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手紙:2023-10-20

道を創造する

「災」と火の出会い

ここ数年は、自然災害や戦争など、多くの災いが発生しています。多くの人が「平和で平穏無事な生活」を祈りますが、個人的にも公的にも、いつ災害に遭うかわからない時代です。何故災害が起こるか、色々な方面から対策が検討されていますが、全く角度を変えて、漢字が表す意味を知ると、根本的な原因に触れる事ができる場合があります。漢字はエネルギーを形で表している場合があるからです。

昔から災害があると「神の怒りに触れた」と言いますが、あながち間違いではありません。「災」は、火の上に神道の御幣(ごへい)のような三つの「く」が乗っています。これは、神の三つの力を表し、それが物質に触れ、火が燃え上がる現象を表しています。神の三つの力とは、「意志、愛、活動知性」あるいは「生命、意識、運動」と言われるエネルギーですが、これらは見えない世界で一つになって働くと、衝撃的な力になります。それは、進化を推し進める意志の力ですが、不完全な物質界や、人類の想念の塊に接すると、爆発的な破壊=災害を起こすのです。この力は周期的にやってきます。

では、人類は神の鉄拳が下ろされる度に、辛い破壊を経験しなければならないのでしょうか。勿論そうではありません。爆発は、閉じ込められているエネルギーが、次の場所に移る道があれば、爆発にならず、寧ろ好ましい「変化」や「創造」となります。「災」が「災害」や「災難」になるかどうかは、別の場所に繋がる道があるかどうかが大きく影響します。ではどうしたら道を作る事ができるでしょうか。その鍵は愛が握っています。今回は「道」と言う観点から、愛を考えてみたいと思います。

道を創る愛

災害となるか創造となるか、この二つの違いは、原子力の扱い方に表れています。電気に変換する道=システムがある場合は、物質に内在する力は電気となります。一方、エネルギーが流れ、変換する先が無い場合は、周囲を破壊し尽くす原爆となります。どちらも材料は同じですが、結果には大きな違いがあります。

この比喩は、私達自身のエネルギーにも同じ事が言えます。例えば、行き場の無い強い怒りを持ち続けていると、いつか爆発し、病気や問題と言う災害となって、自分も人も傷つけます。一方その感情を、ある目的に向けると、創造を後押しする情熱となり、感情は違う次元の表現に変換されます。

人の場合、変換と爆発の違いは、①「考えたかどうか」が鍵を握っています。感情的になった時、何故そう感じるのか、その感情をどう収めるかを考えた人は、次の目的を見つける可能性があります。そして、新たな目的が決まったら、②「集中して目的に向かった活動をする」必要があります。すると、「考えと行動が一つになり」、その力が道を築き、エネルギーは別の形へ移行するのです。つまり感情と言う大きな力を、目的などの次への展開と結び付けるのが、「考える事」であり、その関連付けをするのが愛なのです。私達は見えない世界に道を創る力を魂から与えられています。考え、関係付ける力こそ、愛なのです。そして考えた通りに行動すると、そこに道ができるでしょう。

考えずに生きていると、変化したり、エネルギーが別の次元に上がる道筋がなくなります。どんなにエネルギーの弱い人でも、力の行き場が無くなり、いつかは爆発的な災害に見舞われるでしょう。それが人生の問題となって現れてくるのです。

二つの知性

人は、「困った」と感じる事で、問題を認識します。「困る」と言う字も、「木=人格」が四角で囲まれて行き場が無くなり、意識が閉じ込められた状態を表しています。人は困って初めて、今までの考え方に限界を感じ、何とかして新しい道を見つけようと考え始めるので、困る事は新たな道を築くチャンスと言えます。

さて、問題解決とは、新しい道を見つける事ですが、それには、「二つの知性」が必要です。一つは「この世で役立つ知性」です。それは、処理方法や扱い方を考える知性で、具体的に活動する場合に必要です。闇雲に、感覚的、我流なやり方をしていると、効率が悪く、思ったような結果にはならないどころか、新たな災害を生み出します。この知性が発達していると、この世で力を発揮し易いでしょう。

もう一つの知性は、「意味や法則」を理解する抽象的知性です。この知性こそ、人類がこれから訓練すべき力で、真の原因を追究し、やがて魂へ帰る道を発見する愛の力です。真の問題解決には、この知的な愛が必要なのです。対処方法でいくら解決しても、奥にある意識の根本原因が理解できないと、問題は形を変えて、繰り返し起こるからです。

この種の知性を養うには、純粋に考える訓練が必要です。元を辿って粘り強く考えていくうちに、自分の感情や立場、結果ばかりを追う意識から離れ、問題そのものと向き合う事ができます。これこそが、私達を「困った状態」から意識を解放する愛の力なのです。この世でどんなに処理が上手でも、意味を理解する知性がなければ、根本的に自分を変える事はできず、いつか問題は手に負えないものとなるでしょう。

道を歩む

人間に備わっている二つの知性(具体的知性と抽象的知性)は、どちらも炎の力であり、どちらが欠けても、問題解決には不充分です。抽象的な知性があっても、具体的な知性が無ければパワーが無く、この世で効果的に力を使う事ができません。具体的な知性があっても、抽象的な知性が無ければ、同じ事を繰り返し、どんなに活動しても、精神的な成長は止まってしまいます。私達の進化には、この世の知識を学んで活動する事と、静かに自分と向き合い、魂の援助を求めて深く考える事の両方が必要なのです。

深く考え、真の意味や原因がわかったら、次にすべき事は、行動を起こす事です。その時、真に価値があるのは、考えと行動を一致させる努力です。新しく理解した考えに沿って行動する事は、今までの行動を変えなければならないので、大変な苦労です。しかし、この苦闘を通じて、私達の中に新たな炎が燃え上がります。これが「意志」と言う第三の力となります。こうして初めて、人の中に神の三つの火が燃え始めるでしょう。

人間は、神に似せて創られたので、どんな人も、神の三つの力を持っています。しかし、それは考える力で行くべき道を発見し、道を歩み続けないと発動しません。命が進むべき道を求める力こそ、考える力、魂から与えられる愛の力です。結局災いとは、人類が神から与えられた三つの力を充分使わないまま、長い年月がたってしまった挙句に起こると言えるでしょう。

問題に直面し、万策が尽きたと感じる時にこそ、魂の力で道を見つけられるのが、人間の素晴らしさです。そして、そのように生きた人から現れた力強い炎は、周囲の人に新たな火を与え、人類の道は続いていく事でしょう。皆さんも、炎を持つ一人、共に道を切り開き、歩んで行きましょう。

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