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手 紙
手紙:2024-04-26
芸術的生活
生活と芸術
日本は優れた芸術を生み出す国です。どの国にも、どんな民族にも芸術はあり、どれも同等に素晴らしい価値がありますが、特に日本人は、民族的に心が発達している事と、細部にこだわる緻密な感性が、その基盤となっているのでしょう。しかし、西洋の国々に比べ、日本人が美術館やコンサートに行く回数は極めて低いのが現状です。その意味では生活と芸術は、一見すると、関係が薄いと感じられるかもしれません。
ところが、芸術に関して、これからの日本は霊的に大きな役割を果たす事が決まっています。この意味を理解するには、芸術の密教的役割を認識する必要があり、そうする事で、私達が役割を正確に果たせるようになるでしょう。今回は、芸術を深く考える事で、毎日の生活の価値と方向性を考えてみたいと思います。
芸術と聞くと、優れたセンスと才能で、特殊な感性を持つ人の活動だと思いがちです。現実離れした世界で、自分には関係が無いと思っている人も多いでしょう。しかし、人間の歴史を顧みると、芸術は古代から人類と深い関係がある分野です。何故なら、動物界から人間が誕生し、最初に教育を受けたのは、芸術的感性だったからです。
古代遺跡で、人類が暮らしていた洞窟には、壁画、時には宗教的儀式の痕跡が残されています。当時の霊的指導者は、人間に対して、自然界に美を感じる心、そしてその背後に、創造者である神を感じる感性を育てる為に、気の遠くなるような時間をかけました。これが芸術の始まりです。人が感動し、偉大な存在を崇拝するのは、物事の背後にある目に見えない存在を感じる感性があるからです。
芸術の意味
芸術の霊的な意味は「神の生命を、魂的な法則に従って、具体的に表現したもの」です。その偉大な例は宇宙の星々ですが、法則に従って緻密に表現されたものに触れると、人は美を感じます。私達はそれを「芸術的」と呼ぶのです。芸術とは、神の生命の本質を、できる限り良い状態で表現する活動です。
そもそも神は、宇宙的な法則を表す為、人類に強い生命力と、偉大なものを感じる感性と、そして表現する活動的な知性を与えました。この定義からすると、私達の生き方や生活は長い年月をかけて、芸術的な方向に改善されてきました。芸術は、芸術家に限られた活動ではありません。人間は、神の生命を表現する意味で、誰でも芸術的に生きるよう運命づけられているのです。
私達の活動は、無意識であっても、全て自分の考え=意識を表現しています。体自身さえも、過去の考え方を表した結果です。自分の考え方が不明確で、世間の習慣や人の命令に従った場合でも、選択したのは自分の意識です。体や性格、能力を含め「私自身」は、長い転生とこの人生の意識の表現であり、非常に不完全ではあるものの、「私」の芸術作品と言えるのです。人類全体は、壁画を描いていた古代の人々に比べると、意識は遥かに進化した為、人格も生活も、より芸術的になっています。
これから先も、人の意識は進化するのですが、そう考えると、私の命は何を表現してきたか、改めて自分の存在と生活を見直してみる必要があります。自分の人生は何を表現しているのか、命を表現する芸術的要素はあるのか…。私達は、人の芸術を楽しむだけでなく、自分自身が芸術家である事に、自覚を持つべきなのです。
心と知性の方向性
人間の使命は、本来、宇宙的な法則を表現する事です。そして、宇宙的な法則を理解する意識を魂的=愛と呼びます。しかし私達は、物質界に意識が集中している為、個人的な感覚や考えに夢中です。そうであっても、自分の考えを上手く表現し、実現できる事は、重要な意味があります。何故なら、利己的でも、考えた通りに表現する知性があれば、やがて意識が拡大した時、魂の法則を具現化できるからです。現代の我流で偏った芸術の表現は、将来、偉大な表現に向かう過程と言えるでしょう。
では、将来、より良い芸術を表現する為に、心と知性はどのような特質を目指すべきでしょうか。その特質は、私達が芸術家と呼ぶ人達の印象とは大分違います。心は光を映し出す為に、穏やかで包括的な姿勢が重要で、軽やかで愛らしい心が土台となります。芸術の分野では、奇をてらった独特のセンスが話題になりがちですが、そのような心は、多くの場合、偏って分離的な為、光を映し出す鏡としては、不適切です。また、優れた心は、物事の真偽や異常、あるいは光を鋭敏に感じ取るので、法則を感じ取るセンスとして、識別の土台となります。
そして知性は、この世的に優れているのは当然の事ながら、人にはまだ理解できない高度な世界がある事を認め、それを知ろうとする謙虚さが必要です。非常に知的でも、信仰心や謙虚さが薄く、自分の才能や力に溺れる人は、意識の進化が限定的になるでしょう。どんな人の人生にも、不完全でありながら、背後には生命を表現しようとする意志がある事を感じ取り、理解する意識こそが、最も重要です。このような意識は、どんな人も、神の表現の一部であると知る愛に繋がるでしょう。
私達の使命
日本人には、ある種の心の美徳があります。それは、同じ意識を分かち合う同調性と、繊細な美のバランスを感じる心です。困った人を助ける親切心や奉仕の精神、全ての存在に神が宿っている事を認める普遍的な信仰心は、魂にとっての希望です。これらを土台として、知性が成長すれば、霊的な法則を正しく理解でき、やがて人々の活動と文化が、美しく表現されるでしょう。
また、芸術を愛する事は、未来には一つの霊的風潮になります。しかし、それは必ずしも美術館や音楽会に出かける事や、豪華で贅沢な美術品や調度品を飾る事ではありません。芸術的に生きる事は、普通の生活の中に、魂的な法則を取り入れる姿勢なので、誰でも表現できます。ある意味、美術品とは、魂に従う意識を表現する自分自身とも言えるでしょう。
全ての国には、霊的な目的と役割があり、決して日本人だけが優れていると言う意味ではありません。ただ、役割を説明する観点から言えば、私達の特質は、芸術的な部門に大きな貢献を果たす可能性があると言う事です。経済大国として、一時期名を馳せた日本ですが、これからの日本は、意外にもこのような使命を果たす可能性があるのです。魂の法則に沿った生き方は、すぐに結果が出るものではなく、一回限りの人生で完成するものでもありません。しかし、ある一定数の国民がこの自覚を持てば、動きは早まります。
私達一人一人は、名も無き人であっても、多くの人が同じ方向を目指せば、未来を創造する核を生み出します。私の法則ではなく、「神の法則」を目指す時代、たとえ上手く行かなくても、道を歩み出す事に意義があります。美しく生きる人、美を表す道を目指そうではありませんか。