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手 紙
手紙:2018-09-07
省エネと健康
省エネの象徴するもの
今、車や電化製品、地球の資源まで「エコ・省エネ」が大ブームです。室内の照明からリサイクルまで、エネルギーを節約する事は、お金を節約するだけでなく、地球の環境問題として重要課題になっています。このチヤレンジは、実は人間の知性の試しです。地球の資源は、全て進化すべき生命の一部なので、私達が効率よく扱う事は、最小の力で最大の効果を生む知性の発達と関係あるのです。
省エネと言うと、自分の外にある物質の扱い方を考えますが、実は一番効率良く扱うべきものは、自分の人格です。人格とは「魂の乗り物」に例えられるので、燃費の良い車のように、自分の扱い方を効率良く省エネで扱えると、結果的には、健康問題や知性の進化に大きな影響を与えます。地球資源をいかに無駄なく有意義に使うかは、人が各自持っている体、心、頭、そして魂のエネルギーを、いかに節約して保持し、何に集中して使うかが問われる問題なのです。今回は省エネ問題から、自分自身のあり方と健康を関係づけて考えていきたいと思います。
世界で全ての人が切望するものは、行き届いた医療です。恵まれない国や戦闘地域では火急の課題ですが、平和で手厚い医療制度がある日本でも、病院は患者で溢れ返っています。こんなに病人が増える一つの要因は、「人類が個人エネルギーを勝手な欲望に浪費している」為です。つまり個人エネルギーの浪費から、多くの不健康と病が生まれているのです。
また日本に特有の無気力な子供達、夢が持てずやる気の出ない人々が増える現象も、親のエネルギー浪費や、都市部などの歓楽街で浪費されているエネルギーの影響があります。不適当な欲望に、多くの人が体や心の力を浪費すると、夢や理想を描く力や、知性を高めて目的を達成するエネルギーが足りなくなり、損なわれてしまうのです。欲望のままに地球資源を使っていると、エネルギーが不足していくように、人のエネルギーも枯渇して、健康問題から精神的進化を阻む問題が起こってきます。
省エネは数字になってわかりますが、自分の体、心、知性の力は、いつどのように使われ失われているかは不明確です。また考えたところで、欲望と習慣に振り回されていると、正しく認識できにくいでしょう。しかし、意識エネルギーが、何に使われているかが、健康維持と深い関係があるので、私達は立ち止まって考えてみる必要があります。これが生活習慣病を改め、健康的な生活を送るきっかけとなるでしょう。
心の膨大な浪費
人には、体、心、知性の三体があり、それぞれ特有のエネルギーを持っています。人によって、三体の持つカラーも違うので、特質も違います。しかし、どんな人であっても、昔から宗教や道徳では共通して、「利己的に欲望に任せて力を使わない事」を呼びかけています。
例えば体にまつわる性エネルギーの浪費、暴飲暴食などは、疲労の元になり、体に良くないばかりか、精神的な集中力に影響を与える事は、多くの人が実感し、理解しているでしょう。では、心の浪費はどうでしょうか?心は感情と欲望の焦点であり、欲望が地球資源を使い尽くすように、心によるエネルギーの浪費は、健康と知的進化全体を蝕みます。
心の浪費は、欲望でどれだけお金や地球資源を使ったかと言う単純な計算ではありません。自分の意識が、欲望や感情、楽しみや心配、不安の為に、どれだけ専有されたかが、浪費となるのです。例えば、作業的には仕事をしていても、心が欲望に囚われていたら、意識は欲望に浪費されている事になります。私達は自分の為に、あるいは人の不必要な欲望の為に、どれだけ時間を使っているでしょうか?この観点から考えると、人間は文化的にも習慣的にも、心の消費にエネルギーを使い果たしているのではないでしょうか?
