の練習をするよう勧められています。呼吸は、密教的に大変重要で、瞑想と共に呼吸の支配は、奥義の一つです。呼吸は、意識活動と密接な関係があるからです。今回は、呼吸から自分の意識を知り、訓練すべき目標、残りの人生の有意義な生き方について、考えてみたいと思います。
人は何かに集中して考えている時、呼吸を忘れている時があります。息が止まっている間を「呼吸の幕間」と呼び、吐いて止めている時と、吸って止めている時、二種類の止め方があります。簡単に説明すると、吐いて止めるのは、何かを具体的に表現する時の力、吸って止める時は高い次元に接触する際で、どちらも重要な意味があります。どちらにしても、呼吸の幕間は「考える意識」と関係があります。そして呼吸の幕間が無いと、呼吸は早くせわしないものになります。つまり、浅くて早い呼吸は、常日頃、「知的に考える事」が少ないと言う意識状態を表しているのです。
日常生活で、物事に感情や感覚で対処していると、知的に考える時間がありません。特に病気、事故などで、命が関わるような事態に大慌てし、右往左往して行動すると、呼吸の幕間が殆ど無く、浅く早くなります。また激しい呼吸をしている時は、霊の力は働かないので、知的活動は望めません。運動しながら考えているレベルは、魂からすると、考える活動には入りません。呼吸の観点からすると、私達は日常生活で、考える時間が本当に短いのかもしれません。
呼吸は意識の表れ
私達の日常は、習慣的な処理と感覚的反応が大半を占めています。これらは五感覚の反射に近いので、意味を考えたり深く洞察する時間がありません。「考えている」と言っても、どう反応するかの選択に悩むくらいです。習い事や忙しい仕事、家族の面倒など、目まぐるしく活動しても、実は「意味を考える」行為は、僅かしかないでしょう。呼吸は忙しさと共に、浅く短いものになっているはずです。
では、呼吸を直せば、私達は進化するのでしょうか?腹式呼吸を練習し、深い呼吸をしたところで、いざとなると反射的に感情で動く、慌てて右往左往するなら、肉体的に深呼吸が上達しただけで、意識を変えるところまではいきません。大事な事は、呼吸は意識活動の結果であり、呼吸が原因ではないので、意識を変える練習こそが必要なのです。
特にその人にとって、重大な事が起こった時の行動を見ると、意識活動のあり方を知る事ができます。何か困った事が起こった時、次の瞬間「どうしたらいいか?」と、方法だけを聞く人、あるいは「こうしたら良い」とすぐ行動する人は、考える作業が浅い可能性があります。処理は早くても、その現象が何を表すか、意味や原因を考える作業がありません。また、自分の勘を断定的に信じる人も、考え方の変化や、視野の拡大、理知的な思考のプロセスが練習できません。若い頃から同じ信念、考え、好みを持ち、考え方に変化が起こっていない場合は、特に呼吸を点検し、「真に考える」観点から、自分に疑いを持つ必要があるでしょう。
いざと言う時、考える訓練
一方、物事に際して、良く考えて行動した場合は、たとえ失敗しても、後に反省や検討ができ、改善や変化する事ができるので、結果的に効率も上がります。反省や検討は、まさに幕間に当たる行為です。呼吸との連動を考えてみても、反省し検討している時は、感情を鎮めて冷静に考えようとするので、人は無意識に呼吸を鎮めようとします。真に考えようとすると、呼吸には自然と幕間が生まれるのです。
人は困った事を避け、望んだ結果を出そうとするからこそ、重大な局面なのに、よく考えずに慌てて行動しがちです。しかし、反射的、感情的に行動した時は、周囲も見ず、考えも不明確なので、覚えている事はそう多くありません。状況を反省し検討する材料の情報が不足していては、早く行動したところで、同じ事の繰り返しになり、何回経験しても、望んだ結果は得られないでしょう。
人生は、困った事を経験する為にある訳ではありません。反対に、望んだ結果を出す為だけにある訳でもありません。では、何の為にあるのでしょうか?極論を言えば、成功か失敗かよりも、考える力が発達する事が大事なのです。失敗しても、考えてから行動すれば、知的に収穫できるものがあります。何を目的に、どんな方法を選んだか、その結果は何故起こったのかという原因の追究、これらを明確にする過程の中で、考える力が養われます。
結果だけを重んじる事は、物質的な考え方です。意識が物質的だからこそ、現象に反応し、呼吸を速めてしまうのです。経験を通して、考える力を養う事が進化であり、人生の意味です。現在の呼吸の在り方を観察し、自分は考えずに反射的に行動していないか、考える訓練に取り組んでいるか、自分を振り返ってみましょう。
知恵の時代
年を取ると、次第に行動範囲が狭くなります。接する人も限られ、環境が自ずと定まってきますが、そうなったからと言って、意識活動が退化する訳ではありません。これは、経験を目まぐるしく積む周期が過ぎ、考える知恵の年代に入ったと言えるでしょう。考える力を養えば、今までの経験が活かされ、物理的環境に関係無く、世界を広げる事はできます。考える事で、同じ事でも次元を上げて理解できれば、意味の世界は無限に展開していくので、行動範囲に制限を受ける事はないのです。
ところが反射反応で生きていると、新しい刺激、没頭できる対象が少なくなっていくに従って、意識は鈍っていきます。意識が不活発になり、意欲も薄れ、すべき事が無くなったように感じるでしょう。目的が無い、知性も使わないとなると、人は無駄に動き回るか、あるいは心配を始めます。動く事か、心配する事に意識が「依存し」、ネガティブな思いだけが、巡るようになるでしょう。
こうなると、魂がいくら知的エネルギーを送ろうとしても使われないので、人格から知性の糸を引き上げてしまう可能性があります。ですから、私達は最後まで豊かに生きる為に、今こそ、考える力を訓練すべきだと言えるのです。
呼吸と奉仕
意味を考える思考力は、新しい「世界宗教」の土台を切り開くでしょう。何故なら、個人的な経験の背後には、人類に共通する意味があるからです。人生の意味、現象の意味を考える事で、私達は個人の世界から、人類というグループ生命に参入していきます。
一人の人が、人生に意味を見出せば、それは人類全体に共通する知恵となります。その意識は小さくても純粋な光となり、他の人の人生を導く指針となります。正しく思考する力は、苦しみや束縛から人々を解放し、環境に縛られない意識を生み出します。これは人に対する最大の奉仕ではないでしょうか?
もし、私達が深く考える訓練をし、その結果深い呼吸を獲得したら、その人自身の存在が、光となって周囲の人々を救うでしょう。意識を魂に向けて呼吸すると言う事は、自分の知性を改革し、周囲に知恵を分配する事を表しています。
深く吸う事は、光を取り入れる事、深く吐く事は、光を周囲に分配する事。数世紀先に、呼吸自身が奉仕であると言える程、私達は進化した人類となる可能性があります。現在と言う状況、そして年齢を重ねた今、魂にとっては、むしろチャンスと言えるかもしれません。考える訓練を始めたなら、それは未来から見ると、本当に大きな一歩になるはずです。