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手紙:2018-05-11

霊的な火の燃焼

経験に対する意識

皆さんは現在何か目的を持っていますか?責任ある仕事、好きな分野、資格を取る、芸術や学術分野の探求、奉仕活動など、人によって様々な目的があるでしょう。「目的」を自主的に持つ事は、知性の発達と関係があります。単純な事でも、一生懸命努力し達成できれば、それは立派な経験となり、人は成長したと感じるものです。

ところが、目的を次々と達成し、経験を積んだつもりでも、魂の見地から見ると、そんなに変わったと言えない場合があります。これは知的な火の性質を良く理解していない為、経験をする時に大事な点を見逃しているからです。今回は、経験を通じて人が達成すべき本質について考えてみたいと思います。

目的を達成する、あるいは経験を積む時、皆さんは自分がどんな態度をとっているか考えた事はありますか?これは社交的な意味ではなく、嘘偽りのない自分の意識に対する質問です。その時、「嫌々ながら」あるいは「何かあったら逃げよう」と思って臨んでいると、せっかく努力して苦労しても、思ったほど意味のある経験になりません。何故なら「意識」が、拒絶・否定しながら物事を進めているので、関係して影響を与えるべき存在が、自分の壁の外に押しやられているからです。

経験の大切な意味は、関係する物や人が互いに影響を与え合う事です。ところが嫌々ながら取り組んでいると、壁を越えて入ってこようとするものを、意識が押し返したり、焼き捨てるように働いてしまいます。これでは何ものとも交流できず、互いの意識には変化が起きません。経験によって成長する為には、少なくとも対象を受け入れて、積極的に意識を結び、交流する必要があります。私達が成長しようとするなら、腹を据えて状況を受け入れ、環境と人を正しく認識し、融合する事が大事なのです。

生命と融合する火

更に、人がより大きく変化する為には、周囲と融合すると同時に、魂と融合する事が不可欠です。何故なら、物質界と魂界の命の火が接触して初めて、火が完全に燃え上がるからです。人間の役割は、周囲の物質界と魂との間に立って、二つの火を出会わせる事です。人の成熟とは、その火を完全に燃焼させて、自分自身も質的に変化する事なのです。

ところが、人格的な知性だけが働く人は、自分の目的と結果だけを重んじがちです。物事を実行する時、結果が大事である事は当然です。しかし魂の見地では、もっと重要な観点があります。それは経験の最中に、「命と交流し融合」しているかどうかと言う事です。これは結果や行動だけではなく、意識のあり方が深く関係しています。何故自分の目的と結果だけでは、火が完全にならないのでしょうか。

行動の目的が結果だけを重んじたり、動機が自分の力の証明だったりすると、それだけが上手く行けば事が足りるので、魂的に融合したり理解する必要はありません。目的が利己的なら、魂は接触する必要がないので、参加しないのです。この場合、意識が観ているものは、自分の必要な面だけで、不要なもの、不都合な面は排除します。魂も参加せず、観ているものも変わらないのなら、どんなに経験を積んでも、最初から最後まで、意識に変化が起こりません。これでは一生懸命活動しても、燃える火の質が低く、完全な火にならないのは当然です。不完全燃焼の火では、大した料理ができないように、自分の意識も、交流したものも、質を高めるには不十分なのです。

人は経験を通じて、完全燃焼したとか、不完全燃焼だったとか、表現します。これは本質的に意義がある言葉です。経験を通じて結果が出た後、周囲との融合、そして動機の純度によって、魂との融合がどの程度だったか、経験に対する自分の意識を、思慮深く点検してみる必要があるでしょう。

完全燃焼する火

意識の進化とは、「理解の拡大」と言えます。今まで無意味と思っていた事や存在に対して、意味や関係があると気付く事です。自分も人も、命において地球の一部であり、互いに影響し合い、理由があって存在しているのです。魂の火は、この事実を世界に広め、伝達し、表現しようとしています。人間は愛の火の子供なので、成熟する為に、どうしても愛のエネルギーと融合し、魂的栄養を吸収する必要があるのです。

知性は個人の目的を達成するだけではなく、実は全ての存在が影響し合っている関係を理解し、その事実に沿って世界を整備する事です。私達は自分のアピールや、勝手な目的ばかりに夢中になって、関係する人や物、全ての命そのものを知る努力が不足していないでしょうか。周囲に対する積極的な観察と理解が無ければ、もっと大きな目的に、どうやって協力し、共に進化する事ができるでしょうか?経験を通して、そのものを知ろうとする意識の交流が無ければ、知性の火は利己的に働いて、不完全にしか燃えないでしょう。

私達は自分が影響を与えた結果を見たいと切望します。何か問題が起こると、その原因である意識を見つめるのではなく、偏った意識で、不完全に燃えた形を変えようとするだけです。しかし、意識を変えなければ、燃え方も跡も変わりません。そして、自分と言う個人も、自分の火が燃えた結果です。自分を直そう、運命を変えようとするならば、どれだけ周囲を理解し、命の平等性を認めて交流していたか、振り返ってみましょう。分離感が潜んでいないか、自分の勝手な価値観で相手を否定し、ぞんざいに扱っていないか、改めて観察してみると、自分の火が魂とどれだけ接しているか、知るチャンスとなるでしょう。

意識を浄化する火

人類はとても進化し、多くの人が目的を描き、達成する力を持ちました。しかし自分にも世界にも、問題は山積みです。利己的な意識は、不完全な燃え方をし、ゴミや公害のように、世界の問題となって表れます。この事態に直面し、私達は今、愛の火について考え始め、その責任を果たす必要が出てきました。個人的な知性の火は、全体の進化を考える愛の火と出会わなければなりません。そうしなければ、不完全な燃えカスが周囲に溢れ、その後始末の為に、私達は更に問題を抱える事になるでしょう。

長い眼で見れば、人類の火は遠回りしても、必ず愛の火に融合します。何故ならこれこそが火自身の運命であり、法則だからです。この道は遥か遠く険しいものかもしれませんが、個々の努力で道を少し早める協力が可能です。

それには、私達が過去の結果から、どんな不完全燃焼があったかを発見する事です。何故、火が美しく完全に燃えなかったのか、その原因である意識の過ちを発見し、少しずつ修正していけば良いのです。火は内的な世界で活動しています。その結果が自分であり、自分の環境であり、世界であるなら、私達は直ちに世界を改善する為に、できる事があるでしょう。結果は大切です。しかし、その経験と行動の背後で燃えている火は、もっと重要な価値があるのです。自分の火を、愛と言う大火に向け、前進しましょう。そして間違っても、不完全でも、何回も意識を修正し、経験を重ねる勇気を持って下さい。その行為の中で、火自身が意識を浄化し、やがて完全に燃え上がる火が出現する事でしょう。

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