心は不必要に使っただけ、不満足がまた襲ってきます。不安はより大きな不安、悲しみはより深い悲しみ、怒りは更に大きくなり、そして楽しみや享楽を求める事も、とめどなく続くでしょう。この連鎖により、心の世界は使えば使う程、意識エネルギーの支払い額が膨大になり、やがて心だけに煩わされるようになります。
現代人は物質文明と個人主義により、怒りや悲しみのような感情のみならず、楽しみや勝手な想像、愛着の為に、多くの時間を費やす傾向があります。注意深く自分の意識を観察しないと、日々の積み重ねによって負債が大きくなり、疲れや無力感を感じるようになるでしょう。
心力の浪費は、体力のみならず、知性の進化を阻害します。弱々しい体、無気力、無目的、夢のなさ、長期的な目的が持続できない、知的学習能力の限界は、心力の浪費から起こる場合があります。享楽的で感覚的だと、計画や時間が守れなくなり、長い集中力も続きません。人は知的限界の原因を自ら作っているのです。
その為、どの宗教でも、欲望は最低限に留め、感情は穏やかに保つよう教えます。同情も接点として大変重要ですが、相手と同じ心の世界に長期間浸り続けるべきではありません。そうすると、実際に助ける力が無くなってしまいます。心は知的に、正しい知識に基づいて扱うよう訓練が必要です。心の浪費を正しく識別し、止める事ができたなら、人は効率よく集中すべき事に専念できるようになり、意識は飛躍的に進化するでしょう。
瞑想と省エネ
知力は発達していれば、三体の中でも一番大きなエネルギーとなります。個性を統率する力を持つので、自己確立の時期、人は一時期利己的な目的を持つようになります。若い頃は野望を持ち、自分の才能を発揮できる場を求める事は大事でしょう。心も体も知性も十分使えるように成長しなくてはなりません。この世で活躍できる知性を培う事は進化にとって不可欠です。
しかしそこまで発達すると、この世で力を揮い易いので、そのまま欲望を動機として、力を浪費し易くなります。ある程度思い通りになる力に慢心していると、周囲のアドバイスも無視し、霊的に大変な借金を背負う事になるでしょう。最後は、病気や大きな問題で、得たものを失ったり、苦しんだりして、エネルギーの浪費に対する負債を払う事となるのです。
また自分では利己的でないと思っていても、現象界に埋没した知力を使い続けると、知力を調整する魂の力が不足する為、四六時中メンタル界の振動が続いてしまい、エネルギーを浪費する状態になります。休もうとしてもリラックスできない、瞑想しようとしても、目まぐるしい意識活動が止まらないなら、知的浪費が始まっていると考えられます。
人は、次から次へと変わる現象界に限界を感じると、本来の自分が生きるべき意識世界を探求し出します。この時こそ、未知の世界、物質界の背後にある「意味の世界」と接触する瞑想が大切だとわかってくるのです。瞑想は、体、心、知性の個人的な意識波動を鎮める訓練から始めます。現象界に接している意識を一旦遮断し、魂(より高度な意識の世界)意識を受信する静寂な自分に作り変えるのです。
自分の経験と世界の現象界にまだ興味があり、死ぬまであれこれ多くの体験をしたいと願っている人に、瞑想は必要ではありません。しかし、ある程度の年齢になり、自分の体験を集約し、意味のある人生を考えようとするなら、瞑想は必要になるでしょう。何故なら、瞑想とは個人のエネルギーが漏電するのを防ぎ、魂の最高のエネルギーと接触する行為だからです。また、瞑想しようとすると、その準備の為に、今までのように意識の浪費で疲労を避けるようにもなるでしょう。
人生をデザインし直す
個人の勝手なエネルギー浪費を支配する事は、最高の省エネです。これを実現した人は、周囲にも、地域にも、霊的に良い影響を与える人になり、また物質的な浪費も、自然と行わないようになります。体調面でも、目的に沿って、効率よく活動できる健康が与えられるでしょう。勝手で無謀な浪費が止まり、エネルギーを十分蓄えられる上、より強い力の魂が肉体を支配するからです。究極は、魂が望む目的以外に、エネルギーを浪費しなければ、人は完全無欠の健康が与えられると言われています。それには、真の識別に沿った奉仕、自分に対する注意深さ、欲望の犠牲が求められます。
年齢を重ねると、どんなに丈夫な人でも、長年の結果で様々な健康障害が起こってきます。それは、ピンチではあるけれども、自分に対する省エネを考える良いチャンスと捉えられます。長い間、自分の力、意識が、何に一番使われてきたか、振り返ってみて下さい。誰も完璧な人はいません。必ず誰でも落ち度があるはずです。このチャンスを生かす事ができれば、人は第二の人生で、効率良く魂エネルギーを活用して生きる事ができるでしょう。省エネとは、まず自分と言う装置から始めるべきです。そうして魂と接触した力を、何に投資すべきか考え直す事は、ある意味、年を重ねたからこそ、できる特権ではないでしょうか。創造的で健康的な人生を、もう一度デザインし直すチャンス、是非生かして下さい。