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手紙:2024-09-27

心の美徳

心の形

皆さんは、自分の心がどんなタイプか考えた事はありますか?新しい時代は「知性の時代」で、進化の焦点は知性に移っています。しかし私達の問題や病気の原因は、多くの場合、心です。心をどう扱うかは知性の担当ですが、どのような心になる事が、進化にとって理想なのでしょうか。

密教の本に、進化すると心はどうなるかが書かれていて、意外にも、「単純で愛らしい心」と記されています。禅でも「赤子のような心」という記述があります。発達した心と聞いて描いていたイメージと違った人も多いかと思いますが、一体どのようなものなのでしょうか。今回は、進化した人間が持つ特徴「単純で愛らしい心」とは、どのようなものなのか、何故そうなるのかを考え、心の方向性を探ってみたいと思います。

人間の人格には、三つの世界が混在しています。肉体、心、知性です。肉体の本能は、既に発達し終わっているので、体を維持する為に、本能は自動的に働いています。人類の肉体は、驚異的な適応力を持ち、医学が解明しきれない程複雑ですが、ある意味、単純で自動的に、無意識に働いているのです。

一方心は、以前の時代の発達目標であり、既に進化の頂点を極めています。その証拠に、人類の欲望は膨大で、道を誤り、自分達も感情に苦しめられ、様々な問題を抱えてきました。そして知性は、そのような心を分析し、支配する役割があります。知性が発達すると、最初は頭と心がバラバラになり、葛藤が起きて苦しみますが、やがて心は知性の支配下に入る事が決まっています。その為にも、まずは、自分の心がどんなタイプか理解する事は、とても重要です。

素直で単純な心

現在の私達の心は、「単純で愛らしく」ないようです。では、どんな心でしょうか。本来、心は様々なものに接触し、映し取る反射板のようなものです。魂の光を映すなら方向は一つですが、物質界の欲望を映すと、方向は千差万別です。意識は向きが定まらず、映像が重なって複雑怪奇になるか、あるものに固執すると偏ります。

肉体は、複雑で高度に発達していますが、通常は健康を維持すると言う一つの目標に向かって単純に働いています。もし、体が強い本能で、四六時中欲求を発信していたら、人は本能の為だけに生きなければなりません。そうすると、仕事に集中したり、思考する人間的な時間が無くなってしまうでしょう。次の進化に向かう為には、体は発達し終えたからこそ、自動的に働き、土台となる事が使命となったのです。

ここで言う心の単純さは、未熟と言う意味ではありません。肉体は、発達しているからこそ、健康の法則に自動的に従えます。無意識でも正しく働くからこそ、健康の土台を作り、心の発達に協力できたのです。心も発達したからこそ、光の方向だけに単純に従うようになれば、知性の発達に協力できる土台を提供できます。何かに集中する時に、余り体を気にかけなくても済むように、知的集中する時には、心を気にしないで済むような状態が望ましいのです。

その時の心は、粗雑で未発達ではなく、寧ろ発達しているからこそ、余計なものには反応せず、光に向きを定められます。また、愛らしさとは、軽やかで素直な性質と言えます。固執や頑固さとは反対で、感情や感覚にこだわらず、さっと流せる心です。浄化されていなければ、達成できない美徳と言えるでしょう。

心は母のような存在

人は大人になると、成長する子供を黙って見守りながら、応援する事ができます。大人と子供の関係は、心と知性の関係に似ています。心は、大人になった母(又は親)のようなもので、既に成人しています。子供である知性が、まっすぐ魂の光に向かって成長する時、心は静かな鏡として、魂の光を反射する土台となるべきです。心はしばしば水に例えられるように、まさに平らかな母なる海となって、子供を養育する立場を取るべきでしょう。

ところが、母が口うるさく要求をつきつけ、常に自分の欲望に動かされていたら、子供の成長はどうなるでしょうか。子供は安心して真っすぐ育つ事はできません。それどころか、母が子供をのみ込んで支配し始めたら、自立した成長は大変難しくなるでしょう。

私達の心は、知性の成長に協力し、支配される事で、本来の役目を果たします。また、大人であるからこそ、心は素直に支配されるのです。私達の心は、まだ子供のように自己主張をし、自分勝手に行動したいと我儘を言います。知性に対抗して、支配されたくないと闘争心も燃やすでしょう。しかし心は、既に成人しているのです。この事実を認識したなら、成熟した母のように振る舞い、子供である知性の成長に協力すべきではないでしょうか。

複雑怪奇で気難しく、自分のこだわりに固執する頑固な親がいたら、家族関係は悪くなるのは当然です。知性の発達には、「単純で愛らしい」自分の知性に協力できる心が大切なのです。更に、親は経験の豊かさから、子供を守れるように、心は光の識別において、知性を助ける事ができます。単純で愛らしい事は、成熟して賢いからこそ、知性を援助できるのです。

知性と愛

心(感覚や感性)の能力にこだわりがある人は、それが失われる事や、進化が止まると感じると、「愛らしく単純な」状態に抵抗を覚えるかもしれません。今は知性が未発達な為、自分の有能さは、心にあるかもしれません。しかし、知性が発達すると、やがて知性は心を上回る能力を発揮します。最後は、魂が知性とコンタクトしてくるので、遥かに心を上回る能力を実感できるようになるでしょう。その時、親が心から子供の成長を喜ぶように、心は愛と至福に満たされます。

私達は、欲望や感覚を発達させる事で、心に満足を得る、あるいは自分を主張して安心しようとしますが、心の真の満足とは、犠牲になって次の優れたものを生み出した時、初めて得られるものです。まずは、自分の心が単純で愛らしいかを点検し、もしそうでない場合は、どう違うかを理解すると良いでしょう。

私達は、時として、未開の民族が維持している動物的本能や霊媒的心力に、憧れを持つ事がありますが、今や人類は技術や知識、心理学、医学などの発達により、それらをカバーする力を持っています。人間の進化は、発達した能力を無意識下に置き、自動的に働かせる事で、意識をより高いものに集中できるよう潜在化するのです。時代が進み、知性が完全に発達した未来では、今私達がこだわっている心の能力や感覚は、将来重んじられなくなるでしょう。進化とは、いつの時代でも、達成しては捨て、次へと前進する力です。やがて遠い将来は、知性でさえ、魂意識にとって代わられ、単純化する時代が来るのです。

自分の中の愛の関係

子供にとって、成熟した母の存在を支配する事は至難の業です。だからこそ、母自身の協力が必要となるのです。母なる心は、子供である知性に愛を持って接するべきでしょう。私達の心は、自分の知性を愛しているか、協力できるか、自分の中の関係を考え直してみる事は、大切ではないでしょうか。

心と知性の関係を上手に結ぶよう地道に努力をしてきた人は、全ての人に慈悲深く、尚且つ前進する為の良きアドバイスができるようになるでしょう。人の苦しみと問題とは、多種多様でありながら、単純に、自分の中の心と知性の関係である事が多いものです。その繫がりや結び付き、協力や理解の状態を、私達は「愛」と呼びます。心が勝手な欲望から解放され、知性の方向に素直に協力する、時に知性が利己的になった時には、諫めるような役割を果たせたら、それは最高に発達した心と呼べるでしょう。知性の時代であるからこそ、私達は、もう一度心のあり方を考えるべき時に来ているのかもしれません。

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