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手紙:2021-05-14

経験の価値

興味の対象

皆さんは最近、どのような事に意識を向け、興味を持っていますか?毎日の家事、自分の仕事や能力、家族の問題、友人の事、病気、あるいは地域や学校の活動、ニュース、哲学など、人の興味は千差万別、様々な事に広がっています。世界中の人の興味を集計すると、世界全体が形作られるのではないでしょうか。

人間の興味の対象、意識の向け方は、それ程多様性に富んでいます。皆さんも、若い頃から様々な事に興味を持ち、その世界との繋がりや経験が、自分自身を培ってきたと言えるかもしれません。この能力は、私達の使命である意識の進化と関係があります。

ところが、年を取って「意識が不活発になると」(ならない場合は別)、興味の対象は、自分とその周辺の日常生活に限られてきます。それは一体どうしてでしょうか?主な理由は、対象との関係や関連が感じられず、関係を考える事もしなくなる為、興味が薄れるのです。いわば、日常生活と世界の架け橋が繋げなくなるのです。

関連する世界が小さくなると、視野が狭くなり、話の内容が昔の記憶や今体験している事だけ、つまり自分を中心とした日常生活の話だけになってしまいます。これは意識の老化であり、理解力=愛が低下している証です。最近、このような意識活動の低下が、脳科学の研究でも解明されつつあります。今回は、関係を考え、理解する能力と言う観点から、愛の拡大を考えてみたいと思います。

脳の高速道路

最近、脳の血流量が測れるfMRIが開発され、意識活動と脳の働きが詳しく解明されるようになってきました。そこで興味深い事実が次々とわかってきています。そのうちの一つですが、脳は何かに集中する時でも、しない時でも、二つ以上の離れた部位が同時に働いている事が判明しました。その二点が結ばれて、脳内にネットワークができるのですが、色々な二点の組み合わせがあり、脳内のネットワークが広がって、全体が活性化するのです。私達の意識は、脳内に見えない線を結んで、離れた箇所を同時に働かせ、物事を判断したり、理解しています。

脳内のかなり離れた箇所を同時に働かせるネットワークは、遠くの場所を速いスピードで繋ぐ「高速道路」に例えられます。脳内「高速道路」を使う人は、一度に多くの事を理解したり、総合的な判断ができる傾向があります。

ところが一般的に、七十歳以上の人の脳は、五十歳以下の人と比べると、高速道路が使われず、一箇所の周辺=近場の路地を結んで物事を考える傾向があります。こうなると判断が遅くなり、物事の理解が部分的、あるいは誤ったものになりかねません。

高齢者の車の運転でも、瞬時の判断が遅くなり、視野が狭くなる事、複数の対象を同時に見極める能力が低下するので、事故が急増します。ところが、七十歳台、特に七十五歳以上の人は、「運転に自信がある」と断定する人が多くなります。理由は、今までの経験から来る自信もさる事ながら、他の情報や客観的判断が考えにくくなり、断定し易くなるからなのです。脳の高速道路が使えなくなると、人は断定的、短絡的に考えるようになり、思考力や判断力が衰えてしまうのです。意識のネットワークによる拡大は、愛と関係しますが、それが脳の働きに投影しているのは、大変興味深い現象です。

愛の拡大

私達の世界は、神の愛で全存在が結ばれていると言いますが、宗教や道徳でそう教えられているだけで、本当に実感しているとは限りません。しかし今の世界では、全く離れた国の事件や出来事が、全世界に影響します。これだけ密接に関係する世界を作ったのは、実は人類の愛の表れでもあるのです。

各分野に精通している人達は、世界の繋がりをよく理解していて、ある出来事がどのような範囲に影響を与えるかを予測できます。一見関係ないような事が、日常生活に影響を及ぼすと言う理解は、脳の高速道路を使った理解と似ています。私達は、経済や文化の発展を通して、物質界での繋がりや関係性を、かなり広範囲に理解できるようになりました。

しかし、本当の原因や関係性を理解しようとすると、物事の背後にある霊的な意味や根本的な存在意義を理解しなければ、理解は物質界でわかる範囲に留まってしまいます。人間の進化にとっては、次元の高低、広さを含め、見えない世界に脳の「高速道路」を繋げないと、完全な理解にはならないでしょう。世界を広く繋ぐ愛と、霊的な意味を求める愛、この二つが揃って、私達の愛は拡大し、理解はより正確なものとなるでしょう。

若い頃は好奇心や仕事を通じて、様々な世界や人と関係を持つ事になります。その中で、異なった考え方、未知の世界と接点を持ち、ショックを受けたり、学んだりしながら、一体何がどう繋がっているかを発見します。このような時は、環境の刺激から、曲りなりにも脳内の高速道路が繋がっています。しかし、多くの人が長年このような経験をしていながら、その後、何故意識の高速道路を維持できないのでしょうか?

自分で考えた事が残る

私達は何かを知ったり、経験する時に、結果を出す事や自分が成長する事だけでなく、それが自分や他の人、他の世界とどう関係するか、背後にある価値や意味を、「自分で考えて発見する必要」があります。しかし、繋がりがわからないものや、考えようとしなかったものは、現象が終わると同時に興味を失い、意識から消えてしまいます。自力で関係や原因を考えなかった事は、目の前から消えると、印象に残らないのです。また、自分の損得と成長しか考えていない人は、全て関係の中心が自分であり、自分が関わっていないものや、他の見方による考え方が理解できていません。

人生で、考える力を培っていれば、環境が変わって外からの刺激が無くなっても、自分から考える対象を、積極的に得る事ができます。反対に、経験の物質的側面しか見ていなかったり、自己中心的だと、元々考える力に限界があった為、脳は年齢と共に老化してしまうでしょう。

物事を経験した価値とは、何でしょうか。それは、自力で物事の背後にある繋がりを理解した愛が財産となって残る事です。極論を言えば、成功したか失敗したかの結果だけが大事な事ではありません。その経験を通じて、考える努力が理知性を進化させ、愛と知恵の財産となるのです。

意識の架け橋

魂の見地からすれば、全ての存在や現象は何らかの関係で結ばれています。しかし、その関係を理解する事は、神の愛で繋がっている見えない線を発見するようなものです。懸命に考え抜かなければわかるものではないでしょう。考えると言う意識の努力をどれだけ積み重ねてきたか、そこが経験の価値とも言えるでしょう。

このような愛の理知性を磨けば、激しく活動する時期が過ぎても、考える力は衰えません。また、経験から得た知識が、更に深く考える事で知恵に変換されていれば、もう次々と新しい経験をする必要がなくなります。その人は正しい関係を見通せる真の識別力を獲得しているのです。

人間の魂は愛が本質です。愛の理知性が少なかったと気づいた人は、今からでも自分以外の世界に興味を持ち、「考える努力」を始めて下さい。少しでも愛の財産がある人は、その愛を多くの人と分かち合って下さい。そうすれば、愛はまた次の進化へと発展していくでしょう。このように遥か遠くまで繋ぐ力を持つ愛は、多くの人を魂に送り届ける架け橋となるでしょう。皆さんの考える努力が、多くの人が続く架け橋を創るのです。

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