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手 紙
手紙:2022-03-11
死の概念
自然界の死
自然界では四季があり、秋から冬にかけて静かな死が訪れます。それは自然の摂理の一つですが、この数年そして現在、人類に訪れている大量の死は、中々受け入れる事ができません。世界で多くの人の心が傷つき、苦しみが募っていきますが、大きな周期を考えると、「生まれたものは必ず死ぬ」と言う宿命を思い出します。
死は誰にでも訪れるものでありながら、突然の死や理不尽な死を受け入れる事はとても難しい事です。法則として理解はしているものの、この根底には、私達が死を非常に恐れていると言う事実があります。人間の恐怖の源は、死であると言っても過言ではありません。
「死の恐怖」とは、過去の誤った知識と教育によって、人間だけに教え込まれた地球人類特有のものだと言われています。全ての人が経験する死、今回は、このような時期だからこそ、死の本質を正しく理解する糸口を掴みたいと思います。
自然界は、個別に魂を持たないので、地球のある引力によって、死が引き起こされます。その力とは、周期的に命と物質を回収する地球の磁力です。この力は大鎌を持った「死神」として恐れられてきました。地球の物質的命を元に戻す「偉大なる吸気」のような力で、自然界はこの力に抵抗する事はできません。植物も動物も、この磁力的な力によって、命の回収が起こった時、生気が奪われ、形態を作っていた物質は、地球の根源的な場所に戻っていきます。
自然界はこの周期的な働きに対して、人間のような強い恐怖心を持っていません。死は、集団的な生命の中で起こる循環の一つの現象なのです。
人間の死は魂の命令
一方人間は、一人一人が「魂意識」と「形態生命」の二つの命を持つ生命体です。そして、人間の生死は、自然界の場合と違って、魂が周期を決めています。大災害や戦争、大規模事故などの突発的な死を除き(このような場合は個人の責任では無い為、大抵すぐ生まれ変わってきます)、個々の生死は「魂が決定権」を持っているのです。
人間の個体は、動物体からもらっているので、形態生命には地球の周期的な引き合いがあり、自然界と同じように物質生命を回収する力が働きます。しかし、人には魂があるので、魂の計画と目的に従って、その回収する力に抵抗する事ができます。つまり病気を治したり、正しい方法を講じたり、生命力を活性化する事ができるので、形態生命の寿命を、目的に従って延ばす事が可能なのです。魂意識は、魂の使命さえあれば、自然界の「死神」に抵抗し、個体の寿命を維持する事ができるのです。現在、地球人類は、昔の人より遥かに長く生きて活動しています。人類の理知性が医学や科学を発達させた為、その驚くべき知恵を分かち合い、個々の肉体も驚異的な抵抗力や免疫力を獲得しました。
しかし、これは肉体の永遠の命を保証するものではありません。魂が人生の使命が終わったと判断すると、魂を引き上げるので、肉体はその命令に抵抗する事はできなくなります。この時には、意識の引き上げが起こり、肉体の回収は地球に任せるので、体は自然界と同じように死にます。魂は目的や意味が無い場合、ただ地上に長く生きる事に執着しません。ですから、どんなに医学が発達しても、人間の個体は結局死ぬ事になるのです。
魂にとっての死
人間の意識は魂である為、人は死に対する命令を意識的あるいは無意識的に知っています。今や人類は益々魂的に発達してきた為、最近では死を受け入れて、静かにその時を迎える人が増えてきました。魂に意識を置けば、物質生活に執着が薄れ、個体が持つような恐怖は、遥かに少なくなります。
魂にとって死は、一時期に肉体を離すだけで、意識が死ぬ訳ではない為、恐怖ではありません。目的を果たしたならば、寧ろ物質的な重荷や苦痛から解放されるので、祝福すべき解放の瞬間と言われています。ところが、個体にとって、死は無になる、あるいはあらゆる地上の絆から断たれる恐怖の瞬間です。
