Letters
手 紙
手紙:2023-09-08
正しく考える勇気
原因を考える
年齢を重ねると、殆どの人が何等かの健康問題を抱えます。多くの人が病気をきっかけに、人生を終わるので、病気は自然現象の一つだとも言えますが、人間にとっては「病は仏の慈悲」であり、原因を考え、法則を知る知的活動のチャンスと言えます。しかし、人は病気になっても、必ずしも考えるとは限りません。では、病気や死を通して、どうしたら思考力を真の力にできるでしょうか。病気をした時、「考える」と言う観点から、人は四つのタイプに分かれます。
①医療の治療に任せるだけで、原因は考えず悩まない。②原因は自分のせいだと思い、情緒的に自分を責める。③原因を環境や人のせいにして、外的原因を直そうとする。④自分の意識活動を探り、考え方や生活を検証し、原因の仮説を立てる。内的世界の原因を追究する。
この分類は、病気が治るかどうかとは関係ない、意識観点の分類です。①は、考える力が未発達で、意識も単純です。悩まないので、現象を変える事はできません。病気は自然の流れのように出て終わり、生活は本能や社会現象と共に、ただ流れていくのみです。
②は、このような勉強をしている人や宗教を信仰している人に多いパターンです。病気は過去の過ちが原因だと言う知識を覚え、方程式のように自分が悪いと思い、感傷的になります。しかし、情緒的な反応だけで、自分で考えていないので、真のメンタル的追究はできません。
思考を邪魔する本能
私達に一番多い意識活動は、③のパターンでしょう。何故多いかと言えば、完全にメンタル的でも情緒的でもない人が多いからです。知的には原因を考え、理解しようとしますが、自分に真の原因があると認めるのが難しく、飛びつき易く簡単に見つかる、あるいは受け入れ易い外的な要因を探します。
原因が、ある人や人の行為が関係するなら、当然その対象に怒りが湧き、排除したり、直させようとするでしょう。病気の真の原因が、外的な要因だと思うと、表面的に出さなくても感情的になり、それ以上考える事が難しくなります。寧ろ何かのせいにする事で、これ以上考える必要が無くなり、簡単で安心するのかもしれません。
さて、④は私達の目指す知的活動です。とても難しい事ですが、自分を客観的に見つめる知的強さがあり、法則や情報と照らし合わせ、自分の力で考える人です。人の意見や最新の情報も参考にし、総合的に仮説や推論を立てる事ができる論理的知力が使えます。自分で筋道を考えているので、後に間違っている事がわかっても、修正する事ができ、実験するチヤレンジができるでしょう。
私達は、本当の原因が自分の意識だと認めると、自分の考え方や生活態度を直さないといけなくなります。そうすると、責任転嫁できない上、直す為には相当な犠牲と苦労を伴います。人は無意識に、自己保存本能やプライドが抵抗するので、真の原因追究からなるべく「自分」を遠ざけ、変えなくて済む様に、真実に眼を向けないようにするのです。深く追求して考える行為は、本能に反する意識活動とも言えるでしょう。
真実を知る強さ
病気のみならず、人は苦しみや問題の原因を、長い間考えずに、時間を無駄にしている事があります。例えば、嫌な所や、克服したいテーマに気づいても、親のせいや、生まれた環境に原因があると考える人は多いでしょう。実際、直接的な原因はそうなのかもしれません。しかし、二十歳で大人としたら、それ以降は自分の生き方で、変える努力を始める事ができます。もし今が六十歳なら、四十年間克服する努力ができたはずです。また、同じ環境で育ったとしても、全ての人が同じようになるとは限りません。魂的に言えば、親や家庭を選んで生まれてくるのは自分です。そうなった理由は、元々自分が持っていた性質が、環境の刺激で表れたと言えます。
ここまで考えると、人は二つの苦しみを選択する事になるでしょう。一つは病気や問題を繰り返し経験する苦しみと、もう一つは自分と向き合って変える苦しみです。どちらが辛いでしょうか。問題と向き合う時、人は無意識ですが、この観点から、どの程度深く考えるかを決めているのです。
問題の原因を知るには、実は勇気が必要です。科学の探求であれ、自分に関する事であれ、真実を知るには、粘り強く情報を分析し、関係を考え、過ちを含めて真実をそのまま知る強さが求められます。これこそが、人間の真の強さです。以前「不都合な真実」と言う環境問題を追究したアメリカのドキュメンタリー映画がありましたが、真実は勇気を持って告発しなければ、多くの人は知らないまま、あるいは関係者は隠して認めたくないものです。ましてや自分の事となったら、過去の言動を思い返し、傾向意識を特定し、それが問題の原因であると認めるには、大変な勇気と、それに耐える強い知性が必要なのです。
思考力が霊的道を作る
原因を人に聞く事は簡単です。医者や専門家、あるいは経験者に聞けば、それなりの答えを教えてくれるでしょう。しかし、そこから本当に納得するよう自分で考え直さなければ、変化する事はできません。何故なら、自分で考える意識だけが霊界に道を開き、原因に光を当てるからです。
私達は、人格を自分だと思い込んでいます。だからこそ、問題があると認めたり、直したりする事に、大きな反発と抵抗を覚えるのです。しかし、人格は一回ごとの転生における仮の自分です。自分が担当した人格は、地球の不完全な物質でできているので、改善する事は、全ての人の使命となります。それは全ての人に平等に与えられる責任であり、自分だけの落ち度ではありません。
私達は、つい人と自分を比較し、自分が人より劣っている、あるいは優れているなどと思うものですが、大事な事は、優劣や否定ではなく、原因を探求し、正しく知る純粋な知性を磨く事です。
この訓練は、日常生活の小さな事で練習しておかないと、いざ大きな問題が起こった時に、咄嗟にできるものではありません。病気や事故、問題は、原因を考え、知性を訓練する為に、地球が与えた法則の結果です。たとえ病気が完治しなくても、問題が元に戻らなくても、真に理解できた事は、その人から決して取り去る事ができない宝となります。そして、この宝を通じて、同じ問題にぶつかる多くの人を、自分同様、救う事ができるでしょう。
結果も大事ですが、転生する永遠の命から考えれば、意識の方が余程重要です。病気や問題を通じて、魂は意識の方向転換を求めています。その価値観が理解できた人は、勇気を持って真実を知る思考を訓練するでしょう。この強さを身につけた人は、その人生で、魂の宝珠を手に入れ、その光は多くの人を、真に助ける事となるでしょう。