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手 紙
手紙:2018-07-13
静と動の支配
魅力の条件
日本はフィギュアスケートの盛んな国です。優秀な選手が次々と輩出され、氷の上を自由自在に滑る姿は神業のように感じられます。ダンスや演舞の要素があるスポーツは、動きの中にも美を感じさせるものですが、その魅力とは、どのようにして生まれるものなのでしょうか?
そのような人達には、共通する条件があるように思われます。それは「静と動」の組み合わせです。激しく自由自在に体を動かす技術と、それを瞬時に止め、ある形を創る事ができる技術、この両方を完全に操る事ができ、しかも一貫して中心軸が保持されている事、この条件は、第一線で活躍するアスリートでも、常に訓練して維持すべき難しいものでしょう。
スポーツの「静と動」の表現力は、運動神経と肉体能力に関係する事で、意識の進化とはまた別問題かもしれません。しかしこの組み合わせは、意識活動の重要な要素を象徴しています。意識の面で、この二つが意味するものとは何でしょうか?今回は「静と動」の局面から、進化に重要な意識活動を考えてみたいと思います。
人間の肉体は、動物界から生まれたものです。「動く物」と言う名の通り、体を動かして表現する事が日常生活の活動です。しかし人間には体以外にも、猛烈に動くものがあります。それが「心と知性」の意識です。現在多くの人が、会社などで机に向かい、体を動かさずに、懸命に「働いて」います。これはれっきとした活動で、体は止まっていますが、意識は激しく動いています。古代は、体が動くか止まるかしか無かった静と動の組み合わせは、今や私達は、違う次元の静と動の組み合わせを達成したのです。
意識の静と動
ある難しい課題について考える時は、体の欲求や動きを制御する必要があります。激しく体を動かしたり(散歩は別の意味)、食欲や性欲などの肉体欲求に突き動かされている時は、知的な集中はしにくいものです。知性を働かせるには、体の動きと欲求は静止していなければならないのです。
これと全く同じように、心が騒がしく働いていると、知的に集中しようとしても、うまくいきません。怒り、悲しみ、あるいは歓喜であっても、感情が激しく働いていたり、欲望が抑えられない状態になっていると、知性は活動しにくいでしょう。
心は水で表現されているように、魂の理知的な光を受け取る反射板です。穏やかな池の水面や、スケートリンクの表面のように、透明で平らになってこそ、光をそのまま映し出す事ができるのです。フィギュアスケートで氷の上を自由自在に滑る姿とは、あるものを象徴しています。それは、心と体を「静止」させ、その上で自由に知的活動をする人類の理想的意識です。意識の中の静と動を操る事こそ、人間の支配力であり、人はその力に魅力を感じるのです。
軸と生き方の姿勢
最近、外から見える外的な筋肉に対して、コアと呼ばれる内的な筋肉=体幹が注目されています。これは肉体の中心部を内部で支える筋肉で、背骨を支え姿勢を正しく保ったり、ぶつかっても倒れにくい軸を保持します。プロのアスリートでも、体幹トレーニングは、基本中の基本となっています。
筋肉の内と外があるように、知性にも内と外の二種類があります。具体的な問題を扱う=外的知性と、内的に集中し、抽象的な概念を扱う=内的知性です。外的知性は、問題処理や具体的表現などで、現代人がよく使っている為、理解し易い意識ですが、内的知性の理解はまだ一般的ではありません。それはどのようなものでしょうか?内的な知性は、①意識を内的世界に向け、②ある方向を探って光をキャッチし、③一定の生きる姿勢をとる事に関係しています。内的な知性が発達しないと、外的な知性が周囲の状況に反応してしまい、場当たり式の選択をするので、取り組む事がバラバラになります。これでは人生の生き方や意識の方向に一貫性が生まれません。つまり体の軸を保つように、人生の姿勢を一定に保つ事ができないのです。
内的な知性は普遍的意味や哲学、抽象概念を捉える意識で、魂が与える思考力と言えます。これは人格が接触する様々な現象とは別の次元で、個人的あるいは外的な変化に左右されません。内的知性が強まると、外的知性に一定の方向を与え、心や体を支配し、軸を保持するように、人生の一貫した姿勢を貫く事が可能になります。つまり内的知性は外的知性より強い力を持ち、支配する事ができるのです。では内的知性はどのように獲得する事ができるでしょうか?
内的知性の確立
内的知性は直観的に魂のアイディアを受け取る為にあるものです。人間にとって最高の意識を受け取る為には、完全に静止した意識空間が必要です。ここにも、静と動の組み合わせがあり、外的知性が鎮まって、内的光に意識を向けると、内的知性が活動します。
この世で力を揮う外的な知性は、個人の力を高め、生活を操る為には、魅力のあるものです。しかし魂の光はそれを遥かに上回る神聖な強さと至上の知恵を持っています。その魅力は本質的に全生命を捉えるもので、最高の磁力を放ちます。もし私達が魂の光と接触し続けようとするなら、生活の中に、内的に静止した時間と空間を保つ必要があります。
この実現には、自分に対する強い支配力が必要です。支配力とは、外的な環境や他の人を支配するものと思いがちですが、最強の支配力とは、自分の中に揮うべきものです。実現すれば、外的知性さえも支配するので、体・心・知性を整列させ、軸が揺らぐ事がない生き方の姿勢を生み出すのです。
魂に向かう個人の整列状態ほど美しい姿はありません。その美しさとは、強さと力の象徴でもあります。常に静止した知的空間を持つ事により、人は活動しながら静止しており、静止しているから自由に動く事が可能になります。理性が高く発達した個人は、このような静止した知的空間を確立しています。そのバランスの美しさこそが、真に人を魅了する磁力を発揮するのです。何故なら、それが人間の本来の姿であり、目指すべき理想であると知っているからです。
静と動を感じ取る
内的知性の最高の状態とは、魂の思想を歪みなく理解する事です。しかしその為には、最終的に個人的な野心や勝手な考えを捨て去る覚悟が必要です。なぜなら、完全な静寂を乱したり、歪めたりするのは、騒がしく暴れる個人的な欲望や野心だからです。欲望を犠牲にする事は大変な事ですが、代わりに得られる魂の知恵と磁力は、何ものにも代え難いものです。
その光は死によって終わる事がなく、しかも全生命の本質を理解する素晴らしい知恵そのものです。人類の先達、釈迦がこの状態を達成し悟りを開いた時、魂の強烈な光が体の細胞を貫いて、十里四方を照らしたと言われています。人も動物も植物も、彼の磁力に魅了され、人類は未だにその磁力に覆われて、思想を受け継いでいるのです。聖者や覚者と言われる人類の先達は、自分の内に、とてつもない静と、最高の速さで活動する理知的な動を併せ持つ人々です。
私達が実際そのようになる為には、訓練を重ね、遠い道のりを歩まなければならないでしょう。しかし、魅力を感じ、惹き付けられ、その道を進もうとするなら、時間の差があるだけで、やがてそうなる事は約束されています。私達は、自分にも人にも、この静と動のバランスを敏感に感じ取れるよう心がける必要があります。道の一歩は、毎日の生活の中で、自分を訓練する事以外にありません。その訓練の積み重ねが、より大きな静と動のバランスをつくり出し、私達の魅力、そして磁力を増してくれる事でしょう。