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手 紙
手紙:2023-08-11
経験と勇気
四季の意味
日本には、美しい四季があります。自然界の変化を四季折々楽しむ事ができ、その変化は体や心に影響を与え、文化を生み出す事にも貢献しています。しかしそれ以上に、四季にはそれぞれ霊的活動の意味があります。
皆さんに祈りをお願いする春は、地球上の全ての命に、生命エネルギーが届けられます。その力を受けて、動植物は活動を始めます。無意識であっても、全ての人が同様にエネルギーを受けます。特に人間は、生命エネルギーだけでなく、知的エネルギーも受信します。その力を受けて、新しい事への気づき、関連性、新しい知識への意欲が起こり、思考する力が増していくのです。春の時期、物事の捉え方が深くなったり、新しい局面や関係性に気づいたり、意識の方向性に変化があったら、それは、個人、あるいは人類にとってのその年のテーマである可能性があります。
では、夏はどのような意味があるのでしょうか。夏はそのアイディアや思想を、具体的な活動としてどう表現するか、計画を立て、いわば「料理」をする時期に当ります。受信したエネルギーを、その人の知性の火に混ぜ合わせる作業です。ここで個人やグループの特質が表れ、様々な表現方法が生まれます。そして計画に沿って、必要な能力や人との縁、物資などを調達していきます。
そして秋は、具体的な活動、実際的な奉仕を始める時期です。「実りの秋」、自然界は命の活動の結実を得る時期です。では、「人間としての実り」とは何でしょうか。今回は、秋から冬にかけての時期を、霊的に活用できるよう季節から捉えた考察をしていきたいと思います。
奉仕と変化
失楽園のイブが、リンゴを食べて地に落ちたと言う物語がありますが、リンゴは秋に実ります。赤い実を食べるとは、欲望や考えに従って、「経験を得る」事を表しています。また「地に落ちる」とは、罰ではなく、地上と言う物質界で活動する事を表します。
私達の経験は、自分本位の本能や欲望に基づいたものが多いですが、それも自己確立するプロセスとして必要な経験です。しかし本来の経験とは、人間が神から与えられた光(知力)を周囲に分配する為の手段です。その活動が光に満ちる為には、形にこだわる必要はなく、人や自然に対して、愛他的で奉仕の精神があり、正しい知識に基づいて、親切にする事が基本です。
親切や光を分配する事は、正しい奉仕に繋がりますが、ここで奉仕の定義を知る事は役立つでしょう。奉仕とは、相手の進化を助ける性質があります。対象とするものが、ある状態から脱して、次のステップに進むよう助ける事です。その為、本来の経験を、正しい奉仕にする為には、自分の力や相手の状態を見極める知性が必要になるのです。
例えば、ある人々の苦しみが、何かを与える事で、その状態から脱出できるなら、与える事が奉仕になるでしょう。意識の原因を突き止めて説明する事も、意識の束縛から解放する手伝いになるので、奉仕になります。技術や知識を身につけて、周囲により効果的に奉仕できる人を育てる教育も、素晴らしい奉仕です。進化に沿った「変化」を起こす援助は、全て奉仕と言えるでしょう。植物が成長し、花を咲かせ、実を結び、枯れて地に返っていくように、変化とは、以前の形を打ち破り、次の形、次の意識状態に移っていく事です。実りを得て、冬枯れを経験する秋から冬は、人の精神が最も大きな変化を起こす時期と言えるでしょう。
勇気と積極性
さて、奉仕には状態を把握する識別力と進化の方向を理解する愛ある知性が必要ですが、秋の実りを得る為には、もう一つ大切な要素があります。それは「勇気」です。人は年を取ったり、ある状態に安定すると、変化を好まなくなります。感情的にも喜怒哀楽が落ち着いてきて、若い頃のように心が乱れる事には、手を出さなくなるでしょう。面倒な事を避ければ、気持ちは安定しますが、毎日の生活は同じ事の繰り返しになりがちです。マンネリ化が良くないと言いますが、習慣化した生活自体ではなく、変化を好まなくなる意識自体が問題です。
このような意識状態は、いわば川の中洲に立っているのと同じです。感情は水に例えられるので、中洲に立っていれば、水に浸かっていないので、感情的には一見安定しているかもしれません。しかし、活動範囲はとても狭く、水に囲まれて動けない状態です。もし、移動しようとすると、一度は川に入らないといけません。それを考えると、危険を恐れたり面倒に感じ、感情的にも乱れるので、考えたあげく、結局中洲に立ったままになる、つまり変化を拒む事になるのです。こうなると、エネルギー交流が起こらないので、次第に意識は萎縮して固くなってしまいます。
この状態を突破する為には、まさしく「勇気」が必要です。移動するのに、水に入らなければならないなら、入る勇気が必要です。つまり、何かを経験する、あるいは目的を果たすには、経験の中身を選り好みせず、全部ひっくるめて受け入れる勇気が必要なのです。
火は行動を掻き立てる
もし私達が年を取って、神経質で気難しく、選り好みが激しい為に、新たな行動を取れなくなったら、それは中洲に立っている状態なのかもしれません。自分のやり方や生活の仕方以外受け入れない幅の狭い人になり、理屈と文句を言っている間に、水が周囲を浸食し、立ち位置の面積は、どんどん狭くなっていきます。これでは、自分が立っている事だけで精一杯になり、周囲に対する奉仕は到底難しくなるでしょう。勇気が無い為に、情熱も消え、交流も途絶え、意識の火は知らない間に消えてしまうかもしれません。
体は年を取りますが、意識の火が燃えている人は、ひときわ周囲の人の意識を燃え立たす事ができます。勇気を持って何かに挑戦する姿、人や命に尽くそうとする真摯な態度、経験を積んで包括力の増した優しさは、何より人々を勇気付け、感銘を与えるでしょう。結局人は経験を通して、物事の結果より、意識の交流をしているのです。どんな豪華なものを与えられるより、結果が上手く行く事より、意識の火に触れた時、人は勇気をもらい、命が奮い立ち、生きる方向性を見出すのです。
勇気は消えない火
多くを経験した今、私達は自分が勇気のある人なのかを問わなければなりません。中洲に立ったまま、言い訳や理屈を言い続けるより、水に浸かっても対岸に渡り切る勇気と積極性の方が、多くの人のハートに火を付け、後に続く行動を引き起こすものです。これは無謀で衝動的な行動を勧めているのではありません。意識の熱誠と枠組みの突破について、語っているのです。
そして秋に続く冬は、経験を終え、その意味を考える為、意識と向き合う時期に入ります。経験を振り返り、どんな奉仕をしたのか、その経験から何を学んだのか、実践で意識がどう変化したのか、新たな価値を発見する時期です。その時、勇気を持って行動したかどうかは、大きな差を生み出すでしょう。勇気とは、結局制限を打ち破る火の力です。私達は、年齢を重ね、経験を積んだからこそ、精神の火が、内に燃え続ける人でありたいと思います。その鍵は、勇気である事を忘れないで下さい。