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手 紙
手紙:2026-04-17
学びと表現
学んでも忘れてしまう訳
今、多くの人が大人になっても学習を続けたり、資格を取るなど、年齢に関係なく知識や技術を学ぶ人が増えてきました。特に資格が取れる場合は目標になるので、集中して学ぶ事ができ、大変であっても意欲を持って頑張れます。また、このような真理の勉強は生涯続くもので、何年もかけて繰り返し学び続けるものです。
ところが、長年学び続け、目標を達成した後、知識も身についたと思いきや、ある時、質問されたら、まるで答えられずに愕然とした事はないでしょうか。時には、すっかり忘れてしまい、初めて聞いたような気がする事さえあるでしょう。あるいは、覚えているのに、角度を変えて聞かれると、応用が利かず全く答えられない場合もあります。あんなに一生懸命覚えたのに、どうして記憶にない?質問にも答えられないのだろう?と、自分に呆れる事もあるでしょう。一方、そんなに沢山学んでいないのに、学習した事を応用して答えられ、会話が成り立つ人もいます。この差は、一体どうして起こるのでしょうか。
密教の教えで「知識は自分の身につけなければ全て忘れ去られ、特に死と共に無くなる」と言うものがあります。つまり、記憶しただけの情報や知識は身につかないので、早いか遅いかの違いはあっても、やがて忘れてしまいます。では、どうしたら身につくのでしょうか。それは、知識を実際使ったり、自分の表現に取り入れる事が必要です。「インプットとアウトプット」のバランスとも言えます。今回は、知識を沢山覚えるだけではなく、自分の一部となるように学ぶ為に大切な事を確認し、今後の学習と生き方に活かして頂きたいと思います。
インプットとアウトプット
霊的な進化ではエネルギーの出入を考える必要があります。知識は一つのエネルギーなので、学んだ事は何かの形で表現して出さないと完結しません。表現とは分配に当たり、学習しても何かの形で表現しなければ、エネルギーとしてその人の一部になり留まる事がないのです。周囲に合わせ、自分なりの表現を工夫するからこそ、身につくのです。反対に、表現=活動ばかりしていて、新しい事を学んだり考えたりする時間が無いと、活動は一辺倒になり、魅力も力も失ってしまいます。
これはアーティストが「インプットとアウトプット」のバランスを考える事と似ています。創作の閃きを受ける為、学びや人との交流、旅など、新たな刺激を取り入れる時期と、作品を作って表現する時期、この二つのバランスを考えている人は、長く創作活動が続けられます。
この中で、表現する為には、料理のように自分なりに工夫する必要があります。例えば、魚と言う食材を知識とすると、人に食べてもらうには、そのまま皿の上に乗せて出しても何の魅力もありません。料理の火とは、その人の情熱や知性の働きで、どんな工夫をするか考え、実行する事で一つの作品に仕上げる要素です。同じ知識でも、自分なりの表現や相手の状態を考える事で、霊的火が燃えて、対象と自分の一部が変化し、知識が身につきます。
この作業は難しく面倒な為、多くの人が避けがちですが、アウトプットをする時、念入りに取り組むべき最も重要な点です。知識は取り入れて料理し、誰かの為に出す。この一連の行為で生きたものになり、自分の一部として組み入れる事ができます。つまり、知識は奉仕によって、身につくものだと言えるでしょう。
内的な火の効果
現在の若者の一般的傾向は、知能が高いので、情報は沢山学ぶものの、実際行動や経験が少ない、つまりインプット(情報学習)が多過ぎて、アウトプット(表現、実際活動)が少なすぎる傾向があります。昭和の世代はアウトプットが多過ぎ、このような密教的勉強が好きな人は、インプットが多い傾向があります。知識が多すぎて表現が少ないと、知識のエネルギーに脳が負け、精神のバランスが崩れたり、独りよがり、あるいは言葉に力が無くなります。反対に、活動過多だと、考える時間が無くなるので、同じ事を繰り返し、時間と体力の浪費が起こります。
学習する事は素晴らしいですが、ある程度学んだ後、何らかの形で知識を活かした表現をする必要があります。自分なりの表現に落とし込んでいく過程は、努力と苦労がつきものですが、その間に内的な火が燃えて、人格の一部が変わっていく事に、重要な意味があるのです。ですから、完璧でなくても、結果が思うようなものでなくても、人に評価されなくても、内的な火が燃えて、自分が変化すれば、それは霊的に価値があると言えます。その過程で、人格の磁力や引力に変化が現われるでしょう。このような日常の地道な作業の繰り返しで、人格は変化していきます。
反対に、学んだ事をそのまま伝えたら、間違いはないかもしれませんが、エネルギーの変化が無い為、表面的で魅力が無いものになります。「何を成したかより、何を目指したか?が重要」と言われるのは、まさにこのプロセスにおける変化の重要性を語っているのです。私達は自分で表現する事を恐れたり、面倒だと感じる、あるいは変化を嫌ったりするものですが、この価値の重要性を理解すると良いでしょう。
循環の法則
学んだ後の表現とは、人前に立って何かをする事だけに限りません。知識を活かす為、人格に取り入れて個性の一部にする事も、素晴らしい表現です。例えば、体力をつける為、体のトレーニングを続ければ、肉体自身が変化し、個性の一部になります。真理を学んだ時、日常生活で性格を変える努力は、立派な料理であり、素晴らしい表現です。法則を学び、これは自分に必要な事だ、是非やってみたいと思った事は、毎日の生活の中で、直ちに訓練すべきでしょう。
但し、三日坊主で止めてしまったら、表現にもアウトプットにもなりません。一定期間、人格の一部が完全に変化するまでやり続ける事が大切です。もし、効果が無い場合は、原因を考え、訓練や意識の持ち方を考え直してみましょう。それこそ、自分の身になり自然な表現になるまで続ける事で、知識は個性の一部となって、見事に表現された事になります。周囲の人は、その人の個性に触れて変化を感じ、何が起こったのか興味を持つかもしれません。それは、努力して知識を自分のものにした分、僅かであっても磁力が増した証拠です。その知識が真理の一部であったら、尚更素晴らしい効果を周囲に届ける事ができるでしょう。
世界は循環の法則で回っています。私達は、お金や物質は、流通し、循環する事が大切だと知っています。同じように、知識も循環する事が大切です。知識の循環は、学ぶだけでなく、それを使い、自分の生活に適応させる事で、人から人に影響を与え、循環していくものです。
知識と共に生きる
知識を学び、少しでも自分のものとする訓練をすれば、エネルギーの出入のバランスが取れ、自分の中に手応えを感じるようになるでしょう。この繰り返しによって、人格内で内的な火が燃え易くなり、やがて魂と接触できるほどの速度と熱量が得られるでしょう。
人類は、地球の脳細胞だと言われています。脳細胞は、魂からのエネルギーを受け、各細胞がそれを取り入れて、更に周囲と繋がる事で、全体が光ります。現在、AIが発達し、知識は無尽蔵に得られるようになりましたが、知識を取り入れて、霊的に料理し、周囲に変化を引き起こす磁力的な繫がりは、人間にしかできません。知識の多さや処理ではなく、この霊的な変化を理解すれば、私達はこれから知識と共に、どのように生きるべきかがわかってくるでしょう。
植物界がそれぞれの花や実をつけて、落葉帰根で循環しているように、私達もそれぞれの個性で花を咲かせ、知識と言うエネルギーをより豊かな表現に変え、循環させましょう。その豊かさで、周囲が更に豊かになり、霊的な光のネットワークが広がっていくでしょう。