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手紙:2023-07-07

正しく聞き、見る努力

聞く力

皆さんはどんな時に老化を感じますか?体力、気力、能力、姿勢、お肌の調子など、人によって様々でしょうが、加齢と共に五感覚は必ず衰えていきます。特に聴力は気づきにくいのですが、40代から高い周波数が聞こえにくくなり、そのうち、テレビや会話などに不自由が感じられ、日常生活に支障が出てきます。これは肉体的聴覚の衰えですが、このような現象が起こる前に、人は「知的な聴覚の力」、つまり正しく聞き取って内容を理解する力を身につけておく必要があります。老化する前に、自分はどれだけ「聞く力」を磨こうとしていたか、考えてみましょう。

視力も同様です。勿論年と共に肉体的視力は衰えますが、人や現象を見て、どれだけ正確に情報を捉えて理解するか、この努力が肉体的視力を超えた「見る力」になります。五感覚の中で、特に聞いて見る力は、「知力の発達」と関係します。今回は、聴力と視力の背後にある知的な進化の意味を考えてみたいと思います。

まず聞く力ですが、話の内容を聞き取る能力は、人によって随分差があります。それは正確に理解しようとする態度が違い、長年続けているうちに、大きな差が生まれてしまうからです。人の話をしっかり聞いているかどうかは、仕事や家族関係、友人との会話で、何度か知るチャンスがあるはずです。ところが、正確に聞き取らない傾向の人は、言われたところで、元々聞いてない為、直すチャンスとして活かせません。余程の事が無い限り、自分が人の話を聞いていないなどとは気づかないでしょう。

孤独と会話

最近、面白いデータが発表されました。日本は長寿大国ですが、同時に中高齢者(特に男性)の孤独大国で、社会的な関係を個人で築く能力が低いと言うのです。特に会話が苦手で、人と上手に交流できない人が多いようです。日本独特の労働環境や文化の習慣があるのでしょうが、正しい人間関係を結ぶ為の会話には、知的で積極的な努力が必要です。

「会話」と言うと、自分の主張を話す事と思いがちですが、その基本は「よく聞く事」です。最初人間の知性は、聞く事から発達します。会話が成り立たない理由は、一方的に話す、あるいは相手が言った内容を正しく理解できない為、話がかみ合わない事でしょう。どちらのケースも、聞く力が不足している為、会話が成立しません。耳はちゃんと聞こえているはずなのに、どうして正しく理解できないのでしょうか。

理由は、まず最後まで相手の言う事を、聞けない、確かめない事が挙げられます。言葉の幾つかを聞いただけで、反射的に勝手な関連と判断を考え出してしまうからです。知性が発達すると、聞きながら考える事ができますが、多くの人は、同時進行能力が未発達です。自分の感情や考えが走り出すと、聞き取り作業が中断し、情報が不足したまま、思い込みの対話になってしまいます。

更に、声には感情や欲望が表れているので、その背後の感覚や意味も含めて聞き取らないと、理解が不十分になります。ところが、声は人の感情を触発するので、感情が支配できていないと、話をじっくり聞き続ける事ができません。つまり、感情を支配する知性こそが、話を正しく理解する鍵となるのです。この訓練は、一人ではできず、実際の人との会話で養われる為、人と会って交流する事は、とても重要なのです。

理解力の進歩

一方、視力は、眼=脳の出張所と関係する為、聴力より一層知力と深い関係があります。眼は意志を表す器官なので、その人の考え方や意識そのものが表れます。見る事は、聞く事より、更に能動的で、物事を関係づける総合的な理解ができます。ある特定の物や人しか見ていない、余りに視野が狭い、物事の見方が偏っている、考え方が間違っていると、その状態は何らかの形で、眼の雰囲気や働きに表れます。

私見を入れずに、物事をありのままに見る事は大変難しく、実際人によって、見え方は随分違うので、かなりの差があります。真の眼力とは、人や物が進化した姿を見抜く積極的な洞察力で、時空を越えた未来への扉です。しかし、それは遠い将来の目標なので、せめて現在の私達は、接した人や状況から、できるだけ多くの情報を正確に捉える事を心掛けるべきでしょう。また、眼は関係性を理解する力があるので、見えない繋がりや関連を見ようとする事で、総合的な能力が高まります。関連がわかれば、背後にある意味や考え方が推論し易くなるでしょう

このように、聞く力と見る力を正しく発達させると、相当な知的理解力が発達します。年齢を重ねると、当然肉体力が弱り、活動範囲が狭くなってきます。そうなるまでに、知的な聴力と視力を発達させていると、肉体的な衰えはカバーできます。もしできていなくても、正しく聞き見る事は、体を動かさなくてもできる積極的な知的活動です。今からでも人と会って、理解する努力をすれば、知性の進化に役立つはずです。忙しくあちこち飛び回り、新しい事を始めなくても、五感覚を正しく使う事で、私達にはまだ訓練できる事があるのです。

正視、正聞への挑戦

脳科学の観点では、脳の発達には物事の関連を考え、驚く事や発見する事が、とても良い刺激になると推奨しています。新しい場所に行き、新しい体験をする事は、当然意識の刺激になるでしょう。しかし、身近な人やよく知っている人との間で、知らなかった側面を発見した時の驚きやショックは、大きな刺激となります。それは今まで聞き取れていなかった、見ていなかったと言う限界の発見でもあります。

私達の意識はまだ完璧ではありません。聞き逃し、見ていない事の方が多いのが当然です。しかし、私達は「話を聞いてない」「何も見てない」と言われると、そうかもしれないと省みるより、そんなはずはないと反発しがちです。また同じ人の中に、違う側面を見た時、時にはショックを受けて、自分ではなく、相手を責めたりする事もあります。

正視、正聞とは、釈尊の説いた八正道の教えです。それ程難しいテーマなので、全ての人にとって生涯かかって取り組むべき問題です。では、どうしたら正視、正聞に近づく事ができるでしょうか。その鍵は「愛」です。人は無意識ですが、自分は正しいと思っている為、それ以上考える必要を感じません。正しいというのは完結なので、より深く多くの情報や理解を求めなくなります。当然五感覚の霊的進化は起こらなくなるでしょう。

また、もし相手をよりよく理解しようとする愛があるなら、疑問が起こったり、何故かと深く考えるようになるはずです。自分の正しさより、より深い真実を見ようとする愛があれば、もっと違う理解ができるはずです。過去、自分がいかに五感覚を勝手に使い、いい加減であったかを悟った人は、意識を新たにし、心機一転、新しいスタートが切れるでしょう。自分の限界が発見できた人は幸いです。まだ気づいていない人は、謙虚になり、新たな努力にチャレンジしてみましょう。同じ環境の中でも、深く聴き、広く高く視える人へと旅立ちましょう。

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