手紙

MENU
SIGN

Letters
手 紙

手紙:2024-11-15

忍耐力と意志

イライラの原因

この数年で、世界の情勢は大きく変わり、来年から世界均衡は更に変化する事から、企業も国も、その対策に備えています。全ての人に、何らかの影響がある為、生活の変化は否めません。関係や経済、習慣の変化は、イライラや不安の大きな原因になります。

イライラ、つまり苛立ちは、最も病気を引き起こし易い最悪の感情と言われています。若い頃、あまり感じなかった人でも、子育てや、親の介護を始めると、自分がこんなにイライラするとは思わなかったと驚く人も多いでしょう。苛立ちは、現代人の特徴的な感情です。感情の支配と浄化は、私達の大きなテーマですが、苛立ちは、中でも最後に闘うべき手強い感情の一つと言えるでしょう。今回は、現代人は何故苛立つかについて、その原因となる意識を探ってみたいと思います。

苛立ちは、「こうなるべきだ」と言う考えに対して、そうならない事への怒りと不満から起こります。その中には、自分は正しいと言う「支配性」と、すぐに事態や人が動かない事への「忍耐力の欠如」が主な原因でしょう。自分が正しいと断定し、人に対して支配的になるには、ある程度の知性の発達と優位性が必要です。また、こうなるべきだと言う独自の結論があり、物質的な意識が非常に明確である事も特徴です。

忍耐力の欠如とは、直ちに変化しない事に対して起こるものですが、それは「時間」に意識が縛られている事を示します。つまり、私達は進化して知性が発達し、自分の考えが明確になった事、そして速い時間の流れで活動するからこそ、多くの人が「苛立ち」を覚えるようになったのです。

感情と知性の混合意識

義務や責任が少なく、欲望も小さく、自然の流れと共にゆったり時間が流れている孤島やジャングルの村などでは、イライラする人は少ないでしょう。そもそも時間とは、「物質の変化を脳が感じる事」で、肉体を持った人間特有の感覚です。物質界を離れた魂意識では、時間は無いと言われています。自然の変化は遅いので、自然界と共に活動している場所では、時間がゆっくり感じられ、一方、人間主体の世界では、知性が物質速度を加速させる為、変化が激しく、時間は速く進みます。

先進国では知性の発達がテーマになっているので、社会全体の時間は速く進みます。自分が望まなくても、その流れに適応しなければなりません。知性を駆使すると、望んだ結果を速く出す事ができ、人は自分達の功績に満足できるでしょう。しかし、意識が物質の変化に密着し続けると、反対に物質から強い束縛を受ける事になります。自分の能力が思うように出ない、変化が遅い、周囲が考えた通りに変わらない場合、私達は自分や関係者に、猛烈な苛立ちを覚える事になるでしょう。これらが支配的で物質的になる大きな理由であり、ある意味当然のプロセスとも言えます。

私達の病気の原因は、80%以上が感情に起因すると言われますが、その中に高い知性が混じった意識は、肉体的にも速い結果を生み出します。つまり、苛立ちが健康的に最悪と言われる理由は、病気と言う結果を速く引き起こすからなのです。

知性は、物質を変化させる力がありますが、密着すると、どうしても望んだ結果を見たいと言う欲望を止められなくなります。苛立ちは、物質的意識活動の頂点と言えるでしょう。

神の忍耐力

私達は感情的になった時、夜空を眺めると、悠久の時間や崇高な存在を感じ、心が落ち着く事があります。実際、宇宙の星々は、物質界の中では、神の最高傑作と言われています。しかし、その宇宙が出現する為に、どれだけの時間を要したか考えてみましょう。地球でも、自然界と私達人間が、ここまで進化するには、永遠と言える程の時間が経っています。しかも、人間の進化計画は、これからも更に続きます。もし私達が神だとしたら、そのような時間をかけて、進化を達成する事ができるでしょうか。

この進化を可能にする神の特質は、想像を超える「忍耐力」です。勿論、神は時間を超越した存在なので、その意識はほんの少しでも垣間見る事はできません。それでも、私達の想像できる範囲で考え、歴史を振り返ってみると、その忍耐力がいかに偉大であるかがわかります。長い歴史の中で、人間が光に反応せず、変化が遅く、数えきれない程の間違いを犯しても、神は苛立ちを覚えたり、見捨てたりはしません。寧ろ、人間の変化を見ながら、無限の慈悲で、進化を導いてきたのです。

何故、神はそれ程の忍耐力を持つ事ができるのでしょうか。神は、人間や個々の物質が、やがて完成したらこうなると言う確固たる結末を知っており、どのような道を通っても、そのイメージが崩れた事が無いからです。神の忍耐力とは、不屈の意志から生まれる特性なのです。

私達の意志は、個人的で勝手な目的から生まれる意地のようなものです。限られた時間の中で、結果ばかりを重んじる為、自分の計算に合わないものは、受け入れられないのです。知性は発達しましたが、真の洞察力が欠けている為、苛立つと言って良いでしょう。

愛とは神に向かう意識

人間の愛は、まだ自分と自分が考えたイメージに向けられています。それぞれの人の主張は、物質的な人格に縛られた考えであり、魂の進化から見ると、そんなに重要ではなかったり、間違っている事が多いものです。しかし、その愛を魂に向け続けると、別の価値観がわかってきます。魂は、結果より、何を目指そうとしたかと言う意識の方向とその変化を重要視します。

確かに、知性が発達した人や経験がある人の意見は、ある限られた時間の中では、正しい事が多いでしょう。現代人の生活は、時間内に何らかの決断をし、処理しなければいけない事が山積みです。しかし、急速に変わった未来から見たら、あるいは人類の進化から考えたら、必ずしも正しいとは言えません。だとすれば、怒ったり苛立ったり、相手に優位性を感じる程、主張する事は間違いではないでしょうか。

ほんの短いスパンで見ても、子供が大人になった時、親の主張やアドバイスは、必ずしも正しくなかったとわかる事があります。望んだ形は違うけれど、成長し逞しくなった子供を見ると、自分はその人の本質や可能性を見ていなかった事に気づきます。人の中から、自立した精神や理解力が育ってきたことを見ると、人は胸を打たれるものです。

この価値、あるいは真の成長を理解するには、時間を超えた忍耐力が必要です。その時こそ、人の意識は魂に向き始めています。創造主である神が、人間に対してどれだけの忍耐を持って接してきたかを考えれば、私達も同胞や自然界に対して、思慮深く考え、もう少し謙虚になれるのではないでしょうか。

意志は人間の特性

苛立ちとは、私達の知性が限界である事を示しています。その壁を突破するには、地球の神、人類を導く魂へと、愛を向けるところから始めなければなりません。その存在は、私達がいかに小さな世界で知性を揮っていたかを感じさせ、もっと大きな価値観が必要な事を悟らせるでしょう。

大祈願の中に、「乏しき意志」と言う一節がありますが、意志とは時間を超えたものであり、その特質は、持続的な忍耐力が伴います。私達の知性が物質界に密着している限り、忍耐力は乏しいままで、本当の意志とは何かがわからないでしょう。

それでも、地球では、人間だけが神の意志と接触できる存在だと言われています。神は自分に似せて人間を作ったなら、意志こそが、私達の真の特質なのでしょう。将来、人類はその力を発揮するはずです。私達の中に眠る神性、時間を超えた忍耐力を目指し、真の愛を発揮しようではありませんか。

TOP