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手 紙
手紙:2025-06-27
意識と自由
自由と不自由
新しい周期に入った人類ですが、世界には次々と変化が表れ、分断も広がり、意外な国で強い規制が広がっています。自由だった往来や発言が取り締まられるようになり、私達の自由が狭まっている印象を受けます。
この動きは、新しい時代の鍵「自由」とは逆行しています。「自由」と言うと、周囲の状況を無視して自分勝手に振舞う事と勘違いしがちですが、自由は意識の問題です。同じ環境でも、その条件に不自由を感じる人もいれば、そうでない人もいます。今の日本では、学ぶ分野、活動分野、表現方法、思想や宗教の選択は一般的に自由です。この状況は、人類が長い歴史を通じて、個別の心に加え、個別に考える力を発達させ、自由を求めた結果、実現に至ったものです。自由な意識は人間の特性である「無限の想像力」を発達させ、「神」や「魂」を発見するまで成長したのです。
とは言え、世界中の全ての人が自由を求めているとは限りません。制限のある国や団体では、そのやり方に馴染み、決められた事に従う方を好み、発想の自由には興味が無い人もいます。かつてロシアに自由を与えようとしたゴルバチョフは、「人は自由をどうしたらいいかわからなかった」と言いました。日本の中でも、自由な発想を好まない人、不自由に気づかない人もいます。自由に関する考え方は様々ですが、この違いは一体何を表すのでしょうか。
自由と不自由、実はこの二つは、ある原理に基づいたものです。今回は、自由の原理を考え、自由によって、人はどう進化するのかを考えてみたいと思います。
意識と物質の関係
自由の反対、不自由を与えるものは制限ですが、制限とは物質の特徴です。物質は、生命に限定を与えて形を固め維持するのが役目です。物質は生命を取り込んで活動を始め、経験を得たり振動率を高めたりするのです。一方、意識とは魂から与えられたものなので、本質的には光に向かい、制限を突破して次の段階に進もうとする性質があります。自由を求めるのは、物質に制限を与えられる魂意識の表れなのです。
人間の本質は意識ですが、物質に意識を置くと、今ある状態を維持し、変化を嫌うようになり、その結果、制限を受けるようになります。もし、意識が変わろうとすると、現状は壊され、環境や条件が変わってしまうので、物質は変わらないように意識を監禁するのです。しかし、人類は革命などを起こす時、命まで投げ出して制限を突破し、新しいものを獲得してきました。これが意識と物質の闘いです。物質としては、その事態を阻止する為、私達の意識に「現状が崩されると大変な事になる」「楽に生きよう、苦労は大変だ」と恐怖や不快感を与えます。古い体制や権力を維持する人々は、この力を使って、私達の意識を監禁しているのです。
このように、変化は物質からの不快な感覚を呼び起こすので、人は平穏無事を祈ります。ところが意識が発達すると、違う世界を知りたくなり、自由に夢を描いて、現状に不満を抱くようになります。意識は制限に気づき、苦しくても、次の段階に進む決意をするようになるでしょう。物質はある一定の期間、経験の場を与えますが、意識は成長に従って、何度も限界を突破して進んできました。人間の本質は、魂なので、本来は破壊者と言えるでしょう。
未来と過去の印象
人間は知性が発達すると、魂(理知的な愛)を求めるようになり、人はそこから新しいイメージを受け取ります。そのイメージは単なる映像と違い、美と生命力に満ちているので、私達の意識に強く印象付きます。その力に突き動かされ、人は未来を描き、新たな道を選んで精神が活発に働き出すのです。
一方、物質はある一定の期間、人の精神が育つまで経験の場を与え、形や場を提供します。私達は、その中でこの世の物質的な扱いや感覚を学び、生き方や対処する知性を鍛えて成長していきます。物質も形を提供する事で、人間の意識の波動を受け、才能を引き出されたり、適応力を高めて進化していきます。物質と人間の精神は、互いに必要な役割を果たす関係です。これは、母(物質)と子供(精神)の関係に例えられ、ある一定の期間役割を果たして地球進化に貢献してきました。
しかし、子である精神が成長する時に、母が子供の自由を奪い束縛する事があります。精神は、新しい理想を描き、新しい環境を求め、より意識が自由に働く事を目指しているのに、古い物質は昔の印象で心を引き留め、離れがたく感じさせるのです。物質は自分が捨てられないように、考えず、努力せず、楽に生きるよう訴えかけるでしょう。自由に考える精神の発達は、過去を維持する物質にとっての脅威なのです。
国も個人も、人は何らかのイメージに支配され、今の環境を選んでいます。現在、自分を取り巻く環境は、物質から与えられたイメージなのか、精神が新しいイメージを掴んで、限界を突破しようとしているのか、あるいは現状からまだ学ぶべき事があるのか、このような観点から、考えてみると新たな発見があるでしょう。
二つの印象
現在、そしてこれからの世界では、「印象の科学」と呼ばれる「印象付け」が進化の鍵を握っています。魂に意識を向けると、新たなエネルギーを持ったイメージが伝達され、人の意識は魅了されます。その印象は、内的世界から刻印されるので、外部のいかなるものも壊す事ができません。魂の光を一度見た者は、決して忘れる事ができないと言われています。
一方物質界は、物質的に支配できる環境を好むので、多くの人の意識が自由に成長する事を好みません。変化に対して恐怖や欲望を煽り、色々な手を使って、物質的な印象付けをするでしょう。この印象は、人が慣れ親しんだものなので、人は容易に心を奪われる傾向があります。
この二つの印象付けを比べると、魂の印象は私達の進むべき方向なので「未来」と呼べ、物質的な印象は、意識を留める「過去」と呼べます。人類は、時代の変わり目に立ち、未来と過去の印象に挟まれて、対立や混乱を経験していると言えるでしょう。
そんな中で、私達は物質の放つ恐怖や心配に打ちひしがれそうになるものですが、恐怖は物質の力で払う事はできません。それは物質が持つ性質の一つだからです。この印象から意識を根本的に解き放つ唯一の方法は、瞑想で行うように、高い次元の光を当てる事です。影である物質が与える恐怖は退散し、恐ろしい感覚は薄れていくでしょう。魂の印象から生まれる理想や夢に向かって、実際に活動しながら生きる事が、過去の暗い印象から抜け出す唯一の道です。そうする事で、私達は、意識を束縛する過去の不自由さから解放され、次の次元へと羽ばたく事ができるでしょう。
壁の向こうの未来
人類は、どんな困難があっても、無数の過去から脱出し、ここまで成長してきました。驚く程意識は発達し、命をかけて自由を勝ち取った先達のお蔭で、今私達は以前より自由な世界に生きているのです。その勇気ある先達とは、過去の私達自身だったかもしれません。人は、肉体を含め、古い習慣や考え方など、物質的なもの全てを犠牲にして、精神を制限する壁を突破してきました。
今、人類は再び大きな壁に立ち向かっています。一時期、過去に戻って縛られる事があっても、そこから学習する人々が増え、やがて未来へと意識を向かわせるでしょう。今回の壁の向こうには、今まで人類全体では到達した事がないような光が待っています。新しいビジョンに突き進むには、勿論相当の勇気がいりますが、進化する意志が人間の本質ならば、結局人は道を進んでいくでしょう。私達には魂があり、求めるなら、未来のイメージは明確になって歩調を後押ししてくれます。人類としても、個人としても、精神の歩みを緩めず、制限を突破して進んで行きましょう。