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手 紙
手紙:2025-07-19
光と根の世界
根の世界とは
皆さんは、最近何か新しい事をしようとしても、億劫で先延ばしにしたり、動くのも面倒に感じる事はありませんか。年のせいだから、気候が悪いからと理由をつけ、余り疑問にも思わず過ごしているかもしれません。そんな状態を「根が生えた」と表現する事がありますが、植物のように大地に根が生えると、その場から動きにくくなるものです。一方、立派に成長し、家族を養い仕事もこなす逞しい生き方は、大地にしっかり根を張った大樹に例えられます。
しかし、古代アトランティス大陸が滅びた時、「人類は、大地に根を張った木々と共に滅びた」と記されています。大木になる為にはしっかり根を張る必要がありますが、それが身を滅ぼす原因となったのは、何故でしょうか。良くも悪くも例えられる植物の「根」とは、何を表すのでしょうか。今回は、根が象徴するものを考えながら、私達の進むべき方向を考えていきたいと思います。
「根」は大地の水分や養分を吸収し、地上の体=幹や葉の成長を支えるものです。植物の花は生殖器ですから、構造から考えると、人間と植物は上下が反対になっています。つまり、根とは人間の頭に当たるのです。「根を張る」とは、肉体的に成長し、自分を支える本能や知性が育って、この世に定着する土台ができた事を表します。
ところが、根は、光が射さない暗黒の地中に広がるものなので、人類の過去に根差した物質的知性を表します。人は自己確立する時に、一旦人類や自分の過去生を辿ってこの世に定着し、根を生やして、自己を支える存在に成長するのです。
過去の世界
木には緑色の葉があり、太陽の光を吸収して養分を作り出す光合成を行います。これは、光と応答する知性を表します。太陽の光は魂の理知性を表し、人類は植物の葉のように、魂に向かって光を求め成長します。健全な知性は、人類の福利や生命全体の成長を促す愛を吸収して育ちます。
一方、大地に深く張り巡らされる根は、違ったタイプの知性を表します。大地とは、鉱物界の代表で、人間が過去に積み重ねてきた知性が蓄積される場所を表します。それは完全に物質的で、個人の繫栄の為に周囲を滅ぼしても、自分の根を拡大するような考え方が基調になっています。過去、愛が未熟な人類は、自分自身と力の拡大の為に、利己的な思いで闘いを繰り返してきました。その印象が、地中に埋め込まれているので、根が広く深く張り巡らされると、昔の誤った考え方を掘り起こしてしまうのです。
古代、大陸が沈んだ時、人類の誤った生き方に対し、魂は再三修正するよう警告を与えたのですが、根が張り過ぎて、人類は考え方も生き方も変える事ができないまま、大地と共に海の底に沈んでしまったのです。
人は、結果を出したり責任を果たす為に、一定期間、ある場所に定着します。そこに立つ為、自分を支えるだけの根を張る必要がありますが、根を必要以上に張り過ぎると、今度は動く事ができなくなります。動きたくない、変えたくない、捨てたくない、もっと拡大したいなどの気持ちが湧いてきた時、無意識に、知性が地中に向かって根を伸ばしている可能性があります。いつでも捨てられる、変われる、新しい事にチャレンジする用意がある意識は、過去に執着しない生き方として、とても大切なポイントです。
光が根を引き抜く
根を張って大木となった木とは、この世で成功した人格と言えます。成功とまではいかなくても、それなりに人生を生き抜くと、人は過去の思い出や独自の主張を繰り返すようになります。しかし、それは「根」の話、地中の物語をしているのと同じです。知らない間に根が強化され、固定され、そこから離れられなくなる可能性があります。
一方、植物が太陽の方向を向くように、魂の方向を求める人は、周囲の為に自分を変えたり、形を変え、新しい事にチャレンジする意欲を持ち続けます。必要とあれば、根を捨てて新たな環境を選ぶ用意もあるでしょう。定着した根が、その人を縛る事がない、つまり過去がその人を制限する事は無く、未来が人格を創造し続けます。
とは言っても、実際には肉体的にも弱さを感じ、環境的にも能力的にも、制限がある事は事実です。死ぬまで思い切った冒険をすべきと言っている訳ではありません。重要な事は、まず意識が根の世界である過去に向いていないか、ある環境や事柄に密着し固まっていないか、そして、重要な価値の為に、自分を変え向上する意志があるかどうかを点検してみる事でしょう。
また、自分で根を引き抜く為には、光に向かう価値観が必要です。価値観が物質的なものになると、過去の成功や方法に固執する事になりますが、精神が成長する事に価値を置くと、人はいつでも根を引き抜き、環境を変える事ができます。病気や問題で環境が変わった場合でも、魂と繋がる精神が明確なら、人格は再び別の場所で根を張り、木は成長していくでしょう。人間は根ではなく、本来魂の理知性の光を受けて、何度でも再生する生命体なのです。
木は大地へのプレゼント
「根の世界」とは、「具体的知性」と呼ばれる物質界を扱う頭脳です。神の計画をこの世に表現する時や、何かを改善し結果を出す時には、鉱物界の「固める力」が必要です。この知性が使えないと、人は「根無し草」のように定着性がなく、責任感や粘り強さ、努力をする忍耐力なども養う事ができません。物質界への真の奉仕も難しいでしょう。
しかし、結果だけを重視し、そうならなければ意味がないと考えるようになると、根の世界に入り込んでしまう可能性があります。私達は、結果を出すと共に、もっと重要な事は、その経験によって意識が高まる事、意味を理解する事、生命の一体性に気付く事です。この価値観に目覚める事が、根を張りつつも、意識を光に向ける秘訣でしょう。
人間は、地上で活動する様々な植物だと言えます。しかし、その本体は魂であり、魂意識が活動する為に、人類全体で多種多様な木を創造しているのです。ところが、私達が自分を木そのものであると思い込むと、木はできるだけ大樹となり、幹を支える為に根を深く張ろうとするのは当然です。根を引き抜いて移動する、あるいは一旦その木を捨ててしまおうなどと、考えるはずはありません。
魂から見ると、地上に根を張り成長した木は、奉仕する為の「仮の姿」であり、成長したら全て地上にプレゼントすべきものです。光で得た栄養分で成長した木は、地上を浄化し、やがて地に返ったとしても、正しい養分として、誤った考えを覆う地表の良い土となるものです。
未来の緑
私達は、活動の周期が終わる度、あるいは一生涯が終わる度に、木がどんなに素晴らしくても粗末であっても、それを捨てて魂へと帰って行くのが法則です。地上にしがみついて、根を張り続け、ずっと生きる事はできないのです。
この原理を理解すると、人は自由に根を張って定着し、使命を果たしたら、自由に地を離れる存在として生きられるかもしれません。少なくとも、根を張り過ぎて身動きが取れない、あるいは誤った思想で頑固に生き、破滅的になる事は避けられるでしょう。
自然界で表現されている美しい緑は、地球の人格の服と言われています。植物は、私達人類をはじめ多くの生命を養い、空気を浄化し、豊かな土を作り、地球に多大な奉仕をしています。では、私達人類は、どうでしょうか。人類は、更に高度な見えない光を吸収し、分配する事ができます。その美しさは、植物も含め自然界全体を、もっと美しいエメラルドグリーンに輝かせるでしょう。根によって、束縛される事が無い人類の意識こそが、未来を切り開いていきます。人類は次の百年で、過去の根を断ち切って、未来の美を解き放つ存在となるでしょう。