私達が死を恐れるようになったのは、過去において、個々の肉体が自分だと教えられ、死の恐怖を植えつけられた為です。そこから発展し、生きている間に、できるだけ欲望を追求し、得たものを離すまいとして、執着した事で、死は更に全てを失う恐怖となっていきました。「人は魂である」、それに対して「人は肉体である」、どちらに重きを置くかによって、私達の人生は全く違うものになっていったのです。
私達が個別の物質的生活に意識を集中しすぎると、過去に教えられた死の概念が動き出します。自分が無くなり、慣れ親しんだ人や環境、物との繋がりが全て絶たれ、獲得した全てが失われる、宗教で言う地獄に落ちる事を恐れる人もあるでしょう。親しい人が死ぬ場合も、もう二度と会えない、生活が途切れる喪失感が、言い知れぬ苦痛や寂しさを生み出します。自分が肉体であり、個人の感覚に意識が集中し、その記憶の積み上げが人生であるなら、それは耐え難い苦痛を生むでしょう。
人格と魂の接近
しかし今、人類は大きな意識の岐路に立っています。それは、死の恐怖から解放に向かうチャンスです。私達は多くの苦しみを経験しながら、死の恐怖と闘い、努力を重ね、知性を発達させてきた為、肉体の意識が魂に接近してきたのです。これは、考え方を変え、恐怖から解放される大きな転換点と言えます。
長年続いてきた恐怖ですから、難しい事は当然ですが、この意識の転換期を活かすには、次の二つの点を意識すると良いでしょう。一つは魂と言う不死の存在があると仮定し、その方向に意識を向ける事。これは真の信仰心の鍵となります。もう一つは個別の自分と物質的な環境に、余りにも意識を置き過ぎない事です。これは自分の欲望、感覚、特有の考えに埋没しない事、自分や特定の人やもの、考えに執着し過ぎないと言う意味があります。
この二つは、物質的生活と人格的自分から徐々に意識を引き上げ、恐怖を和らげる方法です。人間の意識は元々魂ですから、物質界に生きながら、生活に魂意識を浸透させる事を目指しています。魂の本質は光であり、恐怖は物質界の闇の中に存在します。魂と接近し、魂が考える事が自分の意識に浸透してくると、人は死を正しく理解し、以前程恐れなくなるでしょう。恐れとは、理解できない事から生まれます。死は生命の周期であり、それによって全てを失う訳ではないと理解するなら、恐怖は次第に消えていくでしょう。この意識の変化は、光が細胞に当たって温められているように、徐々に、しかし確実に進んでいくでしょう。死の恐怖は、人類を長く支配してきた根強いものです。繰り返し光を求め、毎日意識の修正をして、訓練を続ける必要があるでしょう。
愛の浄化
人類や自然界の形態は、数え切れないほど死を繰り返し、悲惨で苦痛な歴史を積み重ねてきました。それにも拘わらず、自然界は美しく、逞しく、そして人類の愛と知性は、驚く程成長してきました。これは地球の偉大なる配慮と、魂の驚異的な浄化が働いているからです。魂の愛が、人類の悲しみや恐怖を浄化し、打ち消してきたのです。
その働きを助けているのが、実は死の現象です。もし人類に魂が無かったら、もし地球に慈悲深い進化計画が無かったら、そして死と言う周期が無かったら、人は絶望し消滅したかもしれません。私達の意識は劇的に変わらないかもしれませんが、少しずつ粘り強く着実に進んできたからこそ、今があるのです。
全ての人の本質は魂です。驚くべき浄化作用と、愛に満ちた生命力、そして高い知性を持った存在が、本当の姿です。だからこそどんな悲惨な経験も乗り越え、希望や光を見出し、意志強く歩み続ける事ができるのです。
魂は人類全体で、愛により繋がり合っています。全体で支え合い、進化し続けているので、意識が失われたり、何かを喪失したり、悲哀や苦痛で絶望する事はありません。人が将来もっと進化すれば、魂との正しい通信が可能になり、人は不死である事を悟るでしょう。
個体の人間が苦しみの中にいても、魂生命は常に美であり、善であると言います。人生で死に直面し、悲しみや苦痛に打ちひしがれても、その背後では、何か素晴らしいものが前進しているはずです。その何かを探そうとする意識こそ、魂への繋がりを発見する道です。互いに励まし合い、体験を共有しながら、死に打ち勝つ光を手にいれる。近い将来、人類は、死に打ち勝つ意識を掴むでしょう。