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手 紙
手紙:2025-05-23
自立と依存
ショックと心の依存
長生きする時代、六十歳はまだ若いと言われますが、還暦と言うだけあり、人生の一回りを意味します。この年齢の前後では、大きな変化が起き易いものですが、それらは大抵、病気や事件のような「不幸」と言われる出来事に出会う事が多いものです。
その時、起こった事に対して、人が「不幸」と感じる理由は、今まで通りの生活が送れず、実際に対処しないといけないからですが、その大きな要因は「心」が作っています。私達は何かを失って初めてその大切さに気づくと言いますが、ショックの度合いによって、どの程度「心が依存しているか」を知る事ができます。この世は諸行無常ですから、現象も人の命も全て永遠には続きません。それは当然の原理ですが、いざ自分に何か起きると、大抵感情的に打ちひしがれてしまいます。そして、心が何かに密着し、依存していると、働くはずの知性も使えなくなり、苦しみや落ち込みは更に辛くなります。それほど、心は意識を占有している要素なのです。
人の意識は、知性と心が混じったものですが、断然、心の割合が大きいものです。元々心は、この世の様々な対象に接触する為、密着し依存する性質を持っています。離れ難く、引き剝がされるような辛さや、奈落の底に落ちていくような恐ろしさとは、心が密着している対象を保てなくなった時の特有の感覚です。
現在、新しい周期に向けて、地球は多くの人類に「精神的自立」の試しを与えています。それは、「心中心」の意識を、少しでも「知性中心」に移行する事を意味しています。今回は、心の性質を理解し、いかにして精神的自立を確立していくかを考えてみましょう。
受け入れる事
心理的ショックとは、失った事柄を受け入れられない事から起こります。こうなってほしい、そうなってほしくないなどと、思いは巡りますが、起こってしまった事は、元には戻らないと割り切って受け止められたら、ショックは短い間で終わります。ところが密着する心が、喪失した事に抵抗すると、心理的苦しみが大きくなり、耐え難いものに感じられるのです。
私達は苦痛から逃れようとして、あの手この手と方法を探しますが、重要なのは、「意識が何かに依存している」と気づく事です。人は誰でも何かに依存して生きているものです。それは恥ずかしい事ではありません。自分のプライドや家族、仕事や地位名誉、人やお金など、それが何であっても、依存する事で自分が支えられ、あるいは生きる動機になっているのです。
何かを失った時、どんな感情が湧き上がってくるかによって、密着度や価値観などを明確に認識する事ができます。ショックを受けたり苦痛を感じる事で、無意識だった心の状態を理解する事こそが、ショックを受ける意味として重要なのです。
これを認識するのは、心ではなく知性です。放っておくと、心は空いた穴を埋める為、新たに依存する対象を探そうとします。しかし依存したものはまた失われ、次のショックは益々大きなものとなるでしょう。「自分は依存していた」と素直に認める事で、意識が心から離れ、知性に移行し易くなります。変化が起きて受けるショックとは、意識の中心を、心から知性に移行するチャンスなのです。自立は自分を客観視し、メンタル的になる事から始まります。人はどのレベルでも、辛さを経験して、自立の道へと進んでいくものなのです。
外的知性と内的知性
物事を正しく認識する知性の働きには、二つの方向があります。一つは、外的な意識の方向で、この世で起きた事象を客観的に把握し、対応する知性です。これには経験と知識が必要で、専門家の様々な知識や経験者の援助を頼りに、適切な処理をする役目があります。一般的に「具体的知性」と呼ばれる能力ですが、多くの人が働くようになって鍛えられ、習得しつつあります。社会の中で活動すると、多くの場面で、知的判断をせざるを得なくなります。全ての人が権利を持ち、社会的責任を負うようになった今、自立した自我として、私達は随分訓練を受けるようになったのです。
もう一方は、内的な知性です。社会的に独立しても、霊的に見ると、自立した精神はまだ半分しか成し遂げられていません。この概念は比較的新しいもので、発達したからこそ、更に求められる進化です。実は精神的自立には、自意識が魂と繋がる必要があります。これが内的な意識の方向です。人はこの世で力を揮えるようになった後、それでも自分に限界を感じる時、内的に違うものを求める時がやってきます。成功しても虚しさを感じる時、自分のやり方や考え方に限界を感じた時、経験の意味を考えたり、もっと深い原因を知りたいと考えるようになった時、準備が整うでしょう。魂、あるいは名称を何と呼ぼうと、今の自分より高い理性の存在に繋がりを求める意識が必要なのです。
これは真の信仰心とも呼べますが、前の時代の情緒的なものではなく、自立して考える知的な信仰心です。これらの外的、内的な知性の働きが揃って、人間の意識は真に自立する事ができます。この新しい意識の進化は、一般市民の中では始まったばかりと言えるでしょう。
魂こそ頼るべき存在
人の恐怖心は、根本的に生死の問題に関わっています。自分も人も死と共に無くなると考えれば、それは大きな恐怖です。恐怖があるからこそ、人は何かに密着や依存をするのです。心の依存を発見する事は、恐怖を越える事に繋がり、精神的自立に向かう道だと言えるでしょう。
魂意識とは、物質的な結果よりも「意識」が進化する事を重んじます。私達が、物事に密着した時の感覚より、深く考える力に重きを置くようになると、経験の意味が変わり、苦しみを生む感覚も薄れてくるでしょう。真理を知り、理解する事こそ、根本的な安心が得られ、いずれは無くなってしまうものに、依存する事は少なくなっていくものです。
人間はどんな失敗をしても、進化が終わる訳ではありません。何故なら、求めるなら救済をするのが魂であり、だからこそ、最も頼れるのが魂の理性だと言えるのです。しかし、この実感には、毎日の努力が必要です。最初は純粋な理性が働かず、不完全で誤った考え方から、数々の失敗をするでしょう。このプロセスは全ての人が経験する事で、出だしはそのようなものだと知っておくべきです。決して諦めずに挑戦し続ければ、魂は私達と繋がる為、手を差し伸べる事は間違いありません。その繫がりから流れ込む力こそ、真に頼るべきものであり、不屈の精神を生み出す源なのです。
心の苦しみとは、私達の意識が魂ではなく、物質的なものや刹那的な欲望に密着している事を表しています。苦しみの原因である執着や依存を発見し、人は次第に自立の道を歩んでいくでしょう。私達が生きるこの時代は、多くの人が理性の素晴らしさに気づき、心の苦しみから次第に解放される事でしょう。